2-1 古き森の探査編
「古き森の探査編」開幕です。
「じゃあ、準備はいいか? 覚悟はできているか?」
「はい、大丈夫です。いけます」
ウィリアムとガランはヴェルディン・オールドウェスト・ミッド跡地の目の前まで来ていた。
ヴェルディン・オールドウェストは辺境の森である。
「ヴェルディン《妖精》」の名を冠するその地には、人ならざる者が住み着いており、森を抜けようとする人間を惑わすと言われている。
木々の背は高く、乱立する柱の如く。
その枝は長く、他の木の枝と絡み合い、葉の天井を作り出している。
よって日中においてもその森は暗く、太陽の光を当てにして森の先を見通すことは難しい。
その面積は広大である。
どこを切り取っても似たような風景であり、これまでの歴史において、少なくない人数が行方不明となっている。
唯一の道標となるのは、森の端を流れるリーオスの大河のみである。
ヴェルディン・オールドウェストを横幅で等しく五つに分ける。
その端から三分の一ほどの場所を、森を切り分けるように流れているのがリーオスの大河だ。
現地民が狩りをする時、行商人が街から街へと渡る時、旅人が森を踏破する時。
いずれの場合においても、この河が彼らの命綱である。
このリーオスの大河によって区切られたうち、小さい方の森をオールドウェスト・ミッドと呼ぶ。
そして、大きい方をオールドウェスト・ディープと呼称し、区分している。
森に迷い込んだ時、オールドウェスト・ミッドの方へ逸れた場合は運が良い。
獰猛な野生動物が生息しているとはいえ、一日ほど真っ直ぐ歩き続ければ森を抜ける事ができる。
そして運が良ければ、森を狩場としている村人の保護を受けられるのだ。
しかし、オールドウェスト・ディープへ迷い込んだ者は、死を覚悟することになるだろう。
ミッドの四倍以上の面積を持ち、それゆえ未だ人々の手が入っていない深き森は、その自然の暴力を容赦なく突きつけてくる。
伝承に残る古き種族、狼人間は獰猛である。
彼らは集団で人を狩り、命を奪うことこそを誉れとしている。
同じく古き種族、樹人は狡猾である。
彼らは森そのものであり、木々を嗾しかけ、獲物に突き刺した枝々から命を吸い取る。
何より、ただただ広く暗く、風景の変わらない森そのものが、常人の正気を奪い、気力を削ぐ。
空を塞ぐ枝々のせいで太陽を見つけることすら出来ず、方角を確認することは困難である。
その規模ゆえに騎馬を以ってして踏破には日の巡りを二桁は要する。
獣道を見つけなければまともに進むことすら叶わない。
しかし、獣道はその名の通り獣の領域であるために命の危険が伴う。
ただ自然のままにある。
それだけが、その全てが命を奪おうとしてくる。
それがヴェルディン・オールドウェスト・ディープの正体である。
迷い込めば、命を諦めろ。それがオールドウェストに対しての人々の認識であり、真実であった。
ウィリアムが村で生活するようになってから、既に一週間が経過している。
そしてウィリアムは今、ガランという心強い味方を得て、このヴェルディン・オールドウェストへと帰ってきていた。
ウィリアムは「ここを訪れるのは二度目だけど、やっぱり酷い光景だな」と思った。
ヴェルディン・オールドウェスト・ミッドが全焼したのは、約一年ほど前だと云うことは聞いている。
しかし、それでもこの光景はおかしい、とはガランの話だ。
そもそも、ヴェルディン・オールドウェストが何故「ヴェルディン《妖精》」という名を冠しているのか。
それはこの地の驚異的な特性が関係している。
森は、例え全焼しても何十年か経てば自力で回復するというのは知られているだろう。
しかし、このヴェルディン・オールドウェストにおいては、話が違ってくる。
『この森は生きている』と、過去の人々は言った。それは例え話ではなく、ただの事実なのだ。
普通の森が何十年、何百年かけて回復するような自然破壊も、ヴェルディン・オールドウェストでは『僅か七日間』で回復する。
木が焼けたり折られたりした時、まずその日のうちに跡地から『芽が出る』。そして二日ほどかけて幹を再生し、更に二日かけて枝を伸ばす。そこからまた二日後には葉が枝を埋め尽くし、最終的に『森が傷つく前と全く同じ』状態になるという。
これは僻地によくある伝承などではなく、出所の確かな文献にも記されている事実らしい。
過去にヴェルディン・オールドウェストで森林伐採を行った時は、そのあまりの回復力に恐れをなし、事実上木材が取り放題であるにも関わらず、伐採計画は中止になったという。
そんな不思議で奇妙な森が、『火災が起きてから一年の間全く再生していない』事が、逆に不気味である、というのが、都会の学者を含めた知識人の共通の認識であるらしい。
更に奇妙といえば、オールドウェストに横たわる木炭と化した木々達が、『火災から一年経った今でも熱を放っている』、という現象起きているそうだ。
ウィリアムはその話を聞いた時、「そんなバカな」と思ったが、朧げである自身の記憶を掘り返すと、確かに周囲の気温が此処よりも若干…………いや、かなり高かった事を思い出した。
一般的に、この事象はこの地に現れた炎の悪魔の仕業、という事になっているらしい。
何度か討伐隊を組まれたものの、かの悪魔は『普段は無色透明な気体のような姿』をとっており、『可燃物が活動範囲に入ると、問答無用でそれらを引火させ、そこから生まれた炎を纏って姿を現わす』らしく、何度火を消しても『その場の人間を燃料に蘇る』事から、今では原則関わることを禁じられているそうだ。
ウィリアムは、これらの知識をガランから受け取っていた。全てがオカルト的な話であり、信用する事に抵抗があったが、実際その一部だけとはいえ自分も体感しているため、まずは受け入れる事が大切だと、その話を信じる事にした。
勿論、戸惑いや不安は尽きない。
記憶がないウィリアムにとって、心の拠り所となるのは、その出所不明である『知識』しかないのだ。
その知識があって、自分の出自のヒントがそこに隠されている。そう確信があるからこそ、ウィリアムは不安に押し潰されずに、現状を解決しようと前向きになれるのだ。
しかし、ここまで過ごしてきた中で、少なくない現実が『知識』と反しているという現状に、ウィリアムは向き合いきれずにいた。
「まるで、自分が今まで暮らしていた所とは全く違う、遠い場所に来てしまったようだ」
ウィリアムはそう感じていた。そして、それが事実に限りなく近く、正しい事であると、心のどこかで確信すらしている。
今の自分が頼りにできるのは、わずか三つだけだと、ウィリアムはそう考えている。
一つは、商人の老人との縁。
別れの時、あの好々爺とした男は「もしも一人で首都へ来る事があって、困った時は、これを見せなさい」と、紋章のような物をウィリアムへと渡していった。
最後まで心配そうにしていたあの商人は、無条件で手を差し伸べてくれたあの商人だけは、無条件で信頼してもいいだろう。ウィリアムはそう考えている。
一つは、この頼もしい狩人の男との縁。
殆ど初対面であるにも関わらず、自らの家への滞在を許し、この一週間近く面倒を見てくれた男。
不安を忘れさせる、頼もしさを感じさせるその様に、どれだけ心が救われただろうか。
自分がこの男の助けになれるなら、それはどれだけ素晴らしいことだろうか。
ウィリアムは自分の為だけではなく、自分の為に親身になって接してくれたこの男に報いる為にも、記憶を取り戻す決意を深めていた。
そして、最後の一つがこの森である。
自分が目覚めた場所にして、如何にもといった曰く付きの怪しい場所。
未だ見続けている悪夢と、この森にいるという悪魔は、無関係とは思えない。
森を目の前にして、ウィリアムは確信していた。
ここに、自分に関係する何かがある、と。
そして今、村での生活を経て、この頼もしい男の協力をこぎつけ、ウィリアムはこの地に戻ってきた。
自分の過去に関する何かを、一つでも手に入れる。
その決意を抱きながら、少年は再び『ヴェルディン・オールドウェスト《妖精の古き森》』へと足を踏み入れる。
見渡す限りの大地が黒い木炭で覆われており、その空気は熱に溢れている。
行き場のないエネルギーが煙を吐き出し、空へと登る。
見えない脅威が在る。ただそれだけの事実が心を揺さぶり、焦燥感を掻き立てる。
旅人よ、足を踏み入れることなかれ。
その地は想像を越えて厳しく、予想を上回るほどの危険に溢れている。
その地の名は「ヴェルディン・オールドウェスト・ミッド《妖精を殺した悪魔の森》」、最も新しい伝承を歴史に刻んだ既知の未開地。