六十話 ラクロワとミコト
この作品で言う黒級はみんな化け物です。人間じゃないです。
それはそうと、今回は戦闘シーンを頑張りました。
「ここに居たのですか。探しましたよ、ミコト」
ここは普段、街の少女達で賑わうお菓子のお店。
甘い香りと楽しげな雰囲気で包まれてあるべきこの場所は、今は壮絶な殺気で満ち溢れていた。
職人のクリームを絞る手は震え、客の持つティーカップは可哀想に震えている。
「どうしたんだい、そんなに怒って。みんな怯えているよ?」
その中で唯一平静を保っている、目を包帯で覆った女性、ミコト。
湯気の立つ緑色のお茶が入った縦長のティーカップを手に持ち、白く丸いお団子をゆっくりと頬張っている。
「うーん、ここのお菓子は美味しいねえ。ラクちゃんもどうだい?」
「結構です。先日の事で少し話が」
「先日……? おっぱい揉んだ事まだ怒ってるのかい? 良いじゃないか。なんなら私のを揉んでおあいこに——」
たゆん、と揺れる自身の胸を持ち上げるも、殺気は更に鋭くなる。厨房の奥では、人の倒れる物音が響いた。
「そんな事で怒っているのではありません。あなたのその癖には、遠い昔にもう慣れました」
「じゃあ何だい? お団子食べる?」
「衰えた……あなた、私にそう言いましたね」
ラクロワの金色の瞳は、今や磨き抜かれた槍の様に尖っている。
それを受けてぴたり、とお団子を食べる手を止め、ゆっくりと立ち上がった。
「言ったねえ。ああ、言ったとも。事実だろう? 引退してギルド長なんかになって、毎日机仕事で衰えていない方がおかしくはないかい?」
ミコトの決して大きくはない体軀から、殺気がゆらりと立ち上る。厨房の奥からは食器の割れる音が響き、客の何人かが泡を吹いて倒れ込んだ。
それを横目で見やるラクロワは、静かに口を開いた。
「来なさい。いつものあの場所へ」
「ああ、良いね」
ちゃりん、と代金を置き、擦り切れた外套を翻して店を後にする。
二人が辿り着いたのは、ギルドの裏手にある、山の木々を切り拓いて作った今は誰も使わなくなった練習場。
ぼろぼろの木人形には小鳥が止まり、練習用の武器置き場には蜘蛛の巣が張っている。
その真ん中に立つミコトはすん、と軽く鼻を鳴らすと、薄く微笑んだ。
「うん、懐かしいね。何も変わらない。あそこの休憩所は、まだあるかい?」
彼女が指差す先には、埃を被った屋根付きの腰掛け。ええ、と答えると、また微笑んだ。
「懐かしいなあ。昔はそこで、よく君とティティちゃんとでお弁当を食べたねえ。色とりどりの、綺麗なやつを。そういえばティティちゃんは元気かい? まだ彼女に朝起こしてもらってるのかな?」
「……昔を思い出すのはもう良いでしょう。構えなさい」
おもむろに白衣を脱ぎ捨てる。肌にぴたりと張り付く様な薄手の服から覗く、剣士にも引けを取らない逞しい腕。その肌には、無数の幾何学的な文様が刻み込まれていた。
「しッ」
細かく鋭い息を吐き、ミコトがいる方向に正拳突きを打ち出す。
——直後、練習場に嵐が吹き荒れる。
地面は捲れ上がり、後ろの木々の間を通り抜けた衝撃が木の葉を吹き飛ばして幹をへし曲げた。
土煙を巻き込んで形を表した衝撃がミコトを飲み込まんとするその直前、鋭い金属音と共に目の前まで迫ったそれが二つに割れる。
彼女の居た辺りを分岐点に地面は三叉路の様に抉れ、遥か遠くの森までを削り取ってようやくかき消えた。
辺りに再び静寂が訪れ、静かに対峙する中で、杖を握る右手をふりふりと振って見せる。
「……あっはは。手が痺れちゃうや。腕の付呪印、書き足したのかい? 大した魔法だよ」
「私からしたら、あなたの剣技こそ魔法に見えますが」
「昔から私にはこれしか無かったからね。君といいティティちゃんといい、器用な使い手ばっかりだからこれくらい鍛えないと霞んじゃうよ」
ラクロワの突き出した右腕では、肩口までの幾何学模様が怪しげに光を放っている。
文様を刻んだ物質を強化する付呪という魔法体系を極め、更にそこへ体術を組み込んだ彼女だけのスタイル。
元黒級冒険者、『呪拳のラクロワ』の由来である。
「どうせ大して堪えていないのでしょう? 来なさい」
半身に構えて腰を落とし、手刀をミコトへと向ける。
それに合わせて、ミコトも杖の持ち手に手を掛けた。
「ああ、これだよねえ。この感じ……」
「ええ、懐かしいですね……」
——血が滾る……!
微笑みが交錯したその刹那、動き出したのはミコトだった。
軽く膝を曲げて踏み込んだ直後、その姿はこの世界から一瞬姿を消す。
その瞬間を目視したラクロワが軽く体を引くと、突如現れた弧を描く剣筋が首の皮一枚を削り取った。
その次は太ももを、その更に次は手首を。
何も無い空間から現れた剣筋は、的確に人体の急所を狙って閃く。
瞬き程度のその間に、およそ千は下らない数の銀色の閃光がラクロワを襲う。
「しゃあッ!」
その全てをかわし切った彼女は、目の前の空間に全力の手刀を置く。
その圧で神速の歩法を阻害されたミコトは、再びこの世界に姿を表した。そのまま振り下ろされる手刀が、その顔面に迫る——
「はぁッ!」
——その間際、ミコトは体を前のめりに倒し、そのまま中空で前転、手刀を受け流した。返す刀で恐るべき遠心力を乗せた踵を振り落とす。
「えぇあッ!」
それを待ち構えていたかの様に手を伸ばし、ふくらはぎを右手で迎撃し、鷲掴む。そして彼女の体で地面を叩きつけるべく、踵を回して後ろを向き、振りかぶる。
「うぅンりゃああああッ!」
咆哮と共に、右腕全ての付呪印が光を放つ。
そして、ミコトの体は地面に着弾した。
轟音と共に地面はへこみ、方々にひびが伝播する。投げっぱなしにされた彼女の体は、ラクロワの目線の高さまで跳ねた。
「ごぼッ……」
明らかに内臓からのものであろう出血が宙を舞う。
右腕の付呪印を総動員した必殺の一撃。それを叩き込み、彼女の心にほんの少しのわずかな時間、油断が生まれる。
にやりとほくそ笑み、鮮やかな身のこなしで態勢を整え、その手に杖を握りこんだ。
「剣士の両腕を、自由にするのは頂けないね……」
「……ッ!」
鍔が鳴り、剣筋が奔る。
ラクロワの左胸から右脇腹にかけてを駆け抜けたそれは致命の轍を肉に刻み込み、血飛沫を舞い散らす。
その勢いに体を押される様に背中から倒れこみ、ミコトもまた中空から受け身もとらず地面に激突する。
二人の間に口と腹から湧き出した血溜まりが繋がって、凄惨な血の池を作り出した。
「く、げぼっ。くくくくく……」
「ふふっ、がひゅっ。ふふふ……」
常人なら立ち上がれない、それどころか二回死んでお釣りがくる程の傷。それを身に受けて尚、二人は笑い声を上げる。
「くくく……ごめんよ、衰えてるなんて言って。ちっとも衰えていなかった。それどころか、昔以上かも」
「ふふふ……分かって頂けたなら、ぶぐッ、結構」
「結構? やめちゃうのかい?」
「……どう、します?」
一瞬の沈黙の後、二人は再び立ち上がって相対する。
深々と刻まれた傷からは血が滝の様に流れ、体に巻かれた包帯の隙間からは青紫の痣が広がっている。
しかし、そんなことは彼女たちを止める理由にはなり得なかった。
「くはははははッ!」
「あははははあァッ!」
狂った様に笑い、ぶつかり合う二人。
お互いを確かめ合う様な死闘は、未だ終わらない——
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