フルートのお嬢様
5時のチャイム。それは音が出せる時間であり、部活動開始の時間でもある。私たちは口合わせしたわけでもなく、並べていた参考書たちを片付け各々の楽器を出す。
「そういえば、下山さんのペットってBachなの?」
立川さんは自分のフルートを磨きながらそう聞いてきた。何でもいいが磨くのは終わってからでいいのではないか?
「そうだよ」
安直に答えるとにこやかな笑顔で私てえへへと笑った。なんだ、怖い。
「そういう立川さんはリングキーなんだね」
加えていたリードをマウスピースに取り付けながら横槍を入れてきたのは西城だった。
「正解! よくわかったね」
「ずっと気になってたんだ。よく光るから」
くるくるとネジを回す西城の横で、嫉妬めいた顔をしている斉木さんが大きめのマッピを口につけ、ぶーと鳴らした。
「リングキーのフルートって高いんじゃないの?」
私は浅い知識ながら知っていることを聞いてみた。たしか高校の時に同期のフルートさんに聞いたことがあった。
「たしか70万くらい」
「「は!?」」
気軽に答えられたその値段に、誰彼と驚きを口にする。
「銀フレームのオーダーメイドだからね。まぁ、このくらいだよ」
羨ましい通り越して、ムカつく通り越して、怖い。あの貧弱そうな棒が70万……。
「あれ、東城先輩のっていくらでしたっけ?」
急に振られた先輩は頭部管だけの口慣らし中の音に疑問符をつけるとそのままで答えた。
「中古で買ったから10万くらいだっけな」
「あー。だから少し古ぼけてるんですね」
あはは、と乾いた笑いをする東城先輩。いや、怒ってもいいと思うのですが。
「でも、良い音色ですよね。前の持ち主がいい吹き方してたのかなぁ」
前言撤回。していいのかわからないけど耳は確かなようだ。
あのフルートは普通のフルートじゃない。長年の年月を経て、磨かれた深みのあるフルートだ。
「ほら、無駄口たたいでないで吹いた吹いた」
折笠先輩が身長に似合わないトロンボーンのスライドを私の目の前まで伸ばす。
「時間ないんだしさ」
無意味に格好をつけてるのをツッコみたいが、先輩だ。我慢せねば。
「なにあいつ。シークレットブーツだからってカッコつけてる」
「おい! アリス!」
「あ、聞こえてたみたい」
しれっと折笠先輩の横を通っていったあの人に怖いものはないのだろうか。溜まってた愚痴でも言ってるのかアリス先輩について行った先輩を横目に、私もマウスピースを口に当てた。
口慣らしは十分にやらない。私はあまり長期的に吹けないみたいで、休み休み、程々に練習をしている。昔はそれでよくサボっているなんて言われてたけど、私の圧倒的な上手さの前で先輩たちを土下座させたことが合った。
まぁ、中学の話だけどね。
「ねぇねぇ。この曲のこの部分一緒にやらない?」
マウスピースを本体に取り付けると急にフルートのお嬢様が私の目の前に教本を置いてきた。
「……『恋愛組曲』?」
「そうそう。1回やってみたかったんだよね。今までのトランペットの人、胡散臭かったからさ。音色が」
パラっとめくってみるとどうやらフルートとトランペットのデュエットのようだ。短い楽章からなっており全部で6楽章。
「これこれ。6番」
教本を私から奪うとページを捲っていきそのページで止めた。
「え、まぁいいけど。楽譜どうすんの? 1つだとやりにくいよね」
「大丈夫覚えてる」
覚えてるって。結構難しいぞこれ。テンポ、リズム、なんとなくでわかる古典的な難しさ。
「ちょっと練習させて」
「大丈夫、間違えても止めないから」
いや、私が大丈夫じゃない。絶対に譜面から落ちる。
「ほら、始めるよ」
彼女の放つタイミングを焦りながら受け取り、すぐに始める。
開会式の様に歯切れよく、結婚式のようなエレガントさで。
それでいてお互いモチーフを交代していきながら、音色を変えながら。
急にマーチの様なリズムに、なにこれリップスラー難しいんですけどっていきなりファンファーレって。
「あぁぁぁーああーあぁぁ!! 楽しい!」
いつの間にか終わっていた。思わず息切れしている。そこまで息継ぎができない曲でもないのに。
練習曲にしては少しむずかしい。それが原因なのかわからないけどとりあえずわかったことが1つある。
この子、上手い。
「すごい!」
立川さんのそばに寄ってキャッキャと話すのは斉木さん。褒められて照れくさそうに顔をそらすと、彼女は鼻であしらう。
「このくらい当然よ」
なんとも鼻につく。さすが、フルート女子。
まぁ、上手いのは間違いない。あんなに輝いた音、久しぶりに聞いた。女性フルーティスト特有の満点の星空とも幾千の流れ星が降り注ぐのと比喩できる音。
残念なのはこっちに音色を合わせる気がないってことだけだろうか。もともと金管と木管じゃあ混ざり合わないけど、あれだけ喧嘩した音色も久しぶりだ。少しでも合わせようと思った私が馬鹿だったみたいだ。
「うん。決めた。友梨ちゃん、アンサンブルやろう!」
ため息を吐こうとしたときだ。私の思考を一気に止めた言葉を貰ったのは。
「え? なに?」
「だーーかーーらーー! 文化祭でアンサンブル! もうメンバーは決めてるから」
いきなりこの人は何を言いだしたのでしょうか、なんて考えても意味なかった。それはいきなり突きつけられた異動話の様に、私を困らせた。
「クラリネットの君と、アルトの君。あとユーフォのあなたに、ボーンのあなた、パーカスのあなた」
それは1年全員だった。
「アンサンブルメンバー! いいね! いやとは言わせない!」
急にふられたメンバーは驚きの表情を見せる。メンバーだけじゃない。アリス先輩だって、折笠先輩だって、この場にいるみんなもそう。急展開に誰も焦点を合わせられなかった。
「ふっ。面白そうだな」
西城のいやに乗り気な発言に、乾いた笑いが出た。