一話 プリーストやめちまえ!
突如ティンと来たので書いてみました。
「ふええぇぇぇん……」
今日も今日とて仕事終わりの冒険者たちで賑わうステルダの酒場に、一つの可愛らしい泣き声が響き渡る。
声の主は、カウンターに突っ伏してエールの入ったグラスを片手に涙を流す、一人の少女。
身に纏っている白と青の清廉なローブに、足元に乱雑に置かれた十字架を模した大きなメイス。神聖魔法や回復魔法の担い手、プリーストの様だ。
「ふえぇぇぇん、ぐすっ、ぐびぐび……ふえぇぇん」
時折グラスを傾けて中身を口の中へ一気に流し込み、縁から口が離れるや否や再び大粒の涙を流す。まるで酒が全て淚に変換されている様だ。
「ぐすっ、ううう……! ましゅたあ! おかわりぃ!」
「……飲み過ぎですよ、お嬢さん」
差し出されたグラスを受け取るでもなく、少女をたしなめる酒場のマスター。それもそのはず、彼女が飲んだエールは既に一樽分を下らない。
いかなる酒豪の大男だろうが、こんな冗談の様な量を短時間に飲めば酩酊どころか命さえ危ういだろう。それなのに、この少女は酔って喚いてはいるものの、未だに意識を保っている。
「だって、だって! こんなの、飲まなきゃやってらんないですぅぅぅ……!」
「よろしければ、お話くらいは聞いて差し上げますが」
酒場を仕切る主人たる者、客が無茶な飲み方をしたり暴れたりしない様にセーブする技術も必要不可欠。裏を返せば、この少女はまさに迷惑な客と認定されている証拠であった。
「あうう、ほんとですかぁ?」
「ええ。お客様のお話を聞くのも、仕事の内ですから」
「じゃあ、ぐすっ。きいてくらはい……」
酔ってでれんでれんになった口からぽつりぽつりと語られ始めたのは、彼女がなぜこんな風に飲んだくれているのか、その理由だった——
——イズルードの森。
ゴブリンやオークの住処として知られるこの森は、それ故に多くの冒険者たちが討伐依頼を受けて訪れる。
開けたところに腰を下ろし、休息をとる三人のパーティ。彼らも例に漏れず、オークの討伐依頼を受けてこの森にやって来ていた。
魔物達との激闘を繰り広げ、皆体のそこかしこに生傷を付け、肩で息をしている。
剣士の鎧には無数の爪痕が、魔法使いは息も絶え絶えで、杖に縋り付いてぺたんと座り込んでしまっている。ただ一人のプリーストを除いては。
「はあ、はあ……セルマ、回復を頼む」
「はい!」
痛々しく傷ついたパーティを甲斐甲斐しく癒しているセルマと呼ばれた彼女は、服こそあちこち裂けてはいたが体には傷一つない。
ひらひらとローブをはためかせて元気に駆け回り、次々とパーティの傷を癒していく……市販の回復薬で。
傷口にじょぼじょぼと振りかけられたそれは、確かに傷を癒してくれる便利な物だ。しかし、プリーストの回復魔法に比べるとその回復力は大きく水を開けられている。これはもっぱら差し迫った状況ではないときに使う物なのだ。
傷が完全に塞がるまでじっとしてなどしていたら、やがて魔物達に囲まれてしまうかもしれない。そんな他の二人の危惧を他所に、ふんふんと鼻歌などしながら呑気に回復薬をかけ続けている。
そこへ、不意にがさがさと草むらが揺れる音。慌てて戦闘態勢を整えると、辺りはすっかりオークやゴブリンの群れに囲まれてしまっていた。
「クソッ! おい、エステル。魔法はあと何発撃てる?」
「火球が……あと七、八発くらい」
「はあ、クソ……! 最後の一踏ん張りだ、行くぞォッ!」
数時間後——
魔物の群れと血の海の中に、彼らは立っていた。戦いに幕を下ろしたのは、プリースト・セルマの鉄槌による一撃。最後に残った一際大きなオークの額を、彼女の血塗られた十字架が叩き割ったのだ。
むせる様な死臭と血の生臭い臭いが混じり合い、壮絶な悪臭が彼らを包む。それでも、疲れ切った彼らを動かす理由にはならない。
魔物達の亡骸を椅子に、しばらく動くことは出来なかった……ただ一人を除いては。
「ひええ、くさくさ……でも、ちゃんと討伐の証を持って帰らなきゃ」
鼻を摘みながら、せかせかと動き回って魔物達の耳をちょんちょんとナイフで切り取って皮袋へと詰め込んでいく。その様は、疲労など微塵も感じられない。
全ての耳を切り落とすと、顔を上げてへたり込む二人の元へと駆け寄って元気に声をかける。
「皆さん、今日はお疲れ様でした! また明日も頑張りましょうね!」
心からの、労いの言葉。しかし、その言葉に返された返事は冷ややかな物だった。
「……いや、今日でさよならだ、セルマ」
「……え?」
「クビだ。明日からは『ちゃんとした』プリーストを仲間にする」
そう言うと体力を回復したのか、へたり込む魔法使いの女に肩を貸してセルマに背中を向け、立ち去ろうとする。
「ま、待ってください! どうしてですか、エルロンドさん!」
その背中に向けて声を張り上げ、呼び止める。彼女からすれば突然の解雇宣告だ、無理はない。しかし、彼らからすれば当然の選択だった。
「悪い所があったら、ちゃんと直します! だから……」
振り返り、疲れ切った眼差しをセルマに向けてエルロンドが口を開く。
「……何故って? 本当に分からないか?」
こくこくと素早く首を縦に振るセルマを見て、深い深いため息をつくエルロンド。やがて、重々しく口を開いた。
「回復魔法を、お前は一度でも俺たちにかけてくれたか?」
「ぎくっ」
そう、彼女は戦闘中一度もパーティの面々に回復魔法をかけていない。むしろ、前線に立って敵を撲殺していることの方が多かった。
鈍器を振り回して戦場を駆け、敵を殲滅する。これが前衛職なら評価されて然るべきだろう。
しかし、彼女はパーティの治癒を司るプリーストなのだ。一人が役割の外の事をすれば、途端にパーティは回らなくなる。
「やっと分かったか! お前俺らがいるのにロクに回復もせずにその馬鹿でかいのブンブンしやがって! 何がプリーストだこの女オーク! プリーストやめちまえ!」
「おッ……!」
その言葉を最後に、今度こそセルマに背中を向けて二人で去っていった。
振り返りもせず、吐き捨てる様に言い放ってその場を離れていく。血の滴る巨大な十字架を片手に、セルマはその背中をいつまでも見つめていた。
「お……女オークって何よおおおおおッ!!!」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
もしお気に召したら、評価など是非に…