ヤンデル女
「っで、君は彼のことが好きなのかい?」
うかつだった。限りなく事故に近い装いをとったのにそれを人に見られていたとは。
情報の経路はわからないが、めぐりめぐり、まわりまわり、転々として、よりにもよって遥香の耳に入ってしまったのは最悪の事態に違いなかった。
「そんなんじゃ……ないけど……」
「ないけどなんなのさ!」
うりうり、と変な効果音を口で呟きながら私の脇腹をつついてくる。こんな惨めに煽られても仕返しさえ出来ない。
「……たまたま隣にいたのよ」
「そんなことないでしょぉ! ほら、吐いてしまいなさいよ!」
違うものが出てきそうだ。お昼はソースカツ丼食べたっけなぁ……。
「やめようよ! 可愛そうだよぉ」
私の天使が止めに入った回数はこれで20を超えた。彼女では止められないのだろう。
「茉子ちゃん! それでも聞きたいと思ってしまう乙女心はないのかね!」
これは乙女心ではない。残虐非道な尋問だ。
「き、聞きたいけど」
前言撤回しよう。天使じゃない。甘い誘惑を垂れるだけの悪魔だ。
「ほら! 多数決で決定されました! 答えてください」
「いつ多数決をとったんだよぉ」
「今よ!」
あぁ。数時間前の私を殴ってやりたくなった。
「違うって! ホントにたまたまだって!」
半ばキレ気味に答えると、2人の表情が予想以上に冷めていた。……いや、青ざめていると言った方が正しいだろうか。私よりも奥の方を見ている視線の先には間違いなく誰かいるのだろう。なんて、思ったところで声をかけられた。
「や、やぁ。下山さん」
ハエが耳元を通り過ぎたような驚きに身を屈めてしまった。
恐る恐る振り返ると、短い茶髪の犬耳みたいな頭は間違いなく早崎くん。その疲れた表情から察するに今の私みたいに搾られてたのだろう。
「こ、こんにちは……」
「あはははー。邪魔者はお先するねぇー」
「わ、私、先に部活行ってるから!」
「ちょっ! ちょっと!」
お願いだから2人にしないで!
そんな心の声は当然届かず、2人はそそくさとこの場を去っていった。
気まずい空気が2人のあいだを通り過ぎていった。なんとも言えない、重たい空気が。
「お、お互い大変みたいだね……ははは……」
乾いた笑いに思っていた以上の疲弊感が詰まっていた。
「ごめん……、私のせいで……」
元はと言えば私の気の迷いのせい。ヤンデル女なんか誰も好いちゃくれないことくらいわかっているんだけれど。
「いや、オレは大丈夫。嬉しかったし……」
「えっ?」
「……えっ?」
なに? どういうこと?
嬉しかった?
「あ、……えっと……、部室行こう? 勉強しないと……ね」
「え……うん……」
うやむやにされた言葉はその場に留まって私たちを見送った。
まだ音を出すには早い午後3時。講義棟と吹奏楽の部室が近いため、5時を過ぎなければ音を出すことは出来ない取り決めだった。
その中でできることは多々あるが、この時期では間違いなく勉強だ。
ある先輩は机に参考資料を満遍なく広げ、ある先輩は譜面台に暗記用紙を乗せ、ある先輩はあまりの苦行に摩耗した絨毯で仮眠をとっていた。
「お、お似合いのおふたりが来ましたねぇ」
なんてアリス先輩が言うもんだから、
「な、なにを言ってるんですか!!」
なんて大袈裟に反論してしまった。それが、ある意味仇になった。
「え? なに? ホントに付き合ってるの?」
「いや……、え? なんで……?」
今までの名残と鬱憤が言葉を滑らせた。こんな噂がすぐに先輩の耳に届くはずがないなんて冷静になればわかるのに。
「そういう報告なら早く言ってくれればいいのにぃ」
お上品ににやける口元を手で隠す先輩。もはや返す言葉なんてなかった。
「そんなことどうでもいいから、ここ教えて」
アリス先輩の視線をかっさらっていった二宮先輩。鬼の形相で問題と睨み合っている様子と私たちの間を取り巻く噂とでの天秤が圧倒的差で傾いているようだった。
にやけていた目元は驚きを隠せていないようで大きな丸を描き、仕方なしに問題に視線を落とした。
「えぇっと……。これは、フィードバックで……」
解説を始めたと思えば頭を抱える。お互いわからないまま、勉強を教えあっていいる様子だった。
「オレ達も始めようか」
早崎君の一言で金縛りが解けた私は、彼の様子を見ることもせずに小さく頷いた。




