有り得ない
それは静かに優しく奏でられる風から始まった。ゆっくりとそれは重なっていく。リズムが奏でられると、栄光に吹きさす風となる。
風。その彼方に錆びれた大地。そこを吹く風はどこに行くのだろう。ホルンが高野へと誘い、やがて辺は暗くなる。
静かに流れる風は焚き火の周りで止まる。
その場で宴を楽しむ人々。人は風を神々しく讃え、酔いの淵で眠る。
日が昇ればまた風は大草原を駆け巡る。
爽快な風。それを過ぎれば風の変化。そして再び風は戻る。その繰り返しの曲。
いつの間にか終わっていた。
決して難しくない。でも、トランペットがいない時点で簡単じゃない。
「すごい……」
遥香ちゃんがそう呟く。そりゃそうだ。あれだけまとまってれば、まともに聞こえる。
「コンクールの課題曲か……」
勉強をしながら、コンクールの課題曲をしっかりと吹きこなしてる。それってとてもすごい事だった。
「いよいよ始まりました! 新入生歓迎会コンサート! いやぁ、私もうドキドキです」
「そうですね。これだけの新入生が聞いていると思うと緊張してしまいますね」
「そうなんです! とても、緊張してます!」
台本通り、といったところだろうか。大根役者が2人そこで簡易に演技をしている。
「先程演奏した曲は、福田洋介作曲の《吹奏楽のための『風之舞』》でした」
「これからの皆さんに大学の風を浴びていただきました。どうでしたでしょうか?」
サクラの人たちが激しく拍手をする。それに釣られて私も手を叩いてしまった。
急に始まった司会進行。1人は今日教室に来ていた女の人。もふもふした服装も相まってフワフワした雰囲気が全開である。さっきはホルンを吹いていた。トランペットの代わりをしていた人ではない。もう1人の男のホルンの人がトランペットパートを吹いていたが、それが凄く上手かった。
「今回司会を務めます、私2年、平坂心彩と……!」
もう1人の司会は今日初めて見る。銀色のテナーサックスを吹いている男性だ。なんというか、馬のような顔をしている。服装は革のベストで靴も革靴。なんとなく胡散臭さを感じつつもしっかりした印象である。音は完全にジャズに寄っていてさっきの曲では悪い意味で浮いていた。
「2年、和光俊幸です」
「「どうぞ、宜しくお願いします」」
深くお辞儀をする2人に再び拍手。これは礼儀である。
「続きまして、雰囲気をがらっと変えてポップスを……」
私はパンフレットに目を落とした。次はポップス。良くあるやつだ。きっとM8の楽譜である。誰でもできるように簡素化した曲。流行っている曲だから許されるところはある。
その次は……。
「ジャパグラ……」
「どうしたの? さっきから溜め息しかついてないけど」
その次はルパン三世のテーマ。
「いや、あのね」
「やっぱり帰る?」
「……遥香ちゃん、ありがとう。来てよかった」
私は前を向いた。次は何が起こる。それがとても知りたくてバンドを凝視する。
「それは連れてきてよかったよ」
耳元で語られた安堵の息。それさえ私にはどうでもいい事だった。
指揮者が指揮台に上がった。
そこからは早かった。気づけば最後の曲のソロ。和光先輩が厳つくいぶし銀を見せつけるようにしゃくり上げる。ここでジャズサックスの良さが出てくる。
ソロが終われば、演奏会は終わりだ。
楽しかった。
……聴いてるだけでも十分じゃないか? 今、私は満たされている。
入る必要……ないんじゃないかな。
曲が終われば自然と拍手が鳴り響く。それが決まった事のようにひとつになり、次第にアンコールとなっていく。
それを聞いてか最初に指揮していたサックスの先輩が前に出てきてアンコールを受け取る。
「アンコール、ありがとうございます。それでは、アンコールとしまして体育館でもやりました《宝島》をお聞き下さい」
「アリス先輩!」
そこでまたお決まりなのか東城先輩が話しを遮る。
「ソロはダメ」
「いや、トランペットの飛び入り参加はいいですか?」
……え?
「えっ!?」
私は口に手を当てる。有り得ない、そんなこと有り得ない。
「んー。いいけど、吹ける?」
「大丈夫です。《宝島》なら暗譜でいけますから。
な!? 友梨」
そんなの有り得ない。なんであの人はそんな希望の眼差しで私を見ているのだろう。
「ほら、行ってきなよ。私も友梨の吹いてるとこ見てみたい」
背中を押された。その反動で立ち上がってしまった。その場にいる人の視線が全部私に突き刺さってくる。
有り得ない。
「で、でも、楽器が……」
「最近買ってもらった学校の備品あるから大丈夫」
もう、否定もないも出来ない。こんな状態じゃ絶対に。
「わ、わかりました」
私は自分の鞄の中をあさる。必ず入れているんだ。私の御守り。ずっと吹き続けてきた、マッピが。
「少しだけ時間ください」
椅子の間をくぐり抜け、指揮台の前に出る。
「……期待はしないでください」
「何言ってんだよ」
東城先輩は笑いながら最後に付け加えた。
「友梨は《宝島》のソリ、最高に上手いじゃんか」
そのひと言が今までの私の蟠り、柵を取り払ってくれた。こんな簡単なことに、私は雁字搦めになっていたのか。
私は用意されたひな壇の上の席に座りマッピを口に当てウォーミングアップする。
「えぇーっと。彼女の準備が終わるまで少しばかりお話しを……」
アリス先輩が話し始めた。間を埋めるようにアドリブを入れている。部活のある日、活動時間、現在の部員、演奏会の数。それは本当に申し訳程度の時間だった。
それでも十分だった。
「東城先輩。Bください」
YAMAHAのトランペットにマッピを付けて叫ぶ。東城先輩はこちらを向かずフルートを構えてその音を吹く。目の前のチューナーは緑色のランプを灯して動かない。さすがだ。
その音に被せる。楽器の特性はわからない。癖もなにもかも。だけど、先輩の音に合わせていれば間違いが無いのだ。
トランペットを響かせる。それはただのチューニング。それだけでも……なんだろうか。楽器の振動が頭の中を震わせる。凄く楽しい。
「ありがとうございます! 行けます」
「ってことなので、お待たせいたしました、アンコール、《宝島》聞きやがれ」
……。いつも気になるけどたまにあの言葉遣いになるのはなんだろう。ふと思うと、
「あっ、とうとう本性出た」
そうトロンボーンの方から聞こえた。




