1-1 農村訪問編
遥か昔、一人の王が自らの命を使い、世界と契約を交わした。
その時から、彼等は世界に姿を現した。
超常の力を操り、人類に敵対する怪物を退治する。
彼等は自らを、異邦人と名乗った。
その男は自らを、ウィリアムと名乗った。
瞳は黒く、それに反して頭髪は白く、どこかチグハグな印象を与えてくる。
顔は整ってはいるがやや平べったく、そして幼い。
服装は見慣れない黒の衣類で上下を統一しており、汚れは殆どなく清潔である。
前を閉じているボタンが太陽の光を反射し輝いている。
ガランはこの男が首都やそれに連なる、いわゆる都会の方から来たのだと認識した。
この辺境ともいえる村の風景と見比べると、明らかに浮いているのが分かる。
「それで? ウィリアム…………お前さんはどうしてこのような場所に? 言っちゃなんだが、都会育ちのボンボンが来るにはつまらない場所だぜ?」
ガランの問いかけに、ウィリアムは困ったように薄く笑った。
なんと言えばいいのか分からない、そんな様子である。
こりゃ、ワケありか? 心中でそう呟いたガランに、ウィリアムとは別の男が「それがですね…………」と話しかけてくる。
ウィリアムと同じ色の髪、しかしそれは年季を重ねたが故の色であることを見た目から理解させる。
つまりは、白髪の老人である。
定期的に村を訪れる行商人の男だ。
いつも顔色が悪く、ガランは「ありゃ、長くないな」と心の中で思っている。
しかし、これでもヴェルディン・オールドウェストを乗り越えて商品を運んでくる、やり手の商人だ。
その男が言うには「どうにも、記憶喪失だそうです」とのことだ。
ガランは思わず反射的に「はぁ?」と、口に出して訝しんだ。
「実は、オールドウェストの焼け跡にポツンと立ってるのを見かけまして。思わず声をかけたのですが…………あぁ、ほら、あそこは色々危険でしょう? 辺りを見回しても誰もいないようでしたので、こんなところで1人でどうしたのかと、そう聞いてみたんです。すると「ここは何処?」と言うじゃありませんか。更に詳しく聞いてみたところ、自分が誰なのか、どうしてここに立っていたのか、全く心当たりがないそうで。覚えているのは名前だけ、こりゃ、なんかあったに違いないと…………あんな場所ですし、放っておくわけにもいかず、とりあえず馬車に乗せて、ここまで連れて来たわけです」
「いや、まぁ…………言いたいことは分からんでもないが。というよりもアンタ、やっぱりあんな所を通って来ていたのか。危険だって自分でも言ってるのに、命知らずか、それともボケてるのか?」
「ひひっ、競争相手がいないですからね。慣れると、存外なんともないものですよ。仮に何かあったとしても、こんな老いぼれ1人の命が散るだけですし」
そんな事をいう商人の老人に、ガランは大きくため息を吐き出した。
それを気にすることなく、老人は「ところで…………」と話を続けた。
「さっきの反応から何となく結果は分かっておりますが、一応聞いておきましょう。猟師殿、この男の子に見覚えは?」
「あるわけないだろう。大体、どう見ても村人って感じじゃないだろ。ここ数年、子供は産まれていないし、他所から来てもない。オールドウェストの近くだからダメ元で連れてきたんだろうが、当てが外れたな。服装的に金持ちの子供だろ、首都の方に連れていけよ」
「ふぅむ、それはそれは…………残念でしたね?」
商人の男に話を振られたウィリアムは、困ったような笑顔のまま頷いた。
彼自身も、何となくそうなんじゃないかと悟っていたのだろう。
残念そうではあるが、そこまでショックを受けているようでもなかった。
記憶を失っているというのも自己申告であり、真実かは定かではない。
この奇妙な少年が何を思っているのか、ガランには検討もつかなかった。
少しの間、気まずい空気が流れる。それを壊したのは、話を進めようとしたガランだった。
「まぁ、どうでもいいけどよ…………あぁ、いや、そいつの事がどうとか言うつもりはないぜ? ぶっちゃけ怪しいって思っちゃいるが、別に門前払いをするつもりもねぇ。問題さえ起こさなければ、爺さんと一緒に一晩泊まるくらいは構わないさ。万が一何かあった時は、連れてきた爺さんが責任を取る。だろ?」
「えぇ、それはもう。拾ってしまった以上、当面の間は面倒を見るつもりですよ。身元が分かるまで、あるいは、引取先が見つかるまでは、私が保護者みたいなものですから」
「得があるわけでもないってのに、お人好しは大変だな」
「この歳になると、大抵の物事に執着しなくなるものでして。子供一人くらい、損得関係なく保護しますよ。あなたも歳をとればきっと分かります」
「へっ、じゃあ一生分かんねえだろうな。俺はいつ迄も、若いままのつもりだからよ!」
ハハハハ、と、二人の男の楽しげな笑い声が響く。それに合わせたのか、ウィリアムも小さく笑った。
「おっ、やっと楽な表情になったじゃねぇか坊主。さっきから辛気臭い顔してるからよ、こっちまで気分が落ち込んじまう所だったぜ? 記憶喪失たぁ色々大変だと思うがよ、今はこの親切すぎる爺さんに拾ってもらった事を素直に喜んどけ、な?」
「はい、感謝してます。本当に」
「だってよ、爺さん」
「いやぁ、そう言われてしまうと、なんというか、照れますねぇ」
「んじゃ、長旅で疲れているだろうからよ。とりあえずいつもの場所に案内するぜ。商談は後で村長とやってくれや。おう坊主、お前もついてこい」
そういうとガランは先導するために歩き出した。
二人分の足音と、馬の蹄が地面にぶつかる音、荷物を乗せた馬車の車輪の音が後に続く。
誰にも聞こえないほど小さく、ウィリアムはため息をついた。結局、何も分からなかったからだ。
そう、何一つ理解する事が出来なかった。
自分が居たという場所についても、この村についても、自分を拾った商人についても。
ウィリアム、というのは偽名だ。
商人の男に名前を聞かれた時、咄嗟に名乗ってしまった。
あまりに自然に名乗っていたので、一瞬本当に自分の名前だと思いそうになった。しかしそれは偽名だと、ウィリアム自身が理解していた。
自我を取り戻して初めて出会った、商人の男。その容貌はどう見ても外国人のそれであった。
しかし、話す言葉は故郷のものである。
ウィリアムからすれば、この男の方が自分よりよっぽど奇妙だった。
行商人? 馬車を使って荷物を運ぶだなんて、なんと前時代的な事だろうか。
ヴェルディン・オールドウェスト? そんな地名は、聞いた事がない。
仮に自分が知らないだけにしても、明らかに故郷の地名ではない。
この猟師の男も、やはりおかしい。
弓を背中に担いでいる。一体どこの未開地ならば、そんなもので狩りをしているというのだ。
文明が遅れている、田舎にも程がある。身なりもどことなく野生的だ、アマゾンの奥地の部族か何かなのだろうか?
この科学の発展した時代で、何世紀遅れているのだ。
そんな疑問とも愚痴とも言える何かを心中でダラダラ零していたウィリアムだが、急に我に帰った。
外国? 前時代的? 未開地?
じゃあ自分は、此処じゃない何処かを知っているのか?
科学とはなんだ? 世紀とは? 一体その知識は……何処からきているんだ?
ウィリアムというのは偽名である。そして、本当の自分の名は、自分でも分からない。
彼は実際、記憶喪失だった。自分自身についての事を、何一つ覚えていない。
それでいて、時々こんな風に「出所の分からない知識」が頭の中に思い浮かぶ。
それは無意識のうちにポッと現れては、フッと何処かに消えていく。
自分の事を思い出すためには、この知識の原典を知らなければならないと、誰に言われなくても自覚していた。
しかし、知らないはずの事を知っている、という事実は、ウィリアムの心の中に不安という影を落としていた。
怖いのだ、何処からともなく現れては消えていくこの知識が。
そして、その知識と今ある現実との差異が。
もしかしたら、と。こう考えてしまう。
自分は、どうしようもないほど遠い場所に来てしまったのではないかと。
そして、元いた場所には、もう帰れないのではないかと。
「おい、大丈夫か? 顔色が悪いぞ?」
ガランという男の声で、ウィリアムの意識は現実へと帰ってきた。
(また、考え込んでしまっていた)
「いえいえ、大丈夫ですよ。これは生まれつきでしてな」
「爺さんに聞いたんじゃねぇよ。あんたはいつも青い顔してるじゃねぇか! この坊主が辛そうな顔してるからよ…………心配してんのよ」
「おやおや、そうでしたか。ウィリアム殿、大丈夫ですか?」
「あっ、えっと、はい。大丈夫です、ちょっと疲れてしまっただけですから」
「あー、坊主ほっせぇ体してるからな! ちゃんと飯食ってんのか?」
「失礼な、ちゃんと一日三食摂らせてますよ」
「だから爺さんには聞いてないっての。ともかく、アレだ。宿に着いたら坊主はおとなしく横になってろよ、商談に着いていっても意味ないだろうしな」
「はい…………ありがとうございます」
そうだ、何を不安に思う事があるのか。
商人の爺さんも、このガランという猟師も、親切だ。
少なくとも、今すぐ何かをどうにかしないといけないという事なんかない。
いきなり命の危険に陥ることも無い…………その筈だ。
ウィリアムは自分にそう言い聞かせ、無理やり笑顔を浮かべた。