五十九話 自信
隙あらばいちゃいちゃ
「黒の、冒険者……!」
へらへらと笑う彼女を中心に、様々な感情が渦巻く。
畏敬、羨望、嫉妬。
それらは人によって色々だが、大多数が抱いていた感情は、疑問だった。
「な、なんでそんな人がここに……?」
黒の階級ともなれば、その力は人知を超えている。ともすれば、国家間の戦争に即時投入出来る兵器にもなり得る力を秘める彼らは、常に下の階級の冒険者のいる迷宮や秘境が託児所に見える程の魔境に挑んでいる。
そんな彼らが、辺境の街の冒険者ギルドに顔を出す。それは只ならぬ事態を暗示している様だった。
「いやあ、風の噂でね? この街の冒険者ちゃん達は随分と筋が良いって聞いたんだ。いずれはもっと上、ともすれば黒にまで上り詰めちゃう様な逸材が、何組か……」
ちらり、とセルマとメナドを覆い隠された両目で見やる。
存在しない筈の視線が全身を貫く。先程まで依頼人から晩飯をたかっていた人物とは思えない、舐めまわす様な粘っこい視線。
「だからね、私は後進を育てに来たんだ。最近は同期がどんどん引退しちゃって寂しいからさ」
「育てに……?」
「うん。まあ、楽しみにしててよ」
そう言うと身の毛もよだつ様な気配は夢の様に消え去り、近くで訳もわからず固まっていた依頼人の女性の手を取る。
「お待たせ。じゃ、ご飯食べに行こうか」
振り返ると、彼女が向いている先の人集りがざあっと左右に割れ、その間を戸惑いながら歩く依頼人に手を引かれ、鼻歌を歌いながら広場を出て行く。
その様に眉間にしわを寄せてやれやれと首を振るラクロワが、セルマ達に向けて口を開いた。
「随分と気に入られてしまった様ですね。あの様子だと、大迷宮を踏破したのが貴方達だと気付いているでしょう」
「わ、私達、何かされちゃうんですか?」
「そんな事、分かれば苦労しません。まあ害になることはしないでしょうから、お気を付けて」
そう言って彼女は白衣を翻して建物の中へと戻って行く。辺りの人集りも、どよめきを孕みながら散り散りになった。
セルマ達も同じく、興奮と僅かな不安を連れて家路に着くのだった。
自宅——
家に帰ってきた彼女達は、そのまま吸い込まれる様にソファに腰掛ける。そして、セルマがぼんやりと口を開いた。
「黒かぁ……」
「どしたの?」
「うーん……」
ただ天井を見つめ、気の抜けた様な声を漏らす。やがて、目をメナドの方へと下ろした。
「私達って、どこまで行くんだろうね」
「どこまでって?」
「冒険者章の事。今の銀でも十分凄いんだよ? たまに新聞とか載っちゃうもん」
実入りも多い分危険も少なくない冒険者稼業では、銀で上等金で安泰。それ以上を望まず昇格をしない者もいる。セルマも心の片隅ではそう思っていた。
このまま二人で、ゆるゆると生活できればいいのかも、と。
上昇志向の強いメナドは、そんな彼女の弱気を鋭敏に感じ取る。
「あんた、このまま銀とか金とかで良いって思ってんの?」
「うーん……分かんない。でも、ミコトさんみたいに強くなれる自信は無いなあ」
腑抜けた言葉が口から漏れる。瞬間、メナドの小さな体がセルマを押し倒した。
「ふゃあ!」
目の前に小さく星が散る。それが晴れた向こうには、難しい顔をしたメナドが馬乗りになっていた。
「あんたって、定期的に弱音が出るわよね。これまでいっぱい頑張ったのに、それをやめにしちゃうの?」
「だって……自信無いよぉ。横目でちらっと見てたけどさ、ミコトさん、目が見えないのにあんなに強いんだよ? あれが黒の普通だったら、私きっと……」
「もー! 何でそんなに自信無いの! 大丈夫よ、私達なら! どこまでだって行けるわ!」
そう言いながら、頰を手のひらで挟む。ふぐう、と声を漏らし、そしておずおずと尋ねた。
「むにゅ……逆にさあ、何でメナドちゃんはそんなに自信満々なの? 羨ましいよ、そういうとこ」
「ふうん、そう見える? あんたのお陰なんだけどなあ」
「私の?」
「そ。初めて会った時、私何考えてたと思う?」
その質問に、こめかみに指を当ててうんうんと唸り考え込む。
「初めてって、ギルドのベンチのとこだよねえ。確かに何だか難しそうな顔してたっけ。お腹空いてたの?」
「ふふっ。あの時はね、ギルドの依頼も受けられないから半分ヤケになってて、歓楽街ででも働いちゃおうかなって思ってたの」
「かんら……だ、だめーっ!」
悲鳴を上げ、胸の上にまたがる彼女を両腕で胸に抱いた。その小さな顔は、完全に胸の谷間の中に埋まってしまっている。
その狭間から顔を覗かせながら、軽く微笑んでさらに続ける。
「……ぷはっ。そんなトコにあんたが来てさ、頭ん中お花畑な感じで」
「あ、ひどい!」
「あははっ。声かけられた時、ちょっと嬉しかったわよ。まさか、その場しのぎでも私を必要としてくれる人が来てくれるなんて思わなかった」
「そんな顔じゃなかったけど」
「機嫌悪かったのよ」
そこまで言って少し照れくさくなったのか、再びセルマの胸に顔を埋める。そして二、三深呼吸をして、また目を合わせた。
「それでね、あんたが私をあんまり頼りにしてくれるから、つい自信を持っちゃうのよ。私の自信の源はセルマ、あんたなのよ」
「あ……! え、えへへ……なんか照れるなぁ」
「ホントに今更よ。私って、あんたが思ってる程自信家じゃないもん」
よじよじと体を上にずらし、お互いに息が掛かる程の距離まで顔を寄せ合う。そして、静かに囁いた。
「私は、あんたの自信の源にはなれてない?」
顔を背け、少し恥ずかしそうに頰を染める。それを見るセルマは胸の奥の、もっと深いどこかに熱い何かが込み上げてくるのを感じた。
「……もうちょっと、頑張れるかも」
「そう来なきゃ。でも、無理はダメよ? 今度私、防御魔法とか覚えてみるから。あんたの負担を——」
満足げに呟き、胸の上から退こうとする。しかし、少し体を浮かせた瞬間に手が背中へと回り込み、また胸の中へと引き戻されてしまった。
「ぷえ! ちょっと、セルマ?」
「もうちょっとだけ……また私が自信無くなっちゃったら、こうやってぎゅってして良い?」
「しょっちゅうしてるじゃないの。ぎゅーだのちゅーだの」
「それとは違うの! これはもっと、えーと……特別なぎゅーなの! 良い?」
「はいはい。自信が有るときも無い時も、いつだってどうぞ」
「じゃ、遠慮なく……」
メナドはセルマの肩に顔を預け、セルマはその首筋に顔を突き出して彼女の香りを胸一杯に吸い込み始めた。
漏れる吐息が肌を撫でる度に、小さな体がぴくりと跳ねる。
「ん……ちょっと。ヘンタイっぽいわよ」
「遠慮なくって言ったもん」
暮れた陽が沈んで月が薄く明かりを放つ頃になっても、二人はソファの上で与え合っていた。
部屋に響く音は、ソファの軋む音と吐息だけ。
夜の街から人通りが消え失せ、人々の足音の代わりに木の葉の擦れる音とフクロウの鳴き声が聞こえ始めた頃、ようやく二人は眠りに落ちた。
「くうう……ぐう」
「ふわあ……あ、メナドちゃん、まだ寝てる」
明け方、セルマが目を覚ます。いつもより少し早い目覚めだったが、いつもより力が漲っている。
それを与えてくれた彼女は、まだすやすやと眠りについていた。
「よいしょ」
頭と足を優しく抱え上げ、二階の寝室へと連れて行こうとする。
「ふんん……」
「あ、起きちゃ……」
一瞬ぼんやりと目を開けたが、口元をむにゃむにゃとさせて、一言だけ言い残してから眠りに落ちる。
「きょうも……いっしょ……がんばろ……」
「……うん。頑張ろうね」
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