チューニングのB(ベー)
細い田舎道を進んでいくと、段々と大きくなっていく華謳薬科大学のシンボル、研究棟の12階建てのビル。それを目指して進んでいくと段々と色濃くなる桜。そして賑やかな雰囲気。
東門に足を踏み入れると、スーツ姿の人が各々の緊張を持ちながら会場である体育館へと向かっていく。それとは別に同好会の勧誘をしている先輩方もいた。
「創作同好会です!」
そう言ってチラシの様なものを私に突き出す、全身オレンジタイツに緑のもじゃもじゃのカツラを被った生物。
「あ、はい……」
勢いに負けて受け取ってしまった。
「軽音です!」
タバコの臭いを纏わせている、明らかにチャラそうな人が私にビラを渡してきた。
「新歓いっぱいやるから来てね!」
ビラには確かに新歓の日程が山のような書かれていた。これ全てを奢りなのだと考えるとむしろ申し訳なかった。
「ダンス部です!」
耳が痛い程の元気の良さでビラを渡す私より小さな先輩。元気の良さからなのか幼さを感じた。
「吹奏楽です!」
そのひと言に心臓が鼓動した。手渡されたビラを受け取ると即座にその場から過ぎていく。
「ん? どうしたの?」
遥香ちゃんが私を追いかけて声をかける。私だってわからない。なんでこんなに動揺しているのか。
「大丈夫。なんか、雰囲気に慣れなくて」
「そうか。まぁ楽しそうだからいいじゃないか」
笑顔の彼女はとても沢山のビラを貰っていた。そんなに多種な同好会とすれ違っただろうか。
「あ、あそこで受付だって。行こう!」
「うん!」
外に設置されたテントに数人の事務員さんが並んでいてそれぞれにロッカーの鍵と学生証、諸々の資料を手渡していた。
私たちもそれを受け取ると会場である体育館へと足を向けた。
そんな時、体育館へ向かう楽器を持った集団が目に入った。驚きである。生演奏なのか。
「あ、トランペットってあれ?」
そう言って指さしたのはトロンボーンだった。ピンクゴールドだろうか、普段の輝きとは違うそのトロンボーンはまさに持ち主の心を透かすように妖艶に輝いていた。
「違う」
「じゃぁあれだ!」
そう言って指さしたのはアルトサックスだろうか。少し重厚感のあるシルバーメッキはジャズサックスを連想させるようだった。持ち主は少し大人しそうに見えるけど、そうでもないのかもしれない。
「違う」
「えー! わかんない」
そう言って歩き出す彼女を見てクスリと笑った。
「私もまだ見てないもん」
ちらほらと向かっているみたいだ。全ての楽器を見たわけではない。きっと準備だけなのだろう。
「なにそれ! 卑怯じゃない?」
「勝手に始めたんじゃん」
「あ、そうか」
2人で笑いながら体育館へ入っていった。
体育館の中は異様だった。
規則正しく並べられたパイプ椅子は後方が保護者席、前方が新入生席。それを囲むようにしてあるのが先生方の席だろうか。既にちらほらとご年配の方々がいらっしゃる。
そして前方に巨大な花束を活けている巨大な瓶が主張する壇上には日本国旗と学校法人のマークらしいものが並べて掲げられている。それを囲むようにして来賓席があり、なんだか宗教じみたものを感じだ。
「席自由だって。一緒に座ろ!」
「うん!」
まだ早い時間。時間に律儀な人くらいしかいないので中央の席で烏合の民に紛れることは容易だった。
「見てみて! これ!」
座って落ち着いていた所に遥香ちゃんは封筒の中に入っていた学生証を見せてきた。
「いい感じじゃない?」
黄緑を基調とし、顔写真が載っているそれを指さして言う。
確かに今日よりはメイクが濃い。
「そ、そうだね」
「友梨ちゃんのも見せてよ!」
えっ。声が零れて拒否を表すが彼女は私の封筒を漁り、しっかりとそれを取り出した。
「あれ?」
それはまだ、私の髪が長かった頃だ。定期演奏会を期に髪をバッサリと切ったのだ。
「ポニーテールだったんだね」
そう言って何を思いついたのか悪巧みした顔になった。
「失恋でもしたの?」
その言葉に顔が熱くなる。言葉を返そうと口を開くが鯉のようにアワアワと口を開閉するだけだった。
「そういうのじゃないって!」
やっと出た言葉が体育館に響いた。
「ちょっ! マジになんないでよ。ホントみたいじゃん」
そう呟かれて更に顔が熱くなった。周りを見回すと怪訝な目で私を見る、いかにも頭の良さそうな人が目に付いた。私は頭だけを下げて謝罪した。
「流行ってるし、切っただけ」
「そうだよねぇ。私も切ろうとしたけど……」
手入れの行き届いている毛先をくるくると指でいじりながら言葉を続けた。
「長い方がモテそうだし。私」
なんとも不純だ。だけどなんとなく納得してしまった。短いのは似合わない気がする。
「友梨ちゃんはどっちも似合うからいいよねぇ」
「そんなことないよ。長い時は枝毛酷かったし」
「わかるー。私も見つけたら毛根事抜くから」
「それやりすぎじゃぁ……」
「悪は根絶しなきゃだからね」
乾いた笑いしか出なかった。
そんなこんな話していたら段々と周りに人が増えてきた。携帯で時間を見ればもう少しで始まる。そう思って前を向いた。
チューニングのB。右耳が捉えたその音に振り返る。
遥か後方の隅にチューバのベルが見える。
「吹奏楽だね。って事は生演奏!」
遥香ちゃんは盛り上がるけど私はそんな気分にはなれなかった。
前を向く。感想はこれだ。
「ひどいピッチ」
サックスはアホなほど高い。クラリネットもそれぞれを向いていて定まらないし、トロンボーンはバカみたいに開いた音を出している。チューバも音を束ねられておらず、きっと演奏も酷いのだろう。そんな気がした。
「あれ?」
私はなにか違和感を感じた。それが何かまではわからなかった。なにか、物足りないような感じである。
チューニングが終わると司会の声がマイクを通して鳴り響いた。
「これより、華謳薬科大学、入学許可式を行う。新入生起立!」
立ち上がる。決してそろったものではなかったけれど、ダレることもなくきっちりと立ち上がった。
「来賓の方、入場賜ります」
その途端吹奏楽の的確な音が体育館を揺らした。
(なにこれ。さっきと全然違う!)
士官候補生。中学で定番のマーチ。簡単だが、ここまで上手いと指先が痺れるような感覚に陥る。
誰がそうさせている!? 指揮者か? それとも……。
振り向けずに耳だけで探り当てる。
その時に私を包むような春の温かな風。この体育館の中にまるで桜が咲き誇っているかのように感じる音。
東城先輩が吹いている様なフルートの音に、私は耳を奪われた。
曲は途中で切られる。
「新入生着席」
私はその言葉に遅れをとって座る。鼓動が止まらない。今にも喉から飛び出そうな鼓動を必死に抑えていた。
「ねぇ、大丈夫?」
遥香ちゃんが心配して顔をのぞき込んできた。
「うん、平気」
「んー、ならいいけど。薬ないならあげるからね」
「ありがとう」
「皆様お立ちください」
私は立ち上がる。そんなことない。そんなことない。そう暗示しながら意識を整える。そうでなきゃ、今にも倒れそうだった。