最終話 「退院」
翌朝、おれは無理やり退院を申し出た。
もちろん止められたが、昨夜から痛みはなく、どうしても仕事に支障が出ると言って、押し通した。
結果、カンファレンスが開かれたかどうかは定かではないが、午後に退院の許可がおりた。
治療については、一ヶ月分の飲み薬の処方箋が渡され、終わったらまた検査のために通院するよう言われた。
朝食後から軽微な腹痛が継続していたが、おれは終始、それを悟られないように仮面のような表情を纏い続けた。
この強行の理由は言うまでもなく、昨夜の一件だ。
あれは、現実だった。☓☓が実在していることからも間違いないだろう。
仮に、半覚醒状態で見た夢かなにかで、☓☓も過去に偶然勤務していたスタッフの名前と一致していただけだとしても……それはそれで、おれはもはや危険水準に達していると言える。
つまり、点滴の件、同僚の件と合わせて、全てが幻覚だったのだとしたら、日常生活に支障を及ぼすほどに精神が病んでしまっているのだ。たった二日の入院生活で……。
これ以上、居たら、きっと社会復帰できなくなる。ただでさえ、おれは出社後にIの顔を見た時、ちゃんと見覚えがある顔に戻っているかどうかが不安でたまらない。
だが……一番は、やはり、精神どころか命の危険も去っていないと感じたからだ。
昨夜、☓☓が、おれは死ぬまで退院できないかのようなことを仄めかした時、患者IDの、55294――「午後に急死」のことではないかと思ったのだ。
初日の午後に死ななかったので、ただの嫌がらせとして片付けたが……その日の「午後」だと言及されていないことに気付いたのだ。
あのリストバンドを付け、あの患者IDで管理されている内は、おれはまだ助かる運命にはないと……そう感じた。
しかし、今こうしてリストバンドを外し、病院向かいの薬局で薬を調達し、タクシーを使って帰る時も……内心で警戒している。
最期に、乗ったタクシーが事故に合う――大学時代の自転車盗難の時のように――というのは、ホラー映画のオチなどでいかにもありがちだ。
しかし、腹痛に耐えながら家まで歩くなどということはできるはずもなく、おれはまた、考えすぎだと自分を安心させてタクシーに乗り込み――かろうじて、なにごともなく家路に着いた。
その後、週末をはさんで様態を見て、週明けに出社した。
幸い、Iの顔は元に戻っていた。というより、見舞いに来た時にも同じ顔だったのかもしれないが、そこら辺はもうわからない。
事の発端である結石についても、飲み薬がなくなるまでの間、何度かあの激しい痛みに襲われることがあったが、治療薬とともに処方してもらった痛み止めを服用することで、なんとかやり過ごすことができた。
たとえ、我慢できない痛みでも、もうあそこで入院するわけにはいかない。
ひょっとすると、次こそ、きっと――
あとは、今、気になっているのは、老人と☓☓が話していた、おれへの見舞客の件だ。
彼らが見たものは、以前から意識している、おれに不幸をもたらし続ける存在だったのだろうか?
結局、性別すらも、わからなかった。
ただ、それに付きまとわれている限り、今後も同じようなことが、この身に起こることを覚悟しておかなければならないのかもしれない。
ヤミの病室――完。