二十四話 初夜
Foo!
「ふぐう……疲れた……」
潰れたカエルの様な声を上げ、いつものソファの上にぐだりと横たわるメナド。その足元には、無数の買い物カゴが散乱している。
中身は可愛らしい小物や、本の栞などの二人が思い思いに買い揃えた品物で満ちている。
「結構買ったねえ。これで私達のお家も賑やかになるね!」
それらでせっせとリビングを飾り付けるセルマ。メナドとの同棲が始まることもあってか、これまでに無く上機嫌だ。
「本格的な改装は明日からにしましょ。それと後でご飯とか掃除の当番決めなきゃ……と、そうだ」
のそのそと起き上がり、リビングの隅へと向かうメナド。その先には、一際大きな買い物カゴに乗った茶色の球体。
メナドの背丈ほどもあるそれは、表面がさらさらと手触りの良い毛皮で覆われており、ふにゅふにゅと手で触ると指が沈み込むほど柔らかい。
それを力任せに引っ張り出して、乱雑にフローリングに叩きつける様に置く。ふにふにと衝撃の度に形を変える様子は、まるで毛皮の生えたスライムだ。
「いやぁ、これ前から欲しかったのよね! 人をダメにするクッションってやつ! とうっ!」
言うや否や、嬉しそうな声を上げて目の前のクッションに向けて背中から飛び込むと、ぼふんと彼女の体が包まれた。その顔は、幸せそうに緩んでいる。
「は、はふぅ……」
言葉も無く、ただため息を漏らす。スライムに丸呑みにされた際、かつてない程の快楽を得た枕職人が生み出したとされるこれは、まさに極上の肌触りと柔らかさを誇る。
いつもはきりっとした顔のメナドも、だらしなく惚けた顔を晒していた。
「あっ! だめだよ、そのまま寝たら! また風邪ひいちゃうからね!」
「ふぅん……もうちょっと堪能したら降りるから……」
むうっ、と頰を膨らませるセルマ。少し不機嫌な顔をして、ソファに座り膝をぽんぽん叩く。
「ほ、ほらほら。私のお膝、枕にしていいよ? おいで?」
彼女の思いつく精一杯の誘惑。それでも、クッションに囚われたメナドの心は戻っては来なかった。微動だにしない彼女を見て、更にむくれる。
彼女を燃やしているのは、嫉妬。あろうことか、メナドの心を独り占めしているクッションに対抗意識を燃やしているのだ。
ゆっくりと立ち上がり、のしのしとクッションに向けて歩みを進めるセルマ。その正面に立つと、その影に気付いたメナドが薄く目を開ける。
「何よお、もうちょっとしたら起きるって……」
その声にも一切反応しない。やがてメナドを跨いでクッションに膝を下ろす。膝立ちになって彼女を見下ろしている形だ。
いつもと違うその様子に、ようやく囚われていた心が戻ってきた様だ。
「ちょ、ちょっとセルマ……?」
「……ふんっ!」
そのまま覆いかぶさる様に倒れこみ、自分の豊かな胸をメナドの顔めがけて押し付けた。
「ぷえっ!?」
「ほーら、人をダメにするクッションのサンドイッチだよー。参ったか!」
言いながら、ぐにぐにと腕で胸を挟み込んで追い討ちをかける。体を包むクッションと、顔を覆い隠す暖かな柔肉。メナドの顔はすっかり蕩けきっていた。
「は、はへぇ……これ、ダメぇ……」
「どっちの方が気持ちいいかなあ? 正直に言えたら、離してあげる」
いつもは温和でおっとりぽわぽわした彼女だが、今日は一味違う。攻め手を一切緩めず、苛烈な勢いで畳み掛ける。
「……マ」
「んん? なあに?」
胸の中から聞こえてくる、くぐもった声。それを耳聡く聞き取ると、ぴたりと動きを止めた。
「セルマの方が、気持ち、良かった……」
「ふふん、勝った」
クッションから勝利をもぎ取り、満足そうな顔を浮かべてメナドを解放する。
「はい、分かったらもうどいて——」
彼女の言葉を遮ったのは、自分の体に組み敷かれている小さな体の黒髪の少女。顔は赤く紅潮し、呼吸は乱れ、目は潤みを持っている。
普段の凛々しく、澄ました顔の彼女からは微塵も垣間見えない弱々しい姿に、セルマの秘めた獣心が首をもたげた。
体をずらし、じっと目を見つめながら顔を近づけていく。ゆっくりと静かに、獲物を狙う蛇の様に。
「はぁっ……」
やがて、二人の距離は互いの息が口にかかるほどに狭まった。ほんの少し自分の体を支える腕が肘を曲げれば無くなるような、そんな距離。
下からの赤く燃え上がるような瞳と、上からの青く澄んだ瞳が絡み合う。
「——いい?」
セルマの問いに、答えは帰ってこない。その代わりに、ただ静かに瞼を下ろすメナド。それを肯定と受け取ったセルマは、静かに体を沈める。
ちょん。
小鳥が啄ばむように、ほんの一瞬だけ二人の唇が触れ合った。体を起こし、再び視線が交錯する。
「……えへへ。ちゅーしちゃった」
照れ臭そうに頰を染めながら、ぽつりと静かにつぶやく。メナドの方はセルマの感触が名残惜しいのか、指で唇が触れた辺りを軽くなぞっている。
「ねえ。もしかして、初めてだったりした?」
「……うん」
「……私が初めてで、良かったの?」
「あんたじゃなきゃ、嫌」
ふわりと、メナドの腕がセルマの首にかかる。大して力も込められていないそれに引かれ、体を沈めていった。
再び無くなる、二人の間の距離。そのわずかな間からは、微かに水音が弾ける。お互いに無意識の内に伸ばした赤く滑る舌で、お互いの唇を湿らせていた。
「ん、ちゅ。もっと……」
二人の鼓動が早さを増していくと同時に、その水音は音の質を変えていった。ぴちゃぴちゃと水が滴るような軽い音から、空気を含んだ重たい粘着質な音へ。
肺にある空気を全て使い切る度に互いの口が離れるも、てらてらとお互いの唾液で潤った舌先が二人を繋ぐ。
「れる、えれれ……へぁあ」
「じゅるっ、る……ぷはっ」
熱い吐息と共に、一旦二人が離れる。口の端からてろりと銀色の糸を垂らしながら、セルマがふと声を出した。
「……初めてって、果物の味がするって誰かが言ってたけど、やっぱりしないね。全部メナドちゃんの味」
「そんなの、当たり前じゃない……あ、そうだ」
思い出した様に、右手をロープのポケットに差し込む。そしてつまみ出されたのは、一つの飴玉の包み。
くるくると両端のねじれを解き、包み紙から転がり出た飴玉をぱくりと口の中に入れる。
ころころと口の中で転がした後、自身の唾液で表面が溶けたそれを唇の先で挟み込み、セルマに差し出した。
「めひあはれ」
「……頂きます」
はむっ。
少し角度を付け、唇ごと飴玉を食む。再び二人が繋がった所で、メナドの舌が飴玉と一緒にセルマの口内へとなだれ込んだ。
甘みが移った舌をしばらく楽しみ、気まぐれに飴玉をメナドの方へと押し返す。
ころころと二人の間を行き来する桃色の小さな玉は、二人分の唾液と赤い肉に弄ばれてあっという間にその姿を消してしまう。
後に残った甘い唾液が二人の喉を通ると、切なそうに目を細めた二人の顔が離れる。
「ふはぁ……二人で舐めてると、あっという間に溶けちゃうね」
「もう一つあるのよね、これが」
ひらひらと、包み紙の端を摘んで飴玉を見せびらかすメナド。その目はいたずらに、そして蠱惑的に輝いていた。
「……する?」
「……しちゃおっか」
再び飴を口に放り込み、もう一回戦。火がついた二人は最早誰にも止められない。二人の周りに、熱く湿った様な空気が満ちる。
とっくのとうに飴は跡形も無くなり、それにも気付かない程に夢中になって腕を、足を、舌を絡め合う。結局、二人が眠りについたのは空が白み始める頃だった。
クッションの上に、力尽きた様に倒れ込んで寝息を立てる二人の少女。髪は汗で肌に張り付き、服も乱れに乱れている。
くたくたに疲れ果て泥の様に眠る二人の顔は、幸福感に満ちた笑みを浮かべていた。
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