2-3 味覚の疑惑
ウィリアムはガランの家に滞在することになった。
ガランの家は元々外来の客のための宿も兼ねており、ネロの強い希望もあり、ガランが特に何も言わなかったため、ウィリアムには拒む理由がなかった。
ウィリアムは今、ネロと共に食卓の席に着き、ガランが朝食を持ってくるのを待っていた。
最初はウィリアムも料理を手伝おうと提案していたのだが、ガランが「一人で十分だ」と、それを拒否したため、今はネロと二人で大人しくガランの事を待っていたのだった。
暇を持て余したウィリアムは、目の前でソワソワしながら座っているネロに話しかける事にした。
「ガランさんって料理上手なの?」
「んー、ままのほうがおいしかったよ」
「へ、へー。そうなんだ」
一般的には、そりゃあ女の人の方が上手だろう。そう思ったウィリアムだったが、ここは素直に相槌を打った方がいいと判断し、当たり障りのない返事をした。
「ぱぱ、あじつけがへたくそだから、あまりおいしくないの」
「うわぁ、見た目通りって感じだね…………やっぱり自分も手伝った方が良かったかな」
ガランはライオンのような見た目をしている。
ざっくばらんに整えられた金の髪を全て後ろへ流し、もみあげから顎髭までが全て繋がっているため、そのタテガミの様な容貌から野生を感じさせる。まさに、蛮族の戦士といたいでたちだ。
(骨のついた肉を焼いてそうな顔してるもんね)
ウィリアムはさり気に失礼な感想を心の中で呟いた。勿論、聞かれる可能性がなきにしもあらずなので、口には出さない。
ウィリアムは、今更ながらに不安になってきた。本当に食べられるものが出てくるのだろうか。
これまではガランが厨房に立って、料理を出すことはなかった。老人が所持していた食料を調理し、ウィリアム達に振舞っていた為である。
しかし、これからはこの村にある材料で、この村の料理を…………正しく言えば、ガランの作った料理を食べる事になる。
(あまりにも酷かったら、なんとか交渉して自分に調理させてもらおう。最低でも、味付けだけは自分に任せてもらおう)
ウィリアムが人知れず覚悟を決めていると、ガランが大皿を持って食卓へとやってきた。
「おう、待たせたな。腹が減っているだろう、沢山食えや」
(さて、何が出てくるのか…………)
その皿の上を見た時、ウィリアムに衝撃が走った。
(い、芋…………だけ…………っ!?)
芋。そう、あの芋である。
少なくとも、見た目は間違いなく芋。すり潰した芋である。
「えっと、ガランさん…………これだけ、ですか? いや、出されたものに文句があるわけじゃないんですけど、流石に芋だけって…………体に悪くありませんか?」
「ああん? んなもん心配すんな。俺は一年間毎日三食、この芋だけ食べてきているが、一度も体調を崩したことはねぇ。勿論、ネロも病気になったりしてねぇぜ」
「一年…………っ!」
マジかよ、と言いたげにウィリアムはネロへと視線を向けた。
ネロはウィリアムの言いたいことが何となく伝わったのか、無言で頷く。
ウィリアムの想像以上に、ガランの料理の腕はダメだった。いや、どちらかというと食事への拘りが無いのだろう。
一年間。ネロの母親が亡くなってからずっと、この芋だけを食べてきたのだろうか。
それって、虐待にならないのか? と、ウィリアムはネロを見ながら訝しんだ。
確かに、ガランは健康そうだ。むしろ、病気の方が逃げていきそうな凶暴な見た目をしているし、心配するだけ無駄なのだろう。
しかし、ネロはどうだろうか。
聞くところによれば、ネロはまだ六歳。
栄養が必要な時期であるし、食べ盛りといっていい年齢だろう。なんとなく、農村暮らしにしては肌が白すぎる気すらしてくる。
確かに、男手一つで一年間娘を育ててきたことは尊敬できる。
しかし、それとこれとは話が別だ。
ネロちゃんの為にも、ここは自分がハッキリと、間違っていることを伝えなければ。
そう、自分の為ではなく、ネロの健康の為に。
そう言い訳して自分を勇気付けたウィリアムは、この強大な敵に立ち向かわんと、口を開いた。
「ガランさん、確かに」
「文句あるなら飯は抜きだぞ」
「いや、なんでもありません」
無力。ウィリアムは自分の力の無さを悔やんだ。流石に食事抜きは堪える。例え、目の前にあるのがすり潰した芋だけだとしても、貴重な栄養源である事に変わりはないのだ。
ネロちゃん、無力な僕を許してくれ。
そんな気持ちを込めてネロを見たウィリアムは、彼女が無表情で淡々と芋を咀嚼しているのを目撃し、より一層気持ちを落ち込ませた。
「ほら、早く食わないと無くなっちまうぞ」
「頂きます」
ウィリアムはまだ希望を捨てていなかった。
そう、味付けが凄く好みの可能性がある。例え、ネロから「あじつけがへたくそ」という前情報を得ていたとしても、まだ希望は捨てない。なぜなら、味の好みは人それぞれなのだから。
ゴクっ、と。ウィリアムは喉を鳴らして唾を飲み込んだ。覚悟は、既にできていた。
「ええい、ままよ!」
用意されていた匙を使い、気持ち多めに芋を掬い上げ、一思いに口に突っ込む。
そしてウィリアムは目を見開き、叫んだ。
「美味しい! ガランさん、これ凄く美味しいですよ!」
「だろ? ほら、どんどん食え」
なんという事だろう。ウィリアムはこの奇跡の様な出来事に、神に感謝を捧げざるを得なかった。
薄すぎず、濃すぎず、ベストな塩加減。
その腕力から生まれた怪力によってすり潰された芋は、滑らかな舌触りで、粉っぽさが全くない。
そして何より、芋そのものの素朴で、どこか懐かしさを感じる風味。
まさに、最高の芋料理。
美味しい、美味しいと芋を食べ続けるウィリアム。
その様子をネロが「マジかよ」と言わんばかりに見つめている事に、彼は気がつかなかった。
「あれ?」
「あん?」
食事を進めている最中、ウィリアムはふと疑問に思ったことを口にした。
「でもガランさんって猟師なんですよね? 獲った動物を食べたりしないんですか?」
「あー、それがな…………ヴェルディン・オールドウェストが燃えちまってから、獣の数がだいぶ減っちまってな。生き延びた奴らも殺しちまったら、この辺りから動物がいなくなっちまうし、今は寧ろ、保護して面倒見てやんないといけないのよ」
「それは…………」
一体どんな気持ちなのだろうか。自分の妻が死ぬ原因となった相手を保護する、というのは。
複雑そうな表情を浮かべるガランに対し、ウィリアムもまた、複雑な心境を隠しきれなかった。
「ぱぱ、やっぱりへたっぴ…………あじしない…………」
ネロが不満そうにボソッと呟いた言葉を、ウィリアムはしっかり聞き取った。
対面に座っているウィリアムが聞こえたくらいだ、隣に座っているガランも、勿論聞こえているだろう。
しかし、ガランはどこ吹く風であり、聞こえないフリをしている。他所向いて、へたくそな口笛をヒューヒューと吹いて誤魔化しているのを見て「流石にそれはないだろう」と笑う。
「むーっ」と膨れながら、糾弾するかのように態度で抗議しているネロを見て、ウィリアムは思った。
(味がしないって……もしかしてネロちゃん、かなりの味音痴?)
こんな朝の一幕から、彼の村での生活は始まった。