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泣愛のトランペット  作者: kazuha
2章︰試験の罠
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両立の決意

 学校の放課後。それは淡い恋や熱い友情を生み出すもの。

 そんな幻想は間違いなく高校までだと、少なからず思う。そこまで淡い青春をまとっていられたのは若さのせいなのか。

「なに感慨に浸ってるの? さっきっから上の空だけど」

 吹奏楽部室。この狭い教室の数少ないテーブルに私と斉木さんはもちろん、遥香や西城、更にはフルートの立川さんやサックスの早崎くん、ほぼ全員1年が集まって各々やりたい科目の勉強を行っていた。

「もう勉強したくない」

 遥香に突き刺された言葉をうまく心臓に当たるよう誘導すると軽く頭を叩かれた。

「朝の宣言は何だったの?」

 心に思うだけでは実行できない。なら誰かに聞いてもらおうと2人に言ったのだ。

『私、中間全部8割以上とる』

 今思えば馬鹿なものだ。だって……。

「ねぇ、この問題の答えわかる?」

「……それは今調べてるんだ。あとに回してくれないか?」

「これってこう?」

「それでやったら答えと合わないんだよね。たぶんこっちの公式も合わせてるんじゃないかな」

 周りの声を聞けばわかる。学年でもトップに近い成績を誇った西城でさえ悩む問題がある。私も機能形態の事前にくれた問題集を教科書とプリントを駆使しながらやっとのことで1ページが終わった。念のために確認した最終ページは32。疲れがドバっときた瞬間だった。

「あぁ、軽率な発現をした私を許したまへ、神よ!」

「神頼みはやることやってからね」

 私は仕方なくペンを持ってプリントを睨みつけた。

「なになに、交感神経優位の時に膀胱括約筋は弛緩する。……か」

 マルかバツか。二択。適当に答えても50パーセント。

「マルかな」

 そうつぶやいて先に行こうとすると背後から声がした。

「ハズレ」

「ぎゃぁぁぁ!!」

 あまりの恐怖に机に体当りして、危なく机の上の飲み物を溢しそうになった。

「あっはは。ごめんごめん」

 腹を抱えて笑いながら謝っているのはアリス先輩だった。

「お疲れ様です」

 一陣切って言った西城に続いてみんな挨拶をした。

「ごきげんよう1年生諸君。勉強熱心でいいことだ」

 そんなに私の悲鳴がツボにハマったのだろうか。おさまらない笑いを止めようと、ヒィヒィと笑うとまたお腹を抱えて笑い出す。酷いものだと唇を尖らすとアリス先輩は私の頭をなでた。

「ごめんごめん。悪気はあったんだ」

「先輩、怒りますよ」

 笑いがおさまるとさっきの問題の解説をしてくれた。

「交感神経と副交感神経は最初の難関だよね。特に、目と膀胱は」

 そう前置きすると、

「単純に考えるんだ。さっき私がトランペットの女の子を驚かした時に交感神経が優位になる。そんな時に彼女の顔は青くなるよね。さらにお漏らししてない」

「先輩!!」

 そんなはしたない話をされると流石に恥ずかしくなった。

「漏らしてくれた私的には燃えたけどね」

「怒りますよ」

 本気で殴りつけてやろうかと思ったが、むしろそれを狙っている視線を感じて、その挑発に乗りたくもなく、私の怒気は行方を失った。

「生物的に、戦闘モードにならなきゃいけない状態。例えば、血圧上げて早く動けるようにしたりとか、戦い中にトイレ行きたくならないようにとか、相手の動きを見失わないように瞳孔を開くとかね」

 そこまで言われても答えはわからなかった。問題は副交感神経優位の時に括約筋がどうなるかだからだ。

「で、たぶんトランペットの女の子は膀胱括約筋がわからないんだろう?」

 指をくるくる回しながら図星をつかれる。敗北感に小さく頷いた。そんな弱気な私を見てニタっと笑い、私の持っていたペンを奪ってプリントに風船のような絵を書いた。

「そこなんだよな。膀胱には括約筋と平滑筋があるんだよ。それがどこにあるのか、わかっておく必要があるね。膀胱は袋状なのは知っての通りだね。それを出さないように出口で紐を縛っているのが括約筋。袋自体をしぼませて出させようとするのが平滑筋。覚えた?」

 風船に矢印と筋肉の名称を書き加えながら、さながら塾講師のような教え方はとてもわかり易い印象だった。

「括約筋が収縮、つまりはおしっこを止める。すなわち?」

「……交感神経優位」

 論破された気分になると、また頭を撫でられた。

「ほら、あんまりツンケンするなって。わからなかったら先輩に聞きなさい。そうしないやつが……」

 そこまで言って言葉を飲んだ。その違和感に振り向くと、なぜか泣きそうな顔をしていた。

「しくった! レポート終わらせなければ。下をいじってる暇ないんだった。そんじゃがんばりんさい」

 先輩は足早に教室から出ていった。嵐の中を進んだような疲労感にアイスラテをすする。

 私たちのやる気を一気に奪っていった嵐を恨むように沈黙がこの場を制し、筆を止めた。私たちのやってることはこんなにも浅はかなのか、そう思わされた。

「やっぱ、憧れますわ」

 沈黙を破ったのは立川さんだった。この場の雰囲気にそぐわない輝かせた目で、期待いっぱいにスナック菓子を食べる。

「あんなかっこいい先輩になりたいっす」

 誰も返答しないがどんどん喋るところは、お嬢様気質とでも言うのだろうか。違う気がするが。

「ねぇ、翔太。お茶買ってきて」

「ん? なんでもいい?」

「綾鷹」

「ほーい。他は?」

 いや、やっぱりお嬢様だ。ってか既に飼いならされてる早崎くんって……。

 あまりにも乗り気なので皆、各々の飲み物を頼む。しかし、1人では流石に可哀想なのでついていくことにした。

 部室を出てすぐの狭い階段を降りれば目の前にある自販機。無数にある飲み物を目前として2人で並び、会話もなくただペットボトルを選んでいく早崎くん。それをはたから見るだけで手伝おうとも思えなかった。

 それだけショックを受けてたんだ。

 気づけば外の景色を眺めていて、そのガラス窓に映った私の情けない顔を見て今何してるのかわからなくなった。こんなことしている暇なんて、ないんじゃないか。

「ねぇ、大丈夫?」

 いつの間にか目の前にいた早崎くんのあまりの近さに慌てて大きく下がる。

「な、何が!?」

「いや、ぼぉっとしてるじゃん」

 私の態度に少し怒ったのか、八重歯がちらりと見える。威嚇とも取れるその行動に視線を逸した。

「いや、頑張らないとやばいなって思ってさ」

「それなら一緒に頑張ろう!」

 そう返されると思考が停止した。なにを当たり前のことを言っているのだろう。

「そ、そうだね」

「それしかないじゃん。何かに迷ってもしょうがないよ」

 私を励ますためだけに向けられた笑顔は、幼く無邪気なこどものようだった。そんな屈託ないものに気持ちがより不安定になったのは久しぶりだった。

「うん、頑張ろう」

 彼の意を組んで決意に頷く。

「おっし! そうと決まれば、……飲み物運ぶの手伝ってぇ~」

 気が抜けたのか情けない顔とそれに見合った声で言う彼に、思わず笑ってしまった。

「なんだよ」

「いや、手伝いますとも、もちろん。ソロが吹きたいサックスの少年」

「アリス先輩差し置いてどれかソロやりたい!」

 大声で明言する彼は間違いなく馬鹿であった。なぜかって? 私さえもこの場からトンズラしたい状態なのだ。

「お、後輩くん。このアリス様を差し置いて? いや降してソロがやりたいって?」

 きっと飲み物を買いに来たアリス先輩と折笠先輩が入り口を閉鎖していた。

「なぁ、アリス。少し痛めつけたほうがいいよ」

「そうだよね。ここで痛い目に合ってもらわないと」

 ぐふふふとにじり寄る2人の恐怖感に、後ずさりする。なんで私まで狙われてるのだろうか。

「そこの威勢のいいだけの犬と、とてもうまいウサギちゃん、待ちなさい。生え出る芽は早めに摘み取らないとねぇ」

 廊下中に私と早崎くんの悲鳴が、先生方まで呼び押せたのはきっと誰も予想しなかっただろう。

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