36.大体いつも一応
「ねえアイナ」
「ん? 何?」
ひたすらレポート用紙で計算を続けていたアイナは、声をかけられたので顔をあげた。アイナの隣にしゃがみ込んだのは、魔工技師見習いとして計画に参加中のラウハだ。彼女はアイナの手元を覗き込んで「げっ」と声を上げる。
「何これわかんない……」
「ラウハがわかったら、私の立つ瀬がないね」
アイナは軽く笑ってラウハに言った。ラウハはちょっと不満げな顔をして見せたけど。
「それで、どうかした?」
「あ、うん。こっちの作業が終わりそうだから、アイナを呼んで来いって」
「了解。今行く」
アイナは座っていた折りたたみ椅子から立ち上がると、計算した用紙を持ち、ラウハのあとについていった。
現在、魔工技師たちが巨大物体を覆っているところだ。第三研究所の研究員たちが指示をだし、魔工技師たちが資材を削りだしている。
「おう、アイナ。言われたとおり、魔法伝導率が最もいい魔石を削りだしたが……今は魔力が感知できないんだぜ?」
「わかってる。大丈夫。ありがとう」
アイナはそう礼を言うと、白い魔石でできた覆いにおおわれた巨大物体を見上げた。大きなものをさらに大きなもので覆っているので、余計に大きく見えた。
「はんちょー。魔法構築式の計算、できましたぁ?」
間延びした声でエリナが尋ねてきた。アイナは「うん」とうなずく。
「とりあえず、これでやってみよう。できなかったら、次の方法を考える」
「お、アイナが研究者っぽいことを言ってる」
「うるさいな」
茶々が入ったので、アイナはむっとして言い返した。一応、責任者の立場である彼女だが、どうしても十九歳という年齢で最年少になってしまう。
「すごい量だな。これ、どうやってこいつに刻むんだ?」
「……手で描くしかないよね」
アイナがそう言うと、みんなが「ですよねー」という表情になった。これは魔法を使えるようにするための魔法構築式だが、現時点では当たり前だが、魔法は使えないのだ。
アイナが計算した膨大な魔法構築式。それを魔法陣に置き換え、描いている間に間違いや変更点なども発見し、その都度修正を入れていく。結局、全て描き上げるまでに三時間近くもかかった。
「アイナ……複雑すぎ」
「ほっといてよ。自分でもびっくりしてるんだから」
アイナ自身も、こんなに複雑になるとは思わなかったのだ。しかし、とりあえず完成した。
「魔力測定、どう?」
「はい。少しずつ観測できるようになってきました」
という返答が返ってきて、何となく成功しているらしいことが分かった。おそらく、今後も改良が必要だが、今のところはこれで。
「魔法陣の変換率は?」
「正常値だな。ちゃんと作用してる。さすがはアイナ」
「褒めても何も出ないよ。ちょっと魔法使ってみてよ」
そう言うと、あちこちで魔法を使える魔導師たちが魔法を発動する。いつもより面倒な手順は必要だが、使えない状態よりはましだ。
「すごいすごーい! アイナ、すごいと思ってたけど、本当にすごいね!」
自身も簡単な魔法を使えるラウハが、ぴょんぴょん飛び跳ねて言った。その様子は可愛らしいが、語彙力にちょっと疑問を感じた。
「ラウハ、すごいがゲシュタルト崩壊しそうになってるよ……」
そうツッコミを入れると、ラウハは「えへへ」と笑った。
「メルヴィも喜ぶね」
「ああ、うん。そうだね」
アイナ以上に魔法が使えないことを嘆いていたメルヴィだ。喜んでくれるだろう、たぶん。むしろ、この現場に同席したがっていたが、そうなるともれなくエステルがついてくるので、危険なので遠慮してもらったのだ。
とはいえ、まだ魔法を使うのに少しコツがいる。ということで、アイナはそれらの記録もとってまわることにした。そして、魔法が使えるようになったので、第三研究所の研究もボチボチ再開し始めていた。
「うーん。やはり違和感がありますね……」
「慣れてくればそんなものだけどね」
メルヴィが魔法を使いながら少し顔をしかめた。魔術をばんばん手足の如く簡単に使っていたメルヴィにとって、この若干のタイムラグが鬱陶しいのだろう。気持ちはよくわかる。
とはいえ、アイナも慣れてきたのだから、メルヴィもそのうち慣れるだろう。まあ、その前にすんなり魔法が使えるようになる可能性もあるけど。
魔法によるライフラインも徐々に復活し始めた今日この頃。エステルがキラヴァーラに来て初めて、魔物の襲来があった。城塞の門がすべて閉じられる。
「あのっ。見学したいんだが!」
などというエステルは興奮気味である。ヘンリクもさすがに戸惑った。
「いやぁ。そう言われましてもねぇ」
と、こんな感じである。一応アイナが一緒だったのだが、街側に避難させることができなかった。五年前、あの時アイナは避難できずに城塞に閉じ込められたが、今回は自分の意志で残った。
「まあ、七階の窓から見るのであれば……アイナ」
「私?」
こっそり出て行こうとしたアイナは呼びとめられ、ちょっとムッとした表情になった。いや、別にエステルが嫌なわけではない。
「お前、どうせ見に行くだろう。一緒に行ってくれ」
「司令はどこに行くの」
アイナに頼むということは、ヘンリクはどこかに行くのだろう。ちなみに、アントンやイルッカをはじめ、エステルの護衛のアキ、レイマ、ニナすら魔物の討伐に向かっていた。それもあって、エステルはうらやましいのだろう。
はぐらかすように笑った五十がらみの男に対して、アイナはため息をついた。
「司令のことは嫌いだけど、死ねとまでは思ってないからほどほどにね」
結局エステルを引き受けるアイナに、メルヴィが言った。
「アイナってツンデレですよね」
「メルヴィ、何言ってんの」
いや、ツンデレの意味は分かるし、その定義に自分が当てはまることもわかってるけど。
アイナは普段足を踏み入れない事務局に足を踏み入れた。留守番の二人の職員が残っているだけだ。その二人も仕事をせず異世界側の窓を覗き込んでいた。
「よう、アイナ。ようこそ、姫様」
事務員の男性がひらひらと手を振る。アイナは「お邪魔します」と一応断ってからガラス窓から外をのぞく。彼女の隣から、エステルも覗き込んだ。
「魔物は四足歩行が多いんだな」
「魔物と言うか、魔獣だからね。あ、ちょっと。めったなことはないと思うけど、窓は開けないでよ」
さりげなく窓を開けようとしたメルヴィにストップをかける。メルヴィはしぶしぶ窓を閉めた。まあ、城塞側まで攻め込んでくることはめったにないが、用心するに越したことはない。
「……アイナって実は、指揮官に向いてるんじゃないか?」
「は?」
エステルは窓の外を見たまま言った。ちょうど、アントンが魔物を切り倒したところだった。
「できるかもしれないけど、別に興味ないし」
「聞く人が聞いたら、憤慨しそうですね」
メルヴィも冷静にツッコミを入れた。魔導師が戦闘に参加しているのを見て、メルヴィは少しうらやましそうだ。
「実践魔術を使う機会なんて、ほとんどないんですよね……」
「……メルヴィって、私のことを言えなくらい変わってるよね……」
マッドサイエンティストと言われるアイナであるが、メルヴィも魔術魔法を心置きなく使いたいというちょっと危険思考の持ち主だ。まあ、魔導師には多いけど。
「……大丈夫だ。二人とも十分変わっている」
念のためのエステルの護衛として一人だけ残っていたフレイからツッコミを受けた。しばらく見ていると、さすがに城塞の戦闘員たちは慣れている。魔物の討伐が終わったようだった。
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