六十二話 一方その頃
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「はー、暇ダ……」
セルマ達が樹脂を取りに行った少し前。
マカナは一人、散らかった部屋の中で退屈に苛まれていた。
ベッドの上からでろんと足を垂らし、ぷらぷらと降るその脇で、ムクスケは脱ぎ散らかされた服を大きな手でいそいそと畳んでいる。
「今日の依頼はどれもつまんねーしナァ……」
と、ふと目を逸らしたその先には、一冊の本。以前エステルの家に行った時、どさくさ紛れに借りてきていたのだ。
「……よシ、行くカ。ムクスケ、留守番頼むナ」
「ばふっ」
ベッドから飛び降り、昨日買っておいてそのまま放置した硬くなったパンを一欠片口に放り込みながら下着を履く。
そして適当に丈の短いパンツとチュニックを身に纏い、意気揚々と家を飛び出した。
「おーイ。エステルー」
言いながら、ごんごんと一室の扉を叩く。
しばらくしてから、扉が開く。中から現れたのは、目の下に不健康そうなクマを作ったエステルだった。
「……何です? 私今、追いかけてる作家の新刊を読破中なんです。用事ならまた——」
「なア、図書館行かないカ?」
「……は?」
「は、じゃないガ。行くか行かないかを聞いてるんだガ。それとも何カ? 私が図書館行ったらおかしいカ?」
少し考え込む。そして、ちょっと待っててと再び家の中に引っ込んでしまった。
閉じた扉の奥では、何やらごとごとと物音が聞こえてくる。その音もしばらくすると止み、また扉が開く。
「……さあ、行きましょうか」
再び現れたエステルの手には、大きな包みが握られていた。わずかに開いた隙間からは、本の角がちらりと覗く。
どうやら、図書館で読書の続きをしようという事らしい。
「ふふン、話のわかる奴ダ、お前ハ」
昼前のギラつく日差しを頭に浴びながら、二人並んでてくてくと歩く。そしてふと、エステルが少し先を歩くマカナに話しかけた。
「ねぇ、マカナ」
「ア?」
「なんでわざわざ私を誘ったんです?」
「あア。私結構図書館行くんだけどナ。図書館行こってなったラ、そういえば本好きな奴いたなってなってナ? それでダ」
「はあ……」
分かったような分からないような返事をする彼女に、マカナはくるっと振り向いてはにかんだ笑顔を見せる。
「それにナ、一人で本読んでるよりカ、誰かと読んでた方が楽しくないカ?」
「う……」
「なんダ、うっ、テ! 嫌だってのカ!」
「そんな事、一言も言ってないですよ。ほら、行きましょう」
内心、ちょっと可愛いと思ってしまったエステル。前髪の髪飾りに手をやってから、照れ隠しにマカナの体を前に向かせた……という所で、道の向こうに何かを見つける。
「オ、あいつらダ」
道の先に居たのは、いつもの如く二人並んで歩いているセルマとメナドだった。
当然のように手を繋いでギルドの方へと歩いていく彼女らを見て、マカナが再び後ろを振り向いてにかっと笑う。
「よシ、私らもあんな感じで行くゾ!」
「あんな感じってな……きゃあ!」
口答えなどさせる暇も与えず、エステルの青白い手をとる。そして、図書館への道を笑いながら駆けて行った。
やがて、目の前に目的の場所が見えてくる。その頃には彼女の肌は真っ赤に燃え上がり、額から滝のような汗を流して肩で息をしながらえずいてしまっていた。
「ぜぇ……ぜぇ……うげっほ、おぇっ」
「オマエ、冒険者の割に体力無いナ……」
「あなだが……! 体力オバケなんでず……!」
図書館への扉を開け、半ば瀕死の状態の彼女を引きずるようにして入っていく。そして目に付いた一番近い椅子にどかっと座らせた。
「読むもん持ってくるかラ、待っててくレ」
「ぜぇ……はひ……」
椅子にもたれかかり、溶けたスライムのように脱力する。そして、脇目でマカナの進んでいく先をちらりと見やった。
彼女が居るあたりの本棚には、古めかしい歴史や伝説が記録されている、人によっては眉唾物と吐き捨ててしまいそうな胡散臭い本が詰まっていた。その中の何冊かを引っこ抜き、エステルの向かい側に座って本を開く。
「ふゥ。さテ……」
そして更に、慣れた手つきで懐からメガネを取り出して装着し、埃を被った分厚い本に向き合う。
そのいつもとはかけ離れた彼女の姿に、エステルは思わず目を疑った。
「……なんダ。じろじろ見テ。ここで見るべきは本だろガ」
「い、いえ……あなた、本とか本当に読めるんだなって……メガネまでかけて」
「私だって本くらい読めル。オマエ、私の事どう思ってたんダ?」
「えーと……野を駆けて獲物を狩って、焼いて食べてそうだなあ、と」
「ぶっ殺してやろうカ?」
少しだけ眉間にしわを寄せ、溜息をついてからまた本に目を落とす。その真剣な眼差しに、本の虫であるエステルはそれ以上茶々を入れる事など出来なかった。
代わりに、彼女には似つかわしくない本に興味が行く。分厚く厳しい、埃まみれのこの本が似合う人間など学者ぐらいのものだ。
「何読んでるんです? 探し物ですか?」
「……場所を探してル」
言葉少なにそう返す。
情報の少なさにじれったくなったのか、エステルは立ち上がり、マカナの隣へと席を移って本を覗き込む。
そのページには、世界のどこかにあるとされる秘境やら秘宝やらが羅列された、殆ど夢物語のような内容が書かれている。
そして、マカナの視線はその一点に集中していた。
『忘られの原』。それが、彼女の支線を釘付けにしている文字列だった。
「忘られの原……? なんです、これ」
「……なんでモ、絶滅しかけた魔物やら植物やらが最後に行き着く、野生の安住の地らしイ。私はここに行ってみたいんダ」
「へぇ……ここに、何かがあるんですか?」
「いヤ、返しに行くんダ」
「返す……?」
何となく違和感を覚え、その言葉を繰り返す。すると唐突に、マカナが、持っていた本をぼん、と閉じて、独り言の様に呟いた。
「見つけられるかナ……」
マカナの目が今までとは違う少し自信のなさそうな、年相応の少女が見せる気弱なそれに変わる。
それに少し戸惑いながら、エステルは薄く笑って答えた。
「まあ、その内見つけられるんじゃないですか? 一緒にあちこち旅してみれば、きっと」
その言葉に、今度はマカナが戸惑いを見せる。
「あ……手伝ってくれるのカ? こんな、本当かどうかも怪しい言い伝えだゾ?」
「うん? だって、冒険者ってそんなもんじゃないんです? それに、同じパーティですし」
ぽかん、と口を開け、少し頷くのを繰り返す。まるで脳内で
彼女の言葉を噛み砕いている様だ。
そして、飲み込み終えると再び尖った白い歯を見せて笑う。
「オマエ、変わってんナ」
「類は友を呼ぶんですよ」
「そっカ。じゃあ、これから遠慮なくオマエを振り回すかラ、ヨロシク……ナ?」
「それこそ、今更ですよ。あ、それと……にゃっ」
「ア?」
エステルの表情が途端にぎこちなく固まる。時折猫の様な鳴き声をあげているのを、マカナが神妙な面持ちで見守っていた。
「にゃっ……にゃっ……て……!」
「あン? とうとうバカになったカ?」
「ち、ちが……! その、めが……っ!」
「メガ?」
「ああ、もう! そのメガネ、似合ってるって言いたいんですッ!」
「おア……!」
褐色の肌に、みるみる内に朱が差していく。ページをつまんでいた手は、今は恥ずかしさを紛らわす様に上着を掴んでいた。
「や、やめろよナ……急にそういうこと言うノ。恥ずかしイ……」
「こ……この前のお返しですよ。髪留めの」
「そ、そカ」
それっきり、二人は喋らなくなった。ただ、妙に早くページをめくる音だけが図書館内に響き渡っていた。
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