102 「オーダーVSお願い」
「兄さん……して?」
ベッドの上に横たわる妹は、そう言って静かに目を閉じた。
……俺は今、人生最大の岐路に立たされている。そう断言できた。
「はぁ……はぁ……」
呼吸が乱れる。
ベッド脇に立つ俺の目の前には、ポニーテールを解き、ゆったりとしたパジャマに着替え寝そべる刀花がいる。
いまだ残暑の厳しい日もあるこの季節。裾の短いパジャマから伸びる瑞々しい太股が眩しく、直視するのは目に毒だ。
「兄さん、早くぅ……」
視線を顔にやれば、彼女はどこか期待するように微笑んでいる。ポニーテールを解き、いつもよりグッと女らしい。
しかしその頬は染まり、ドキドキと早い鼓動がこの俺の耳に届いていた。
「くっ、はぁ……はぁ……!」
そんな妹の姿に生唾を飲み込み、俺は普段かかない汗をかきながら手を伸ばし……手を伸ば……伸ばっ、くっ、あ……あ゛ぁ゛!!
「ダメだァッ!! 俺は……! 俺の可愛い妹に、“チョップ”をすることなどできんんんんんーーーーーー!!!!!」
「なんでですかーーーーーーーーーーーーー!!」
深夜も近いこの時間に、俺達兄妹は揃ってギャアギャア騒ぐ。
「綾女さんにはしてたじゃないですかー!」
「はぁ、はぁ……!! くっ、あの小娘と俺の可愛い妹を一緒にするんじゃない……」
プクーっと膨れる刀花を前に、右手を押さえながら脂汗を流す。
そうなのだ。
喫茶店に寄った時。そのほんの一幕。俺は薄野にチョップをした。
それがどうも我が妹の琴線に触れたらしく、就寝前となった今、刀花にそれをねだられている。
──だがっ!!
「十年以上、傷一つ付けることなく守ってきた妹に、暴力を振るうなど俺にはできん!」
当たり前の話だ。
俺は彼女を守護し、敵を殲滅するために生まれてきた無双の戦鬼。
道具には役割というものがあるのだ。
洗濯機がパンを焼くか? 包丁で服が縫えるか? “俺”という道具はそういう風にはできていないのであるからして。
「頑張ってアップデートしてください。ほら、兄さんもう一回!」
俺を激励し、そう言って刀花はまた目を瞑る。
「はぁ……はぁ……!」
そうしてチョップを促すよう頭をこちらに寄せる刀花に対し、俺は息切れしながらプルプル震える腕を再び伸ばす……が、
「……なでなで」
「うぇへへ……ってそうじゃないですよぉー!」
「すまんーーー!」
頭を撫でられ、一瞬デレッと蕩けた表情になるが……ちゃぶ台をひっくり返すかのようにして、がおーっと刀花は暴れる。だらしない兄ですまない……。
「うわーん! 私だって兄さんに叩かれたいですぅー!」
「それはどうなんだ……」
今にも泣きそうな表情で刀花は欲望を叫ぶ。
ちなみにこの戦鬼、手前味噌だが妹に一度も手を上げるどころか怒ったこともない。
だが、やはりそこが妹的に不満ポイントらしく……、
「ヤですヤですー! 私も綾女さんやリゼットさんみたいに兄さんにいじられたいですー!」
今日は一段と子どもっぽく、足をジタバタさせる我が妹。
確かにリゼットにもたまに口に指を入れて広げることもあるが……やはり今まで守ってきた実績のある妹相手だとどうも忌避感がだな……。
──チリンチリン。
「む」
そうしてベッド上で暴れる妹を前に、難しく唸っていると……俺を呼ぶ鈴の音が聞こえてきた。
我が主がお呼びである。
「はぁ……少し待っていてくれ、刀花」
「……むー、“また”ですか?」
不満げに目を細める刀花に謝罪しつつ、俺は一つ疲れたように息を吐き、影に溶けるようにして移動をする。我が主の部屋へ。
「……お呼びか、マスター」
「……喉が渇いたわ、お水持ってきて」
部屋の片隅の影から這い出て見れば、そこには妹のようにベッドに横たわりながら、銀の鈴を持つ我が主の姿。
ただその紅の瞳はじっとりと細められ、唇もどこか尖って見える。わかりやすい表情だ。
「備え付けの冷蔵庫に入っているだろう……」
ムスッとする彼女にそう言いながらも水を用意する。
「ご主人様に文句を言う気?」
「そういうわけではないが、こう何度も立て続けに呼ばれるとな」
「……ふんだ」
コップを手渡せば、リゼットはプイッと目線を外し、コクコクと両手で持ったグラスを傾ける。
これである。
帰ってからというもの、彼女もまた刀花のように無茶振り……というほどでもないが、多くを要求してくるのである。
何度も鈴を鳴らし『お菓子持ってきて』だの『シーツ代えて』だの『電気消して』だのと、一度で済むようなことを細々と。俺としては使われるのは構わないのだが……。
「……素直に『一緒にいて』と言えばよいものを」
「はぁっ!? そ、そんなこと思ってないし! 気持ちの悪い妄想を聞かせないでくれる!?」
「俺が魔改造したスマホには読心機能があってな」
「へっ?」
『さっきから妹と楽しそうに騒いでなんなのよご主人様をほったらかしにしてお昼も友達なんて作らないとか言ってたくせにすぐに女の子の知り合い作るしあなたには可愛いご主人様がいるでしょなんで言わないと一緒にいてくれないのなんで何も言わずにキスしてくれないの私はこんなにもあなたのことがだいす──』
「わー! きゃー!! ほわあああああ!!??」
マスターがたまにやってる格闘ゲームみたいな声だな。
スマホに表示された心の声を見せれば、マスターは奇声を上げて飛びかかってくる。その顔はトマトのように真っ赤だ。
「おっと、照れるな照れるな。俺も大好きだぞ、我が愛しのマスター」
「あっ、なん!? ……うぅぅぅ~~~!!」
スマホを仕舞い、飛びかかってくる彼女をそのまま受け止めて抱き締めれば、うめき声を上げながらも借りてきた猫のように大人しくなる。愛おしい……。
「素直になるがいい。その方が得だぞ?」
「……やだ」
ギュッとこちらの襟を握り、ボソッと呟く。
「なぜだ? 薄野と俺が話しているのを見て嫉妬したのだろう。そう言えばいいではないか」
原因が分かっているのならば対処も容易なはずだが。
しかし胸の中のリゼットは「だって……」と憮然として言った。
「私が『友達でも作りなさい』って言ったのに……そんなこと言ったらめんどくさい女みたいじゃない」
「大いに結構だ」
何を言うのかと思えば。
俺からしたら面倒くさくない者などいない。ようはその面倒を許容できるかどうかだ。
有象無象の人間相手であれば許容などしないが、二人の少女であれば俺は喜んで受け入れよう。
そういう“契約”であるし、俺はそのヒト特有の面倒さというものを多少は羨んでいる。その複雑な模様は、俺には描けない。
「大丈夫だ、リズ。面倒だろうがなんだろうが、俺はずっとお前の眷属だ」
「……ほんと?」
自信なさげにこちらを見る、その上目遣いにクラクラする。
「ああ、本当だとも。我が唯一の主、リゼット=ブルームフィールド。俺はお前の傍にずっといる……証拠を見せようか」
「……うん」
先程の読心でチラリと見えたからな。たまには俺からでもよかろう。
恥じらいながらもコクリと素直に頷くご主人様を更に愛おしく思いつつ、可愛らしく突き出されるその桜色の唇に──、
『う゛っ、ぐすっ。ふぇっ、う゛えぇぇ……お兄ちゃん……お゛に゛い゛ち゛ゃ゛~゛ん゛……』
……夜泣きの声が聞こえる。
「きたない泣き声ねえ……んっ」
刀花の呼ぶ声にピタリと止まる、そんな俺の頬に一瞬だけ柔らかい感触。
頬へのキスを掻っ攫ってから『で、どうするの?』と目で問い掛けてくる我が主。腕を組み、試すように眉を上げている。
俺は……、
「行かねば……」
「……早速一緒にいてくれないじゃないの」
うっ。
そのじっとりとした視線に何も言えない。
実はというと、これも今日の定番パターンだった。
刀花と騒げばマスターが呼び、刀花が泣けばそちらへ行く。そしてまたマスターが呼べばマスターの元へ……もう六往復くらいしたかもしれん。
「でもちょっと悪くない気分。夫婦になって夜泣きする赤ちゃんができたらこういう気分なのかもしれないし」
「高度なプレイしてるな」
その飛躍っぷりはこの俺をもってしても目を見張るものがある。さすがは俺のマスターだ。
だがそう言うと、彼女は頬を膨らませた。
「い、いいじゃないの……いつかは、その……そうなるでしょう?」
「まあ、いつかはな。刀花も一緒にだが」
「この男サイテー」
べーっと舌を出す彼女の言葉も甘んじて受け入れる。“鬼”とは最低なのだ。
まあしかし、そうなるには彼女達の身体を傷付けてしまうという“道具”としてのハードルを越えねばならんのだが……果たしていつになることやら。
『お゛に゛い゛ち゛ゃ゛~゛ん゛……!』
ああ、夜泣きの声がますます強く!
「では俺は戻る。刀花が呼ぶのでな」
「……ふーん。ねえ、試していい?」
「何をだ?」
影に溶けようとすれば、我が主はどこかイタズラっぽく笑っている。何をする気だ?
「──“オーダー”『一緒にいなさい』」
「なにっ?」
右目に霊力が走り、移動しようとしていた俺の身体を束縛する。これは……!
「私の“オーダー”と刀花の“お願い”、どっちをあなたは優先するのかしら」
『あ、あれ? ……兄さーん? 兄さん、“お願い”しまーす。早く妹のところに戻ってきてくださーい!』
「ぐっ……!」
おかしいと思ったのか、冷静になった刀花の“お願い”に、俺の身体が反応する……が、ギチギチと身体が軋むのみで、どっち付かずに揺れるのみだ。
「お、俺はどうすれば……」
「ご主人様と所有者の妹、あなたはどっちを取るの?」
『兄さーん! 兄さーーん!?』
二人の声が頭の中でガンガン響く。
俺は無双の戦鬼。彼女達の願いを叶えるのが俺の仕事だ。だが、これは……!
願いを叶えねばと我が肉体は奮い、莫大な霊力が膨張する。
だが、その行き着く先を決められず、発露するべき霊力はグルグルと体内で収縮を繰り返し……いかん……!
「──戦鬼、機能不全。初期化します」
「え?」
ボンッ!
そうして俺は……弾けた。
「きゃああああ!!?? ごめんなさーーーい!!」
我が血潮と臓物に塗れながらも、彼女はさすがに無茶を言ったと思ったのか悲鳴と共に謝罪した。
なるほど、彼女達の願いが相克するとこうなるのだなぁ……。
俺は主人と、悲鳴を聞きつけた妹がドアを開ける音をどこか遠くに聞きながら、身体の再構築に努めるのだった。
ちなみにこの日は結局、三人川の字で寝ることに落ち着いた。最初からこうしておけばよかったのだ……。




