トランペットのキーホルダー
いつの間にか今日1日の講義が終わっていた。勉強を真剣に受けていたし、遥香ちゃんと楽しく話したし、少なからず充実した1日だった。ただ、未だに小杉先生の言っていた言葉が胸に突き刺さっていた。上手く抜こうにもそれは頭さえも出さない。違和感だけがそこにあるだけだ。
「私今日サークルの仮入行くから」
「今日はどこ?」
荷物をまとめ、教科書をロッカーに戻そうと教室を出た。
「ダンス!」
そう言う遥香ちゃんの顔がどことなくネコのように見えた。
「ふーん」
鼻を鳴らして行先に目をやるとトイレの前で誰かを探してる斉木さんがいた。
「あれ? どうしたの?」
声をかけると、彼女は驚いて文字にできない言葉を放った。
「ちょっ! 落ちついて」
焦ってなだめると彼女は深呼吸を初めた。
「ふぅっ。えっとぉ……、友梨さん探してたの」
私?
「なに?」
どうしたのだろうか。告白か? そんな趣味はないけど告白されたらとりあえずふたりっきりになれる場所を探そう。
「今日これから暇?」
「んー」
少し悩む。実はそんなに暇ではない。短時間なら行けるが長い時間はムリだった。
「もし暇ならさ、吹奏楽、いかない?」
「お、いいじゃん。行ってくれば」
…………。
「━━━━ゴメン。今日用事あるんだ」
「あっ、そうか。ごめんね」
残念そうに眉を落とす彼女に笑顔を向ける。胸が痛い。凄く、苦しい。
「じゃぁ、またね」
「うん。また明日」
足早にその場から離れようとする。人混みを掻き分け、ロッカーへ。自分のロッカーの前まで来てようやく遥香ちゃんが着いてきてないことに気がついた。置いてきてしまっただろうか。
ロッカーに教科書を入れると鍵を閉め足を動かす。明日の予定を見に掲示板に行かなければ。
この時間の掲示板は人が殺到していた。単位がひとつ取れるとかテストの結果が張り出されてるとかそういう訳でもないのに、たむろして掲示板をまじまじと見ている輩を見ると溜息が出る。
さらっと遠目に見て変化がないことを確認すると帰路に足を向ける。
掲示板のあったロビーからは2教室の前を通るのが1番近い。1階3教室には5年と6年の掲示板と基礎科学の先生の部屋、そして自販機のある部屋にカフェテリア。案外オシャレな所がある。
カフェテリアでは先輩だろうか、外を見ながらイチャイチャしている2人が目につきすぐに視線を戻した。さっさと帰ろう。
そう、歩を早めた時だった。
誰かとぶつかったのは。
「きゃっ!」
「うわ!」
突き飛ばされたら様に体は後ろに傾き、勢いで足が地面から離れる。直感的にこのまま行けば大怪我間違いない。しかし、なす術がなかった。
そんな時に、咄嗟に手を守ってしまう。
やっぱり、私はバカだな。
体に衝撃。しかし、予想とは違い痛みがあまりなかった。
それもそのはずである。目の前の男に、抱き着かれた形で……。
「っ!!」
思わず突き飛ばす。そして一目散にその場から逃げた。少し長い廊下を走り扉を開けると外に出る。
そこで足を止め荒い息を整える。
「もぅ、なんなのよ」
一瞬の出来事だった。息づかいがわかるほど近い顔。温もりが服の上からでも伝わるくらいの密着感。それら全てが私の思考をショートさせた。
「お礼くらい、言えばいいのにさ」
振り返ってもあの人はいない。顔なんて覚えてなかった。
「仕方ない……か」
歩き出す。1人っきりの帰り道。桜の花もほぼ散った木たちの間を通って校門を出る。校門付近ではタバコを吸っているガラの悪い先輩たちがたむろしている。それを横目に私はシャトルへと足を向ける。
狭い歩道を歩いていく。狭い車道も良く車が通り怖いものである。1段高くなっているその境目に立ち、綱渡りの感覚で歩く。ちょっとした遊びだ。子供っぽいなと意識したら恥ずかしくなって降りた。
まだ慣れていないからなのか、畑を過ぎたくらいでシャトルが過ぎていく。次の電車はたしか10分後。待つしかないのか。
改札を通って果てしない階段を上る。ようやく着いたホームから見える景色は基本的に木である。こう改めて見ると田舎だなと思わせる景色を意味もなく眺める。
風が優しくそよ吹く。まだ少し冷たいそれは私の火照った頭を冷やしてくれた。
斉木さんに酷いこと言っちゃったな。明日謝ろう。
あの男の人、私を庇ってくれたのに、突き飛ばしちゃった。怒ってるかな。
後悔先に立たず。便利な言葉だ。自分のやった事が多少正当化されるから。
ようやくシャトルが来た。今日は新しいタイプである。銀のフレームにオレンジのラインが横一線に引かれている。1番最初に見た子よりも乗り心地は良い。
帰宅ラッシュから少しズレた時間。チラホラ座っている人がいるが容易に座れた。リュックを膝の上に乗っけ今日やったことでも復習しようかとジッパーを開こうとした。
「あっ」
思わず口から漏れる。リュックにつけてたトランペットのキーホルダーが無くなっていた。
「……踏んだり蹴ったり」
深くため息を吐いて頭をリュックに埋める。教科書やファイルなどの硬さを額に受け今日1日の不幸を恨んだ。
ドアの閉まる合図。ピーっという音と共に閉まるドアの音。そして誰かが飛び乗る音。
「見つけた!」
私は顔を上げ、その声の主を見る。
「あ、さっきの」
それはぶつかった男の人だった。それと共に今日遅刻してきた男の子だと思い出す。
ドアが閉まると共にシャトルは走り出す。急な動きによろける彼は近くの手すりを掴む。
「間に合わないかと思った」
にっこりと笑うと許可もなく私の隣に座る。私は反射的に距離をとる。
「はいこれ。落としてたよ」
「えっ?」
私の目の前に出されたのは指にかかっているトランペットのキーホルダーだった。
「うそ、ありがとう!」
手をお椀のようにして出すとそこに落とされる。私のトランペットのキーホルダー。黄金に輝く私の相棒。
「トランペット吹くんだね」
「……吹いてた、が正しいかな」
それを聞いて犬の耳のような髪がピクンと動いた。
「え? なんで?」
「んー」
空を仰いで次の言葉を出す。
「勉強に集中したいからさ」
「えー。それじゃつまらないじゃん」
「つまらないって……」
なんなのだろうこの子は。やけに人のことに首を突っ込んで来る。
「だってそうじゃん。君みたいな可愛い女の子と一緒に吹けたら絶対に楽しいもん」
「……へぇっ?」
急に変なことを言われたものだから顔が熱い。彼も自分の言ったことがどういう意味なのかわかったみたいで顔を赤面させていた。
「ごめっ! そういうことじゃないから! 一緒に……吹けたらなって!」
「そ、そうだよね。ははは……」
とにかく話題をそらさなければ。私の心臓が破裂してしまう。
「吹けたらって……なにかやってるの?」
「え? あぁ!」
彼はリュックに付けている木管のリードのキーホルダーを見せてきた。
「これがヒント! 当ててみて」
私はそれをよく見る。
本物のようだ。しっかりと木で作られ滑らかに加工がされている。木管の人はリードだけで何の楽器を吹いているのか分かるらしいけど、私には皆目検討がつかなかった。
リード楽器と言えば、大まかに言えばクラリネット、サックスだろうか。ダブルリードにもなればオーボエやファゴットなども入るがきっとそうではないだろう。性格的に。
「サックスかなぁ」
なんてあてずっぽで答えると彼は目を輝かせて私を見てくる。きっとそれは半分正解、という事だ。
サックスにも種類がある。メジャーな種類と言えば高音域からソプラノ、アルト、テナー、バス。
「アルト?」
「おっ、正解!」
ヒマワリが咲いたような笑顔。無邪気なその笑顔が聖堂に響くゴスペルのコラールのように輝いていた。
「凄いね」
嫌味も屈託もない言葉。女性社会に生きている私からしたらなんとも心地の良いものだった。
「アルトのオレからしたらさ」
と急に表情を濁らせて唇を尖らす。
「宝島のソロはアルトじゃないとって」
「そうだよね」
手で口を隠しながら笑う。そりゃ、見せ所奪われたらよく思わないだろう。なんて思ったら彼は私に上目遣いしながら聞いてきた。
「金管ソリだってそう思わない? トランペットとしてさ」
「んー」
正直思った。私の方が上手いって。彼もそうなのだろう。東城先輩のソロより上手くできるって思ってるに違いない。
「そう思う」
そう答えるとシャトルが大きく揺れた。前を見ると新幹線の線路がとても近くに見えた。これはある場所に着く合図だった。
「もう、てっぱくか」
彼が残念そうにそう呟いた。
鉄道博物館。大宮の前の駅。
「大宮からなにで帰るの?」
「ん? 埼京線。そのあと武蔵野線に乗り換えるよ」
「え!? ホントに!」
さっきっから気になるが耳の様な髪が感情に合わせて動いている。本当に耳なのだろうか。
「オレも一緒!」
運命、とでも言いたそうな耳である。
「オレ、早崎翔太」
急に自己紹介を始める彼に私も返すしかなかった。
「私は下山友梨」
「友梨ちゃんか。よろしくね」
男性に下の名前で呼ばれるなんてあまり慣れてなかった。そんな違和感を胸に、うんと答えた。
「今度さ、演奏会。聞きに行こうよ」
「え……っと」
「決まりね。連絡先教えてよ」
「え、あ、うん」
言われるがままスマホを取り出してLINEを交換する。そして早崎くんはなにやらスマホをいじり始める。そのすぐ後に私のスマホにスタンプが送られてきた。それは茶色い柴犬がよろしくと吠えているものだった。それを見て似てると思ってしまった。
シャトルがまた大きく揺れた。ここから90度のカーブ。大宮に着いた。
「あ、着いた」
そう呟く彼の耳は落ち込んでいるようだった。
「今日用事があるんだよね。大宮でバイバイ」
「あ、そうなんだ」
シャトルが止まる。いつの間にか混んでいた車内から吐き出されるように人が出ていく。
「また、明日ね」
「う、うん」
そう言って2人で車内から出る。しかし、人混みに流されていつの間にか早崎くんの姿は見えなくなっていた。
手の中にあるトランペットを見る。それは私を見つめているようだった。
「行くだけなら、いいかな……」
なんて思ってまたトランペットを握る。なんだか、胸のつっかえが無くなった感覚だった。




