四十三話 親公認
なんだかぶっ飛んだ内容になってしまいました。皆さん引いてしまわれないか心配です。
外に登る日は高く、昼食をとるには丁度いい時間。どこの家も台所が騒がしくなる中、この家、セルマ・メナド宅はより一層の騒がしさを見せていた。
台所には、シオンとメナドの二人がエプロンを着けて並んでいた。時折、シオンがメナドの料理に物言いをつける。
「メナドさん。具はもう少し大きく切って下さい。あの子は大きめの具が好きなんです」
「は、はい!」
返事と共に、ナイフがまな板を叩く速さが増す。その様子に、シオンはにんまりと満足そうに笑みを浮かべた。
「シオンさん、なんだか楽しんでないですか?」
「だって、こんなに可愛らしい方が娘の為に料理を教わっているのですよ? これが楽しくなくてなんなのです——あ、塩は少し少なめで」
「はいっ」
言われた通りにてきぱきと動き、そつなくこなす。その手際の良さにシオンも感心している様だ。
「まあ、すごく手際が良いのですね。普段からお料理を?」
「ええ、セルマと当番制でしてますよ」
「ふぅん……」
まな板を真剣な目で見つめる彼女に、ねっ……とりとした視線を送る。横顔、髪、体に至るまで全部。
「ふう。あとは煮込むだけですね」
「ええ。しばらくは放置で大丈夫です」
やがて、シオンの血管の浮き出る様な白く、薄い皮膚の手がメナドの頰へと伸びた。
「ひやっ! し、シオンさん? 危ないです!」
「んふふ。改めて見ると、メナドさんって本当に可愛い。セルマが好きになっちゃうのも分かるわ……」
さらさらと頰を撫でる指が、すうっと髪に伸びる。指の間をするりと髪が通り抜ける感覚を楽しみながら、シオンは屈み込み、薄く赤みがかった耳に口を寄せてふうっと息を吹きかけた。
「はひゃあっ!?」
ぞくりと背筋を駆け抜ける感覚に、思わず腰を抜かしてぺたんとへたり込む。そんな彼女が次に仰ぎ見たのは、舌舐めずりをして自分を見ているシオンだった。
「メナドさん。娘とはどこまで行ったんです?」
「ひえっ!? どこまでっていうのは……」
「もう、おぼこいんですから。ほら、キスとか、それ以上とか……」
シオンの吐息に熱がこもっていく。へたり込み、蛇に睨まれた蛙の様に硬直するメナドの肩をとんっと押すと、いとも簡単に倒し、体の下に組み敷いてしまった。
「あ、あわわ……」
「んふふふ、お目目をまん丸にして、驚いた顔も可愛らしいですわ。普段はきりっと凛々しいお顔立ちだから、きっとその落差が良いのでしょうね?」
いつのまにか、彼女の手はメナドの服の下に滑り込んでいた。冷たく滑らかな指の感触に、思わず身悶える。
「だ、だめです! だって、向こうにセルマが……」
「大丈夫ですわ。ほら」
ついっと指を指した先には、窓からの日差しの中で猫の様に丸くなって昼寝をしているセルマの姿。
「ね、寝てる!」
「ね? 今なら大丈夫です。だからほら、お顔をよく見せて?」
何が大丈夫だというのか。
突き飛ばそうとしても体格差がある上に、開いた足の間に膝を立てられ、身動きが取れない。もそもそともがいている間にも、指を絡め取られて一切の動きを封じられてしまった。
「娘が羨ましいわ。私も十年若ければなぁ」
「じじ、十分お若くて綺麗です!」
実際綺麗で、二十代と言われても何ら違和感が無いのでお世辞では無いのだが、今この状態では命乞いにしか見えない。
「まあ、嬉しい。さあ、そろそろ覚悟はいいですか? 目を閉じて……」
「ふ、わあ……」
ふわりと甘い香りを漂わせながら、どんどん距離を縮めていく。やがて鼻の頭が触れ合うほどに近づいた。
もはやこれまでと、きゅっと身を縮こまらせて固く目をつぶり、なすがままのポーズを取る。
「……!」
五秒経過。
——じ、焦らされてる? うう、セルマぁ……あんたのお母さんサキュバスかなんかなんじゃないの……!
十秒経過
——まさかセルマのお母様に襲われるなんて……でも、セルマそっくりのすごく美人……いつかはセルマもこんな風に……。
二十秒経過。
——いや、遅くない? でも、ここで目を開けたらなんだか私が求めてるみたいでなんか……。いや、でも……。
恐る恐る、うっすらと目を開ける。ぼんやりとした瞳に光が差し込み、目の前の輪郭が徐々にはっきりしてきた。
そこにあったのは、頰をぷくっと膨らませ、赤い顔で涙を浮かべながらぷるぷると肩を震わせるシオンであった。
「……な、何してるんです?」
そう尋ねられると、顔をそらして勢いよく息と共に笑いを吹き出した。
「ぶ、ぶふっ! ごめんなさい、あなたがあんまり可愛らしかったからついからかいたくなっちゃったの……ぷ、くく」
「は、はああ!?」
「ご、ごめんなさいね。幾ら何でも娘の大事な人にイタズラしたりしないですよ……う、ふふふっ!」
清楚に笑い、スカートを整えて立ち上がって鍋を見やる。ことことと音を立て、二人が遊んでいる間に食べ頃になっていた。
「さ、食べましょうか」
鍋つかみを手にはめ、ほこほこと湯気を立てる鍋を持って居間へと去っていく。その後ろ姿を、夢でも見ているかの様な顔でぽけっと見つめるメナドであった。
「はむはむ……おいしー!」
「あ、ほんとだ。美味しい……」
セルマを起こし、少し遅めの昼食をとる。作っていたのはクリームシチューだ。じゃがいもを入れず、肉は豚のものを使うのがアマランサス家流らしい。
「お気に召していただいて光栄です。セルマが今日のご飯何でもいいって言った時は、雑にこれを作ってあげれば喜ぶはずです」
「あー! この子たまに何でもいいしか言わなくて困ってたんです! 参考になります!」
わいわいとみんなで鍋を囲み、取り分け食欲の旺盛なセルマの猛攻もあってすぐに底をついた。満足そうにお腹をさするセルマを見て、頃合いを見計らったシオンは静かに腰を上げる。
「さて、未来の家族に私の味も伝授しましたし、お暇しましょうか」
「帰られるんですか?」
「しばらくはこの街でぶらぶらしてますので、また会うかも知れませんね。その時はよろしくお願いします」
よいしょと立ち上がると、ふと思い出した様な顔でメナドに話しかける。
「そうだ、十字架! 最後に十字架に祈りを捧げてから帰りましょう」
「え、十字架ですか?」
「ええ、セルマが家を出るときにあげたんです。重いから馬車で運んでもらえって言ったのに、この子ったら力持ちだから……で、どこにあります?」
うーん、としかめっ面で顎に指を当て考え込む。今までセルマが十字架に祈りを捧げている場面などにでくわしたことが無いからだ。十字架そのものになら覚えはあるが。
とりあえず、日頃世話になっているそれを案内するのがいいだろう。そう考えた。
「ええと……玄関の辺りです」
「え、玄関?」
セルマに一声かけてから同じく席を立ち、十字架の下まで困惑するシオンを案内する。
「これです」
「……どれです?」
メナドが指差すのは、セルマの冒険用のロープが引っ掛けられた、所々黒ずんだ柱状の物体。
ばさっとそれを剥ぎ取ると、セルマがいつも振り回している十字架が姿を現した。
度重なる戦闘のせいで塗装は剥げ、へこみも目立つ。十字架というにはあまりにもむごい有様だが、それを見るシオンの顔もまたヒドいものだった。
「あ、え……これは?」
「セルマの武器……ですかね」
「ぶっ、武器! これが!?」
所々血のシミが付いているそれをまじまじと眺め、深い深いため息を一つ。そして、メナドに遠い目を向けた。
「……娘をよろしくお願いしますわね。その、色々と」
「はあ……」
そう言うと、よろよろと歩き出して扉を開けて閉めもせずに出て行った。
「……はあ」
瞬間、どっと疲れが溢れ出す。緊張しきりという事もあったが、セルマ同様癖の強い人物であった事の方が割合が多いだろう。
一息つき、日光ががんがんに入ってくる開けっ放しの扉を閉めようとノブを握ろうとした、その瞬間。
「わああっ!?」
背後、居間の方から声がした。セルマの声だ。何かがあったのかと、急いで振り向く。
「セルマ!?」
返答がない。代わりに、どたどたと慌てた様な足音が近づいて来た。直後、遠くの方から肌色が迫ってきた。
びりびりに破けた布切れをいくつも纏い、ばるんばるんと揺らしながら近づいてくる……満面の笑みで。
「ぶにゅ!?」
「戻った! メナドちゃん戻ったよぉ!」
ほとんど全裸の体で、ぐにぐにとメナドを抱きしめるセルマ。どうやら元に戻った様だ。
「はあ……心配かけてごめんね、でも、もう大丈夫だよ!」
「大丈夫じゃないわよ! 服! 服! はだか!」
「ええ? 服ならメナドちゃんがくれたじゃん」
「気付けよ! すーすーとかするでしょ!」
その後しばらく二人で漫才を繰り広げ、全裸の自分と開けっ放しの玄関に気付いたセルマは真っ赤な顔で部屋に駆け込み、もうお外に出れないなどと喚きながら枕を涙で濡らしたのだった。
シオンお母さんは若い頃、数多の女性冒険者を手玉にとって泣かせてきたという過去があります。




