私の知らない宝島
カンカンコンカカンカンカコンコン。
アゴゴの軽快なリズムが体育館中を駆け巡る
4小節のソロに続いてマラカスが16ビートを保つ。
そしてドラムのフィルイン。その瞬間、盲目の私に視覚という色がついた。あちこちが光り輝いているような、眩い舞台を眼前にして。
「おい!」
手を引かれ座らされる。
「なに1人で立ってるんだ」
「ごめん」
目が離せない。彼から。私の知らない《宝島》の中で彼は何を吹くのだろう。近くで、チっという雑音が聞こえた。そんなもの関係なかった。
ドラムのアレンジは秀逸であった。基本リズムは崩さずその中で様々な技を入れていく。
「アリス先輩! 今日はオレに下さい!」
東城先輩は急にそう叫ぶとフルートを構えた。
観客はざわめく。何が始まるのかと期待と高揚感を持って。今か今かと焦らされる感覚は優しい愛撫のようだ。
ドラムの合図。それは共通。誰もが知っているリズムだった。
合図と共に管楽器の下降連符。そしてD♭Durから始まる軽快な音楽。
「にしても凄いな、このバンド」
区間番号Aが終わり、B。木管の旋律。軽々しいラテンポップを綺麗に響かせていく。自然と揺れるクラリネット。華麗に吹きこなすフルート。その姿に自然と手拍子が沸き起こる。
2度目の繰り返しでマイクの前に堂々と向かうのはテナーサックス。本来アルトサックスのソロの場所を、彼はリードを浅く噛んだ。
銀に鈍く光るそのテナーサックスの色っぽく嗄れた音は紛れもなくジャズサックス。吹いている人はまだ20歳前後だと思うが年期の入ったおじさんのカッコイイ音に聞こえた。
そして、サビ。
「トランペットがいなくても成り立たせてるんだからよ」
トランペットがここぞとばかりにでしゃばる場所。そこに存在しないなんて考えられなかった。そう、圧倒的に音圧が足らなかった。
「違和感……」
私の中にあった違和感。これだ。トランペットの音が無かったんだ。
トランペットが支えていたメロディーはアルトサックスとフルートでカバーされていた。そればかりは無理矢理感が拭えないが、アレンジとしては完璧なものだった。
サビが終わるとまた最初のメロディーが流れる。
音が減り大人しく、ソロを待つ部分。その先にあるのは、アルトサックスの16小節のソロ。
そのはずだった。
マイクの前に向かったのは……。
「東城先輩……!?」
アルトサックスのために下げられていたマイクを思いっきし上げて自分の口の前にポジションする。そして構えられたフルートは体育館のライトでも煌びやかに光った。
誰も聞いたことない、フルートのソロ。原曲なんかよりエロスティックで華やかな音に聞き入る。巧みな連符とリズムを誇張するタンギング。普段使うことのないフラッターにリップスラー。私の知っているだけの技を幾重にも重ねて放っている。
怪盗十面相。まるでそんな音を奏でているようだ。
最後をhighA♭で締めくくると英国紳士の様にお辞儀をする。
沸き起こる拍手。私も自然と手を叩いていた。
その音を面白く思わなかったのはドラムだった。
『次は私の番』
そう言っているようにトップシンバルとハイハットを掻き鳴らす。ダブルペダルなのか、バスドラを36分音符バリに蹴ったかと思えば、スネアとタムで意表をつき、ラストと言わんばかりにシンバルを阿修羅の如く掻き鳴らす。
そして、お決まりの合図。
普段は直管楽器のソリだがトロンボーンとホルンが楽譜通り吹いていた。ホルンはこちらにベルを向け面白いほど高音域で響かせる。トロンボーンは手が残像していて見えない様な動きをしてスライドを動かしている。
ソリが終盤に向かうと全員楽器を構える。そして上昇の半音階に押されてtutti。
またサビが流れるのだ。途中でcodaに飛びフルートが荒ぶりホルンが吠える。短いコラールを響かせて木管のtrillと共にfpからのクレッシェンド。締めくくりは低音の『終わり』を告げるリズム。
曲は最高潮で終演を迎えた。
また拍手がわき起こる。もう、手が痛いくらいに大きな音で。
アルトサックスを担いだ小柄の女性が1歩前に出た。
「お聞きいただいてありがとうございました。時間上今日はこれで以上ですが、もっと聞きたいと思いますので新入生歓迎会コンサートを4月25日に我が部室で行いますので、絶対に来いよ」
さっき体育館前で会った女性の人は頭を下げると撤収の合図を放つ。その途端黄色い声援が飛ぶ。それは間違いなくフルートの男性に向けてだった。
先輩は手を降る。それにより声がより一層大きくなる。
「相変わらずだな……ハハ……」
呟いて視線を下ろす。
憧れ。ずっとずっと、ずっと。それがlikeからloveに変わるのなんてそんなに時間はかからなかった。
でも、手なんて出せなかった。
私なんか……、見てくれるはずなんて無かったんだから。
こんな事で悔しくなるなんてみっともない。もう関係ないんだ。
顔を上げた。見納めだ。
そんな時、また彼と目が合った。
(聴きに来いよ)
私を指さして口を動かした。
(絶対にな)
それは聞こえなかった。けど間違いなくそう言っていた。
私は視線を落とした。胸が、苦しい。
「凄い……」
そう前置きしてから私の肩を掴んで揺らすのは斉木さんだった。
「なにあれ《宝島》なの? アレンジが強すぎでわからなかった。テナーのソロとかフルートのソロとか……あっ」
私の身体を見て呟かれた短い感嘆符の後にすぐに手を離した。
「ごめんなさい! 私、すぐに興奮しちゃって……」
ボサボサになった髪を手櫛で整え、乱れた服を戻す。
「大丈夫。私もそんな気待ちだから」
無理して笑った。今にも吐いてしまいそうなほど苦しい。そんな私のことなんて、誰にも知られたくなかった。
「斉木さんもそんな所あるんだな」
と西条が眼鏡を上げながら笑う。そしてこうも続ける。
「それなら一緒にコンサート行かないか? 流石に1人だと足を伸ばしづらい」
そんな様には見えない。1人でづけづけと土足で人の家に入りそうな性格をしていると思う。
しかし、その言葉で斉木さんは視線を逸らしてしおらしくなる。
「う、うん……」
「よし、決まりだな」
西条は座り直して前を向く。それを見てか斉木さんはなにか言いたそうな顔をして同様に前を向いた。
……なんなんだこの感じ。心配になり斉木さんの方を見ると遥香ちゃんが2人を見てニタリと微笑んでいた。