心を動かすもの
体育館に集められた。これからが新入生歓迎会である。入学式の時よりイスは減ったが対して代わりのない配置。壇上に花がなくなった程度でほとんどそのままの舞台である。
周りを見ればダルそうな顔と姿勢で先輩を煽っている輩や、これからを人生の色を決めようとして真剣に貰ったパンフレットを眺める熱血な人、その間で無難に生息している人、まさに多種多様だ。この人たちと6年間過ごすのかと思うとかなり不安になってきた。
それは唐突に予想に足りない始まり方をする。
軽音同好会。私の偏見ではあるが、不良の溜まり場。タバコを蒸し酒に溺れ、性に貪欲。私の偏見だ。
ただ、この新入生歓迎会と評されたサークル紹介の初めとしてはそれらを誇張しているようにも思える。
味があると言えば聞こえがいいが、酒やけの様な、長年タバコを吸って嗄れたようなそんな歌声。抑えきれない欲望をむき出すビート。目立つだけのリード。それらが混ざりあってまるで闇鍋のような状態だ。前方の小さな女の子たちが少しばかり盛り上がっている様に見えるが私には何に乗ればいいのか分からなかった。
「どーも! 新入生の皆さん入学おめでとうございます!」
と思ってもないことを口にして紹介に入る。メインなのはやはり新歓コンパだ。軽音っぽいが、それって結局私の偏見の範疇なのではないのだろうか。
「んー。イマイチ」
2つ隣に座っている遥香ちゃんが少し声を張って言った。それに私は強く頷くと、間に挟まっている斉木さんがそんなこと言っちゃダメだよと言わんばかりにあたふたして私たちを交互に見た。
「もう少しイケメンなら行ってやってもいいんだけど」
……それは1発なら、OKということだろうか。
「わ、私は良かったと思うよ。ベースラインは安定してたし」
「どこがだ」
反射的に体が驚いた。何故か私の右隣にはアイツがいる。そう西条一樹だ。
「バスとベースがいつ重なった。オレが知る限り1度たりとも合わなかったぞ」
アイツは怒っているのか少し額に皺を寄せていた。その威圧に斉木さんはできるだけその身を小さくした。そろそろ消えそうである。
「お陰で頭痛がする」
眉間を人差し指のと親指で押さえて溜め息を吐いた。悔しいがそれには同意する。私も頭痛がする。
「く、薬あるよ?」
そう言って私の前を通ったのは痛み止めの薬だった。
「丁重に断る」
その言葉に跳ね返されて薬は私の前をまた通った。
この後は運動部が続いた。その中にバドミントンもあった。どうやら大きな大会にも出ていて優勝もしているらしい。信頼と実績があるように見えるが、なにか下心が浮き沈みしている気がするのは気のせいだろうか。
「んー……」
なにか言いたげに喉を鳴らす遥香ちゃんに思ったことを言う。
「入るの?」
「んー……!」
より強く悩む。彼女は何を考えているのだろう。私にはよくわからなかった。
新入生歓迎会前半の最後はストリングスオーケストラだった。
「こんなのもあるんだ」
そう呟くと西条がメガネをかけ直した。
「興味深い」
壇上にぞろぞろと上がる真面目そうな人たち。やはり女性が中心かと思えばイケメンもちらほらと見受けられる。
ほとんどの人がバイオリンだが、1人だけ大きなものを持って入ってきた。
「チェロか」
西条が呟くのを聞いて初めて見たものと名前を合致させた。
「私初めて見たわ」
「さすがだな」
褒められて無い。と口にするだけムダな気がしたので壇上の人に目と耳を向けた。
最初のフレーズだけでわかる曲。そんなに多くはないと思う。しかしそれが間違いなく満遍なく全ての人に対して当てはまる曲なんて極一部だろう。そう、それだけ有名な曲だ。
「It’s a small worldだ」
弦楽器の、それも中音域以上の編成で聞く曲もなかなかに新鮮だった。
しかしながら……。
「やばい、痒くなってきた」
「……同意する」
糸と糸とが擦れる音。いや音ではない、雑音だ。それがもろに聞こえ耳元でハエが飛んでいるような感覚に、奥歯が痒く、身体中が痒く、内蔵が痒い。
堪らず耳を塞ぐ。これは……聞けたものではない。
曲が終わる。まるで地獄の様な時間にどっと疲れが舞い込んできた。
「けっこういいね、ストリングスオーケストラ」
「カッコイイ……」
左の2人は羨ましい耳をしている。さっきの時間貸して欲しかった。
休憩時間、気分転換に外に出る。体育館内はなかなか息苦しいのである。春真ん中だが少しばかり寒い今日の空気はこんがらがった頭を整理させてくれた。ムダな情報が多いのだ、この時間。
結論的に今のところ心を動かされる所はひとつもない。このまま行けば私は帰宅部。ずっと決めてたこと。
「あれ? 休憩ですか?」
と、サックスのストラップをしている女性が話しかけてきた。かなり大人っぽく見える容姿は髪の色のせいだろうか。茶色過ぎず黒過ぎずの色。それとナチュラルメイクの優しそうな笑顔。アイラインには舞台用なのかラメがふんだんに使われ華やかに光っていた。服もスポーティーなものでミニスカートに黒タイツは卑怯と言えるほど色っぽいものだった。
「はい、そうです」
嫉妬にも似た溜め息と共に素っ気ない言葉が出た。
「まじかぁ……。ありがとうね」
そんな私の前を態度を気にすることなく笑顔でお辞儀をすると踵を返して教室棟へ向かっていった。
今の人、サックスだろうな。上手そうに見えたのは気のせいだろうか。人は見かけによらない。音も見かけによらない。
「まもなく歓迎会を再開します。新入生の皆様は席にお戻り下さい」
スピーカーを通る声に私は歩き出した。後半分、聞かなければ。
席に戻る。右側は相変わらず自分の世界に浸っているのか小さめの本を広げて読んでいた。小説かなにかかと思って覗くと何かの単語帳だった。
「目が痛い」
「覗いておいて言う言葉か、それは」
「2人は仲がいいねぇ。知り合いなの?」
左の耳が捉えたのは斉木さんの声だった。
「そんなわけないでしょ!」
「そんなわけないだろ!」
2人の言葉が重なると無性にイラついた。あー、なんでこんな奴の隣なのよ!
そう思っていると舞台上に小さな女の子たちが数人フォーメーションを取って立っていた。
「ダンス部だってさ」
遥香ちゃんがそう言うと私は耳を疑った。
「え? 部!?」
今まで聞いてきたサークルの中で部と名を持つものはバドミントンのみだった。事情はよくわからないけど、ひとつわかることがある。ある程度の実績があること、だ。
それは今流行りのJ-POPだった。それに合わせて動く彼女たちの洗練されたそれは、周りのオタクたちを騒がせた。
「あれ、ユートギアじゃね!」
「そうだよ! あのユートギアだよ!」
私はその言葉に聞き覚えはなかった。しかし、彼女たちのダンスはまるで1枚絵が連続して続く、言わば芸術の嵐のようなものだった。激しくも乱れない隊列。一寸の狂いもない振り付け。
今までの全てが余興だと言わんばかりの見せっぷりだった。
音楽が終わると、今まで静かだった新入生は誰彼構わず拍手を始めた。
「凄い……」
そう呟くと斉木さんが口に出した。
「そりゃそうだよ。YouTubeで有名なダンスユニットだもん」
納得できた。興味がなくても引き込まれるこの感覚は、私が楽器を始めた時と一緒だったのだから。
中学でも部活紹介があった。全国常連校だったうちの中学校の、最高の《宝島》は未だに記憶に残っている。ぶれることの無い音程、テンポ、そしてサックスのソロ、直管楽器のソリ。全てが音源の様な完璧なものだった。
ダンスなら、やってもいいかも。不覚にも、そう思ってしまった。
この流れが続くのかと思えばそういう訳ではなかった。果てしなくどうでもいいサークルが続く。
ボイス? サークル? と名乗ったサークルは感情も伊達にこもっていない小説朗読を聞かされた。
創作同好会? は自身で作ったらしいアニメーションを見せてきたが、よくある面白くもなんともなく画像にこだわっている訳でもないものだった。
疲れてきた。正直ダンスがボルテージの頂点だった。こんなどうでもいいもの見せられるなら帰って寝ていたかった。
次で最後だった。それは、待ちに待った吹奏楽部だった。
ドラムセットを手際よく並べていく男性陣を仕切るのは小柄な女性。最終的な位置に置いたのはその人だったから不思議に思った。ドラムは体格の良い人が叩くものだと思っていたから。
そんなことはほっておいてどんどん並べられる譜面台。数からいうと20個くらいだろうか。いや、それよりは少なく感じる。
小編成だ。そう思ってると楽器を持った人たちが壇上に並んでいく。
「新入生の皆さん! ご入学おめでとうございます!」
驚愕した。
「私たち吹奏楽部はご覧の通り少人数です」
その輝きを私は知っている。その姿を知っている。
「ですが……、あんたらを楽しませてやるよ。聞いてください! 《宝島》!」
私は立ち上がった。
「おい!」
そんなはずない。ずっと自分に諭していたこと。それが覆った時の驚きなんて、人生でこれが初めてだった。
「東城……先輩……!?」
目があった。彼以外何も見えなくなった。
彼は微笑む。前と変わらない、朝日と共に吹く、風のように澄み切った笑顔で。