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06.父と娘








 医務室だけでは入りきらず、近くの会議室や廊下にも人があふれていた。アイナは人々を避けながら先を歩くヨルマを追った。


「ヨルマさん……」


 若い、少年と言える年齢の魔導師がヨルマを見て顔を俯けた。ヨルマはその彼の元に向かう。アイナも続こうとして誰かに腕をつかまれた。フレイだった。

「やめておけ」

「……どうして」

 片腕を吊ったフレイは顔をゆがめ、アイナの腕を握る手に力がこもった。フレイが繰り返す。

「やめておけ……頼むから……っ」

「食われたんだよ。魔物に」

 フレイの隣。アイナと同じくらいの背丈の少年、つまりアントンがさすがに沈鬱な面持ちで言った。


 食われた。魔物に。ペトラが?


 アントンも怪我をしていて、頭と右目を覆うように包帯を巻いていたし、足を引きずるようにして歩いている。おそらく、戦闘に参加したのだろう。巻き込まれただけの可能性もあるけど。だが、アイナに彼を気遣う余裕はなかった。


「ペトラ!」


 耳に、ヨルマの叫ぶような声が入ってきた。他にも話している人が居るはずなのに、彼の悲痛な声だけがはっきりと聞こえた。


 ペトラは、魔物に食われて、戦死した。


 人と人の隙間から、ちらりと横たわるペトラとそのそばにひざまずいて顔を覆うヨルマが見えた。アイナは、思わず腕をつかんでいるフレイにしがみつくようにして顔を伏せた。その背中をフレイがたたいてくれる。力加減を間違ったように強めにたたいてくるのは、アントンだろうか。

 心が削られるどころではない。ぽっかりと穴が開いたみたいだ。でも、まだペトラが死んだなんて信じられなくて、「ビックリさせたわね~」とか言ってひょっこり起きてくるんじゃないか。そんな気がした。


 でも、そんなことはなくて。彼女が死んでしまったのだと言うのが現実で。


 結局、ヨルマと一緒に帰宅することになったが、いつもと同じ家は、いつもよりさみしく感じた。

「ごめんな、アイナ。つらい思い、させるな」

 よしよし、と、ヨルマは自分もつらいはずなのに、アイナを気遣うように頭を撫でる。アイナは首を左右に振った。

「そんな事……無くはないけど、覚悟はしてたから」

 そう。覚悟していた。つもりだった。だが、実際にその状況になってみると、その覚悟とやらが全く役に立たない。ヨルマは泣きそうな顔をすると、アイナを抱きしめた。

「ごめん。ごめんな……」

「なんで父さんが謝るの……」

 親子は静かに泣いた。血はつながっていなくても、二人は確かに親子だった。


 泣きやんだ二人だが、とても夕食を食べる気にはなれなくてすぐに寝る準備に入った。アイナは風呂から上がってきたヨルマを捕まえる。

「父さん。一緒に寝てもいい?」

 さすがに、一人で寝るのはさみしかったのである。ヨルマはアイナと同じく赤い目をしていたが、「そうだな。一緒に寝るか」と言ってくれた。言ってくれたので、二人は一緒に寝た。
















 翌日。さすがにおなかがすいたので、アイナは朝食を作り始めた。朝食づくりは、いつもペトラがやっていた。まあ、彼女が泊まり込みでいないときなどはアイナが作っていたけど。

 少し固まりすぎたけどスクランブルエッグにベーコン、コンソメスープに硬めのパン。昨日の夜、何も準備せずに寝たので、こんなものだろう。レタスとトマトのサラダもつけて、アイナはそれらを食卓に並べた。


「父さーん。朝ごはんできたけど、食べてく?」

「食べるぞ。お前が作ったものなら何でも」

「さすがにそこまで下手じゃないよ」


 何となく、調子が戻ってきたような二人であるが、無理に普段通り振る舞っているというところもある。特にヨルマは、これ以上娘アイナに情けないところを見せられないと思ったのだろう。だから、アイナもそれに合わせている。

「お、いい匂いするな」

 食卓に寄ってきたヨルマが頬をほころばせる。いつもペトラが作っていた朝食だから、アイナが作ると彼女がいないのだ、と思い知らされるようでギュッと胸が痛くなる。とても食べられる気がしなかったが、三大欲求のひとつには勝てなかった。結局、朝食をすべて平らげた。

「じゃあアイナ。俺、行ってくるから留守番してろよ」

「うん。家でおとなしくしてるから安心してよ」

「ああ」

 家を出る前に、ヨルマはアイナの頭を撫でる。アイナはきゅっと唇を引き結んだ。


「……気を付けていってきてね。それと、遅くなってもいいから帰ってきてね」


 珍しく甘えてくる娘に、ヨルマはいとおしげな視線を投げた。優しい声で言う。


「ああ。そうするよ」


 ヨルマは娘の頬にキスをすると、今度こそ出て行った。昨日は、アイナもペトラと一緒に城塞に行ったのだ。別れるときに「行ってくるね!」と言って別れて、そのまま物言わぬ姿になって帰ってきた。あれが、ペトラとの最後の記憶。

「……っ」

 アイナは玄関先で膝を抱えてうずくまった。


 泣いても、どれだけ泣いてもその涙が枯れることはないような気がする。さみしくて寂しくて、このぽっかり空いた胸の穴をどうすることもできない。

 ヨルマだって、今別れたのが最後になるかもしれない。ここはそう言う場所だ。わかっていると思っていたのに。

 来客を告げるインターホンが鳴った。涙を拭いて外の映像をつけると、エーレスとラウハだった。あわてて玄関を開ける。

「おはよう、アイナ!」

「おはよう」

 ラウハもペトラのことは知っているだろうに、そのことには触れず、アイナの赤い目にも触れなかった。やはり、年の割にしっかりしたいい子だ。

「おはよう、アイナ。昨日は一人で行かせてしまってごめん。街に出られなかったんだね」

「エーレスさんのせいじゃないよ」

 エーレスも、アイナを一人で行かせたことは謝ったが、ペトラについては触れなかった。アイナが城塞の外に出られなかったのは、アイナがとろかったせいであって、エーレスのせいではない。

「うん。ありがとう」

 エーレスがアイナの頭を撫でる。それを甘んじて受け取ってから、アイナは尋ねた。


「二人とも、どうしたの?」

「あー、今から僕、城塞に行くんだけど、戻ってくるまでラウハを預かっててもらっていい?」


 今日は学校も臨時休校。城塞の襲撃が思ったより大きかったせいだろう。エーレスも城塞の方を見に行かなければならないのは本当だろう。でも、『ラウハを預かっていて』というのは、たぶん、アイナを気遣った結果だ。アイナを一人にしないように、エーレスとラウハが気をまわしてくれたのだ。

 それがわかったから、アイナも自然に笑えた。ちょっと泣きそうだったけど。

「うん。わかった」

「うん。じゃあ、よろしく。ラウハ。夕方に迎えに来るからね。アイナに迷惑かけないんだよ」

「大丈夫だもん」

 わざとむくれて見せるラウハはやっぱり可愛らしい。可愛げと言うものが欠落しているアイナにはちょっとうらやましい話だった。

 二人でエーレスを見送って、家の奥に入る。ラウハが楽しげに話しかける。

「ねえアイナ。勉強って教えてもらえる?」

「……範囲によるけど」

「あのね。化学なんだけど」

「……どうしたの突然。苦手じゃなかった?」

「だって、魔工技師になるには、化学が必要だっていうんだもん」

 魔法だけじゃないの? とラウハ。魔工技師もかじっているアイナは「魔法は科学に基づいているからね」としか答えられない。たぶん、アイナが魔工技師になることはないだろう。だが、教えることは可能だ。


「あとあと。お昼何にしよっか。それに、一緒にケーキも作ろうよ」


 ラウハがいろいろ提案してくる。たぶん、アイナがさみしい思いをしないようにいろいろ考えてきてくれたのだろう。その思いやりに感謝しかない。

「うん。ありがとう」

「へ? 何々?」

 小さな声で聞き取れなかったのか、ラウハが聞き返す。アイナは「何でもない」と言うとキッチンに向かった。

「勉強するならお茶でも入れようか。コーヒーの方がいい?」

「甘いカフェオレにしてくれるならコーヒーがいい」

「わかった」

 アイナは女の子らしいラウハの返答に微笑み、コーヒーを抽出し始めた。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。



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