三十七話 襲来の兆し
ママメナド。
小さな手を引いて家に着いたメナドは、居間のソファにセルマを座らせて二階へと上がった。とことこと小気味よく、どこか楽しそうな足音が頭上から響き、少し間を置いてやがてまた戻ってくる。
再びセルマの前に現れたメナドの手には、可愛らしい小さな服があった。それも、何着も。
「おねえちゃん、そのおようふく、なに?」
「ふふん、家を飛び出した時に、売っぱらってやろうと思ってくすねて来たの。役に立って良かったわ」
と、にんまりと笑みを浮かべ、セルマににじり寄る。
「な、なにするの……?」
「私ね、妹が出来たらいろんな服を着せてみたいと思ってたの。ほら、私末っ子でさ、上はクソ女が二人。いっつもお下がりだったの。その反動かしらね?」
一瞬発せられる気迫。それに怯んだ隙に素早く距離を詰め、ぶかぶかのブラウスを剥ぎ取った。
「ひゃあっ!」
「んふふ……さ、お姉ちゃんとお着替えしましょうねぇ?」
その後数十分に渡ってメナドの着せ替え人形にされたセルマ。ああでも無いこうでも無いと服を取っ替え引っ替えする事、六着目。
ようやく解放されたセルマが纏っていたのは、滑らかな縦編みのセーターとスカート。もじもじと恥じらう彼女を、メナドは満足そうに見つめている。
「うーん、ぴったり。それにしても……」
今着せたのは、メナドが八歳の時の服。今のセルマも八歳相当だ。
その彼女が十年後にはあれ程までに凶悪に実り、四六時中ゆさゆさとさせているのに自分はさっぱりその兆しが見えない。
申し訳程度の起伏を宿した自分の体を撫で下ろすと、思わずため息を漏らした。
「ねえ、どうしたの? やっぱりおなかいたい?」
「痛いのは、胸かな……へへっ……」
「?」
ふうっと一息つき、黄昏終わると気が済んだのか、とことこと台所へと向かうメナド。その足取りはどこか重たく見えなくも無い。
「あれ、おねえちゃんどこいくの?」
「どこって、そろそろ晩御飯の支度しなきゃでしょ。今日は何がいい?」
言いながら、台所にかけてあるエプロンを着て手を洗う。すると、後ろからくいくいとスカートの裾を引っ張る感触。それに振り返ると、口を尖らせたセルマが見上げていた。
「どしたの? いつもみたいにつまみ食い?」
「そ、その、きょうのごはんとうばん、せるまだったとおもう!」
そうだっけ、と壁にかけてある当番表に目を移す。両面になっており、裏表に二人の名前が書かれたそれは確かにセルマの名前が表になっていた。それを確認すると、メナドはそれをくるりとひっくり返してしまう。
「あ!」
「いいの。あんた今子供なんだから、それらしくしてなさい」
「わ、わたしだっておりょうりできるよ! こどものころはみんなにつくってたんだから!」
「子供の頃……?」
妙な言い回しだ、と思いつつ、呪いの影響で混乱しているのだろうと納得したメナドは平坦な声色で話しかける。
「じゃ、台所に立ってみなさい」
「うん!」
ぱたぱたと台所まで駆ける。そしてその前まで辿り着いた彼女は、あることに気が付いた。
「と、とどかない……!」
背丈が普段の半分以下まで縮んでしまった彼女にとって、台所はそびえ立つ壁。ぐいぐいと背伸びをすれば、ぴょこぴょこと頭が出はする。だがその程度では料理など出来るはずもない。
アホ毛と共にしゅんとしてしまったセルマを見た彼女はその頭をぽんぽんと撫で、抱き上げて脇に退かせて改めて台所に立った。
「でしょう? それでどうやって料理するってのよ。言っとくけど私の腕じゃ抱っこは三分と保たないわよ。分かったら大人しく待ってなさい」
「ごめんなさい……」
しょげて俯いた瞳から、ぽろぽろと涙をこぼして肩を震わせる。まさか泣く程とは、とぎょっとメナドの赤い瞳が見開かれた。
「ぐしゅ……やることないから、あっちいってるね……じゃまになっちゃうから……」
「……」
セルマと付き合ってから、しばらく経つ。妙に自分の役割とかにこだわるなぁ、とは思ってたけどまさかここまでとは。この調子だと、子供の頃からこんな感じだったのだろうか。
「分かったわよ! じゃあ、食材とって! 私が調理するから!」
「あ、う、うん! 分かった!」
たんたんと小気味良い音を立ててまな板を叩くナイフ。食材を切り終わると同時に、次のを両手に抱えて笑顔で駆けてくるセルマから野菜を受け取って微笑むメナド。
くしゃくしゃと頭を撫でたりなど事情を知らない人が見れば、年の離れた姉妹か親子だと思うだろう。
そして出来上がった食事を、二人で囲む。
「んしょ……んしょ……」
「ん? どうしたの?」
「うんとね、じょうずにたべられない……」
腕の長さも変わり、距離感が狂ってしまっているのかなかなかスプーンで掬えずに困っている様子だ。
それを見たメナドがずずっと椅子を寄せて隣に位置取り、さっと掬ってスプーンを差し出した。
「はい、セルマ。あーん」
「あ、あーん……」
差し出されたスプーンの先を、雛鳥のように小さく口を開けて頬張った。幼くなっても羞恥心はあるのか、顔を真っ赤にしている。
「ふふっ。元に戻っても、こうやって食べさせてあげましょうか?」
「おねえちゃん、いじわる……」
普段とはまた違った風の触れ合いを楽しむ二人。やがて食事が終わり、満腹になったセルマはソファの上で船を漕いでいる。
「さって、皿洗いおーわり……あ」
後片付けを終えたメナドが見たのは、ふらふらと頭を眠そうに振る姿だった。今にもくっつきそうな瞼を必死に開け、自分を組み敷こうとする睡魔に抗っている。
その隣に腰を下ろしたメナドが、その頭を支えて背もたれにもたれかからせた。
「何我慢してんのよ。眠いんなら寝ちゃいなさい」
「やだ……おねえちゃんといっしょにねるのぉ……」
「しょうがないわねえ」
かくかくとふらつく頭に軽く手を添えて倒し、自分の膝に乗せる。小さなメナドの膝でも、今の彼女の頭にはちょうど良いサイズだ。
「はい。あんたの膝よりは寝心地良くないけど」
「あったかい……」
膝をくすぐる金の柔らかな髪を指に絡め、するすると撫でる。ちょっとした引っかかりもない滑らかな感触を楽しんでいる内、太ももに暖かな吐息が当たり始めた。
「すぅ……ぷにゃ……」
「ふふっ、寝顔はあんまり変わらないわね……なんだかこっちまで眠くなってきちゃった」
ふわわとあくびを一つして、そのままソファに体を預けて目を閉じる。太ももを温める、子供特有の体温の高さが心地よく、目を閉じてすぐにとろりとした眠りに包まれていった。
——かこん。
ふと、玄関の郵便受けになにかが落ちる音がした。
その音で意識を取り戻したメナドは、セルマを起こさないように慎重に膝を動かして抜け出す。
郵便受けに手を突っ込むと、薄い物が一枚手に当たる。引っ張り出されたそれは、どうやら手紙のようだ。裏には、流れるような字体で名前が記されている。
「シオン・アマランサス……アマランサス?」
一気に眠気が頭から吹き飛んだ。アマランサス。間違いなく、セルマの名字である。覚束ない手つきで蝋封を剥がし、中の手紙を取り出し、目を通す。
『お久しぶりです。セルマ、元気ですか? ギルドの方からのお手紙で、セルマがお友達とパーティを組んで銀級になったと知りました。おめでとう。お祝いにあなたの好きなお肉を持って母さん、遊びに行きますね。十三日には着くかと思います』
「じ、十三日……!」
ばっと首を振り、カレンダーを見る。今日は十一日だ。と言っても、間も無く日付が変わってしまうのだが。
「お、おかかか、お母様っ、セルマのお母様が……!」
彼女の親への挨拶の言葉、二人の関係の説明……様々な事が頭を駆け巡るが、一つ、特大の問題があった。
セルマが呪いでこんな事になってしまっていると知ったら、親御さんは烈火のごとく怒るに違いない。少なくとも私なら激怒する。そう思った。
「ど、どうしよう……!」
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