四十二話 セルマの過去
セルマのお母さんだし絶対なんかえっちですよ
ちゅんちゅんと朝を告げる鳥達のさえずりと、瞼を照らす麗らかな日差し。そして胸を温める幼い寝息という贅沢三昧な睡眠をむさぼるメナド。
むにゃむにゃと眠る彼女の脳内に、ふとある事実が思い出される。
今日はとうとうセルマの母親が訪ねに来る。その日の朝だ。
「……はっ! な、何時!? 今何時!?」
がばっと飛び起き、目をこすって時計を見る。昨日少々はしゃぎ過ぎたせいか、朝というには少し遅めの時間だ。
慌ててベッドを降りようとしたところで、セルマの寝顔に目が止まる。
「すやぁ……すやぁ……」
幸せそうな寝息を立て、安らかな寝顔をしているセルマ。恋人としての愛おしさと、まるで自分が姉になったかの様な肉親特有の愛おしさが胸を一杯にした。
「はああ、セルマ……」
思わずがばっと寝ている彼女を抱きしめ、年の割には豊かな胸に顔を埋めて肺が膨らむ限り深呼吸した。
「ふはあ。やる気出てきた」
心身共に、やる気に満ち溢れるメナド。満足した所で、眠りこけるセルマをゆさゆさと起こし始めた。
「ほら、起きなさい。朝よ」
「ふにゅ……あしゃ?」
寝癖爆発、くりくりとした金髪を揺らしながら体を起こす。木漏れ日の中、まどろみから解き放たれた妖精。メナドの目にはそう見えた。
思い切り抱きしめたい衝動を抑え、ベッドから下ろして髪を整える。
姿見の前に立たせて櫛で髪をとかすとさらさらと流れる川の様に微塵も引っかかりがない。
「どう? 痛くない?」
「うん!」
やがて身支度を整えて、一階に降りて朝食を作り始める。その後、洗い物やらをこなしている内にすっかりいい時間になってしまった。
ぶつぶつと何かを呟きながらソファに座るメナド。その膝を枕にするセルマが、不思議そうな顔で彼女を見上げる。
「本日はお日柄も良く……いやいや、娘さんとお付き合いさせて頂いている……ちょっと安直かしら」
「おねえちゃん。さっきから何言ってるの?」
「この世で最も難しいスピーチの練習よ」
「?」
その後も、呪詛を放つ様な険しい顔でぶつぶつと呟き続けた。しかし、それを一瞬でかき消す威力のある音が二つ、玄関から聞こえてくる。
ごん、ごん。
ごめんくださぁーい……。
間延びした声が、扉を叩く音に遅れて部屋に届く。威圧感など欠片もないその声に、メナドの心臓は跳ね上がった。
「は、はいいっ! セルマ、ここに居てね!」
セルマをゆっくりとどかして立ち上がり、服を整えて玄関へと走る。扉の前に立ち、ノブを握るといつも何気なく手にしているそれが異常に重く感じた。
手首をひねり、そっと扉を押す。すると、さらさらと流れる銀色の髪が目に入った。見上げると、にこにこと微笑む細い目と視線がかち合う。
「はじめまして。シオン・アマランサスです。ええと、あなたは……そう、メナドさん?」
物腰柔らかに名乗る女性。若々しく肉感的な体を持つ彼女は、とても一児の母には見えない。少なくとも、メナドは姉か何かと言われても分からないと感じている。
「は、はひっ。メナド・グラジオラスです! そそその、娘さんとは、そのぉ……」
「良いんですよ、緊張なさらなくて。上がっても?」
「はい、ど、どうぞ!」
家主の了解を得てしゃなりとした動作で靴を脱ぎ、並べ直して家に上がる。その間の沈黙ですら緊張を煽るのか、メナドが口を開いた。
「あの、なぜ私の名前を?」
「ああ、セルマがたまにお手紙をくれてまして。あの子ったら、最近はあなたの事ばっかりなのよ? ……ところで、そのセルマはどこに?」
「うッ」
もはやこれまで。観念したメナドは、覚悟を決めて居間へと声を飛ばす。
「セルマ、おいでー」
「おいで?」
その呼び方に若干の違和感を覚えるシオン。直後、そんな違和感などどこかへ吹っ飛ぶ様な光景が目に飛び込んでくる。
「おねえちゃん、なーに——あ、ママだー!」
とてとてと歩いてくる我が子を、殆ど条件反射で屈みこんで胸に抱く。その懐かしい感覚も、今となっては大問題だ。
「あ、あの……これは、なんていうか……どういう事かしら?」
「ご、ごめんなさいッ!」
メナドは洗いざらい全て話した。自分をかばって呪われた事、その呪いのせいでこのような幼い姿になってしまった事。対するシオンは、つっかえつっかえに話すメナドを穏やかに見つめていた。
「という、訳なんです」
「そうでしたの……その、大変でしたわね」
「へっ?」
労うような声色がメナドの耳に届く。想定していたような厳しい返答ではなく、拍子抜けした彼女の口から間抜けな声が漏れる。
「お、怒らないんですか?」
「何をです? 冒険者なのですから、このくらいままある事です。むしろお礼を言うのは私の方。こんな状態のセルマの面倒を見てくれて、ありがとうございます」
深々と頭を下げるシオン。それを、両手を伸ばして大慌てで制した。
「あわわわ……や、やめて下さい! パートナーなんですから、当然です」
「まあ、パーティではなくてパートナーですか。うふふ、あなた本当にセルマを好いてくれているのね」
「ママ、おねえちゃん。なんのおはなししてるの?」
そう尋ねるセルマに、シオンはにっこりと微笑んで答えた。
「このお姉ちゃんが、セルマの事をだーいすきだって事」
「ほんと!? セルマもね、おねえちゃんのことだーいすきだよ!」
アマランサス親子の悪意なき攻撃。メナドの顔面はもはや爆発寸前だ。それを誤魔化す様に、ひっくり返った声で話し出す。
「あ、あの! 立ち話もナンですし、奥へどうぞ!」
「あら、そうですね。それでは、失礼して……」
しゃなり、とたおやかな仕草で靴を脱ぎ、向きを揃えてから家へと上がる。時折覗く横顔にセルマの面影を見たメナドは、ドギマギとしながら奥へと案内した。
「まあ、立派なお家。それに—–」
きょろきょろと辺りを見回す。メナドの小難しい本と、セルマの手芸や料理のレシピ本が一緒くたに詰められた本棚。飾りっ気のない食器の隣には、可愛らしい装飾がされた食器が。
二人の私物が一体に溶け込んだ、まさに二人のテリトリー。それを見るシオンの顔は、幸福感に満ち満ちていた。
「んふふ……まるで旦那様と奥方のお部屋の様。どちらかと言えば……あなたがお嫁さんかしら? メナドさん」
「せ、セルマと同じ事言わないでください!」
「あはは、およめさーん!」
ぷんぷんと手を振りながら、器用に恥ずかしがりつつ怒るメナド。その頰に、シオンがひたりと手を当てる。
「ふやっ」
「ねえ、メナドさん。いいお嫁さんの条件ってご存知かしら?」
先程までとは一転して、値踏みをする様な粘っこい視線がメナドの全身に絡みつく。それに気圧され、黙っている彼女の顔のすぐ側、鼻の頭同士が触れ合うほどに近づいた。
「あ、あの……何を……?」
「んふふ、あなたは私の娘の一生の伴侶なのですもの。母である私が、きっちり教えて差し上げます。手取り、足取り、その体に染み込ませる様に、ね?」
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