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07.家族









 ペトラが亡くなった城塞への魔物の襲撃事件では、実に百十九名の城塞の職員が亡くなったらしい。すぐに城門を閉じたので街への被害はなかった。キラヴァーラの人口はざっくり四千人ほど。そのうち、城塞の職員は千人ほどなので、全職員の一割が亡くなった、という計算になる。戦争に行っている者もいるので、実際はもう少し前後するだろうけど。

 今回の城塞への魔物の侵入は、まったくありえない、と言うわけではないが珍しい事件だった。どうやら、異世界側の結界の継ぎ目部分が破られて魔物たちが侵入してきたらしく、その復旧作業を行わなければならない。おそらく、アイナもその作業に参加することになるだろう。人手が足りないのだ。仕方がない。働いていれば、さみしさもまぎれる。


 そう思ったアイナだが、そう簡単にさみしさを忘れさせてはくれなかった。


 ペトラが亡くなってから、何となく朝ごはんづくりはアイナが行っていた。ペトラがやっていたことは、だいたいでアイナとヨルマとで分担していた。


「父さん。朝ごはんできたけど」


 今日はエッグベネディクトにしてみた。たまには違うものも出してみようかと思って。ペトラほどうまくできなかったけど。

 呼んでも返事がないので、アイナはヨルマの肩をたたいた。

「父さん。朝ごはん、できたよ」

「あ、ああ」

 肩をたたかれて初めて気づいたようにヨルマがうなずく。アイナは小首をかしげた。

「どうしたの」

「……いや。何でも、無くはないな……」

 煮え切らないヨルマの返答に、アイナは背伸びしてヨルマが見ていた郵便物を覗き込んだ。その一番上にあるものは。


「徴兵通知?」


 アイナは目を見開き、ヨルマからその通知をひったくった。どこからどう見ても徴兵通知だった。いや、一応、ヨルマは国家に登録された公務員(軍人)扱いなので、徴兵と言うのはおかしいのかもしれないが。とにかく、戦争への出兵通知だった。これが届いたと言うことは決定事項なのだ。拒否することはできない。

 いつか、戦争が長引けば届くこともあるだろうと覚悟していた。だが、ペトラの時と同じ。覚悟していた、と思っていただけだった。

 通知によると、出立は五日後。キラヴァーラの街境まで迎えが来るようだ。まさかヨルマ一人だけと言うことはないだろうから、他にも同じ通知が来たものがいるのだろう。


「アイナ」


 ヨルマがアイナを抱きしめた。アイナの視界がゆがんだ。ペトラが死んでから、まだひと月も経っていない。それなのに、アイナは一人になってしまうし、ヨルマは戦場に行かなければならない。


「すまない……一人に、してしまう」


 泣きそうな声だった。アイナは口を開こうとして、のどが詰まって声が出なかった。深呼吸すると涙がこぼれたが、声は出た。


「父さんのせいじゃないでしょ……私は大丈夫だから」


 行ってらっしゃい。その言葉は続かなかった。アイナが泣きだしたからだ。自分にしがみついて泣きじゃくる娘を、ヨルマは自分も泣きながら抱きしめかえした。

 二人は血がつながっていない。だが、確かに親子だった。
















 当然だが、ヨルマのほかにも同じ通知が来たものはいた。全部で十二人。その中の二人はなじみのフレイとレイマで、戦闘員を集めたのがわかった。というか、戦闘慣れしている人。フレイとレイマのような十代半ばの者は、今まであまり連れて行かれなかったのだが、いよいよそうは言っていられない事態になってきているらしい。


「行ってらっしゃい。無事に帰ってきてよね」

「あ、それ言っちゃう? 了解」


 迎えのバスの前でぎゅーっと抱擁を交わすハウタニエミ親子に、同じく見送りに来た町民やヨルマと一緒に行く十一人もほっとしたようだ。思ったより、いつも通りに見えたからだろう。

 いつも通りではない。行かないで、一人にしないで、と叫びたい。だけど、それは言ってはいけないのだとわかるくらいにはアイナは大人だった。いいだけ泣いたから、見送るときは笑顔でいようと思っていた。

 ヨルマと離れたアイナは、こちらを見ているフレイと目があった。目が合ったフレイがばつの悪そうな顔をする。母を亡くしたばかりのアイナが、父とも離れるとなって心配してくれていたのだろう。

 笑いそうになったが、どちらかと言うとここはシリアスな場面だと思い、アイナは真顔で言った。


「フレイたちも、気を付けて行ってきてよね」

「おま……っ、最後まで憎まれ口か」


 フレイがため息をついた。『最後』。その言葉に、アイナは顔が曇るのを止められない。ヨルマもフレイもレイマも、わかっていくのだ。生きて帰ってこられない可能性が高いと。

「エーレス。うちの娘、よろしくな。マリにもよろしく言っといてくれ!」

「うん。……気を付けてね」

 ラウハを連れて見送りに来ていたエーレスは、ヨルマの頼みに力強くうなずいた。戦争が長引けば、年齢が成人に達したものから順に戦場に送られるだろう。そして、その年齢は長引くほど引き下げられる。年齢関係なしに、確実に徴兵されないだろう、と思われるのは、エーレスとかつて中央を怒らせたことのあるマリぐらいだ。


「時間だ」


 迎えの軍人が無情にそう告げて、十二人をバスに乗るよう促す。乗り込む直前、ヨルマが手を振ったのがわかったのでアイナも手を振った。泣くまい、と思うのに、もう泣きそうである。

 ゆっくりと走り出したバスを、アイナたちは見えなくなるまで見送っていた。アイナと同じように父や兄、夫などを見送った家族のすすり泣く声が聞こえた。


「アイナ。帰ろ」


 バスが見えなくなっても見つめていたアイナに、ラウハが声をかける。手を引かれて、アイナは振り返り、うなずいた。


「うん。そうだね」


 誰もいない家に帰る。不思議な感じだ。不思議、と言うより、寂しい。今までだって、家に帰って誰もいない、と言うことはあった。でも、帰った時は誰もいなくても、待っていれば必ずペトラかヨルマが帰ってきた。でも今日からは、待っていても誰も帰ってこない。誰かが帰ってくるのと帰ってこないのでは、その心もちが違う。

「ねえ。今日、エーレスんちに泊まってもいい?」

 帰宅後の自分を想像するとたまらなくさみしくて、アイナはそう尋ねていた。エーレスが微笑んで「いいよ」と答えてくれた。彼が頭を撫でる手は優しい。ちょっと乱暴だったペトラやヨルマとは違うけれど、うれしかった。


 最初のころはさみしくて、たびたびエーレス宅にお泊りしていたアイナであるが、三か月も経つころには家に一人でいることに慣れた。でも、ときどきやっぱり寂しいので、猫でも飼おうか。何より、何気に広いこの家を一人で掃除するのは大変だった。今までは三人で手分けしてやっていたので。今、アイナはお掃除用の魔法機械を開発しようか結構本気で悩んでいる。


 もう少しで、アイナも十五歳になる。今も手伝いと言う名目で城塞に関わっている彼女は、このまま正式に職員となるだろう。それは、アントンも同じこと。同時に、二人が戦場に連れて行かれる可能性も出てくる。


 朝起きて、いつものように郵便物を取りに行く。ペトラが亡くなったので、彼女宛てのものはもうほとんど来ないが、戦争に行ったヨルマ宛てのものはまだくる。アイナ宛てのものはめったに来ない。時々、大学とかから来るけど。


 なのに、珍しく自分あての封筒を発見したアイナは、まずそれを手に取った。発信者を見て動きを止める。マキラ王国陸軍。ヨルマたちを連れて行った機関だ。震える手でその封を開く。


「……っ!」


 その通知を見て、アイナは崩れ落ちた。タイマーがお湯が沸いたことを知らせているが、その音が遠く聞こえた。


 アイナの元に届いたのは、ヨルマの死亡通知書だった。戸籍上、彼の家族と言えるのは血がつながっていなくてもアイナだけだ。だから、未成年の彼女の元に、この残酷な知らせは届いた。

 戦死場所は隣国の戦場だった。きっと、遺体は回収されていないのだろう。顔を見るな、と言われたほど無残だったペトラの遺体だが、遺体が残っただけましなのかもしれない。ヨルマの墓には、空のままの棺が入れられる。


 縁もゆかりもない土地で戦い、ヨルマは死んだ。故郷に戻ることもできずに、そこで朽ち果てる。


 本当に一人になってしまったと、アイナは思った。いや、彼女ははじめから一人だったのだ。たまたま、温かい夫婦が、彼女を自らの子として育ててくれたに過ぎない。アイナの本当の母は、キラヴァーラにたどり着いてアイナを生んだ後すぐに死んでいるのだから。

 アイナは首元から、生みの母の形見だと言われているネックレスを引っ張り出した。シルバーのチェーンに自分の瞳のような青い石。

 衝動のまま、アイナはそれをどこかに投げ捨ててやろうと思った。だけど、結局できなかった。それも、アイナにとっては両親と過ごした家と同じ、思い出だったから。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


過去編終了です。次からやっと本編です……。


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