吹奏楽コンクール
マウスピースを通じて響く金のメッキが触れている左手と頭蓋骨を響かせても綺麗に音を響かせる。まるでこの狭いホールに満開の花を咲かせるように。
そんな直管楽器のファンファーレの中を流水が光輝きながら通る様にゆったりと響くクラリネットの連符。水を求め集まった動物たちが歓喜に吠えると、急に空が輝き、花信風の如く駆け抜けるフルートのソロ。
(先輩のソロ……)
私はマウスピースから口を離した。
この吹奏楽コンクールの舞台であるウィーンホールに響く先輩の楽しそうでそれでいて泣きそうな音色に目を向けて、溜め息をついた。
花信風に乗る渡り鳥が私たちの咲かせた花園を見下ろす。
(先輩たちのソリ)
フルートのソロのオブリガード、クラリネット。最強の2人が織り成す爽快な空間が私の気持ちさえ奪っていく。
(最後にしたくない)
次は私たちの出番だ。先生の指揮棒が私たちに向けられる。睨みつけるような目は“今日こそ失敗するなよ”とでも言いたげだった。
(わかってる)
震える手がアンブシュアの位置を狂わせる。
(あと、2小節)
何度も位置取り、唇を舐め、前を向く。
息を大きく吸い、次のフォルテッシモを請け負う。
演奏が終わり、噴水前で全体写真を取り終えると楽器置き場まで行き楽器を片付ける。その後は結果発表まで自由時間だ。大半がホールで他校の演奏を聞くのだけど、そんな気分に慣れなくて裏の森へ行く。
ホワイエを通り、喫茶店の前を通って府中の森芸術劇場の裏にある公園へ向かう。
まだ日は高い。午前中の日程だった私たちとは違い、これから本番を向かえる人たちが宗教団体のように歌ったり手を叩いたり、各々にあった練習をしていた。
邪魔しないように横を通り、広場のベンチに腰をおろした。
「はぁ……ダメだな私」
実力と努力は比例しない。先輩の名言だ。
実感した。中学の時は吹奏楽の名門だった場所でファーストをやっていた自負があった。それなのに高校2年目のコンクールはセカンド。
今のお前にはファーストを任せる事は出来ない。
先生から左遷された私は先輩に慰めてもらおうと話した。それなのに先輩はそう言った。挫折からやさぐれ、練習もまともに行わなかった。夏に周りと自分の差に焦った。それから死ぬほど頑張って今日。
「あぁ泣きそう」
それでも本番に間に合うわけなくて、力んでより酷いものになった。もっとちゃんと練習すれば良かった。そうすれば、先輩を東日本に行かせて上げるくらい出来たかもしれない。
そう思えば思うほど、自分に課せられたものがどんなに大切なものかわかった。いまさらわかったところでもう遅いけど。
空を見上げた。今年は珍しく、雨が振りそうだった。コンクールの日は毎年、晴れていたのに。
どんよりと根を張る雨雲がじわりじわりと厚みを増し、今か今かと雨を待つカエルの鳴き声が響く。
いっそこのまま雨が降ってくれれば、どんなに楽か。今日という全てを洗い流して欲しかった。
「おっ、こんな所にいたのか」
その声に驚いて立ち上がる。
「せ、せせせせ、先輩!!?」
コンクール様に上げた髪。メイクでもしているのかと言うくらい切れ長い目と長いまつ毛。歯並びは木管楽器特有の綺麗な並び。シャープな顎のラインはその下の喉仏を色っぽく見せる。
きっちりと折り目の入ったワイシャツの袖を2回まくり、そこから見える華奢な体格とは裏腹に見える筋肉質な腕。すらっと長く見える足は、フルートを吹いている時に見栄えがとても良かった。
「どうしたんだ? 友梨らしくない」
私の名前を呼んで頭をがっちり掴み撫でる。
「東城先輩だって、聴いてなくていいんですか?」
「いいのいいの。疲れちって聴いてたら寝ちまうよ」
そう言って私の座っていた隣りに腰をおろす。
「あー、マジ燃え尽きたって感じ」
そのひと言に私の中の罪悪感が湧き上がってきた。それを謝罪しなければ、と思いたったら頭を下げていた。
「すみませんでした」
顔も見えない。どんな顔で見ているか。呆れているだろうか、驚いているだろうか。そんなことどうだって良かった。
「私、先輩にファーストムリだって言われて、いじけて練習しないで、本番前になって本気出したけど間に合わなくて、本番とちっちゃって。ホントに……」
「友梨のせいじゃないよ」
思わず顔を上げる。先輩は優しい表情で、悲しそうに私を見ていた。
「友梨をダメにしたのはオレのせいだ。それを戻せなかったのはオレのせいだ。全部、オレのせい」
まっすぐ、私の全てを許すように。そんな先輩の優しさが、私に突き刺さる。
「だから気にするなよ。気にするんだったら、来年に活かせ」
「それじゃ遅いんです」
「え?」
小さな声で出た私の本当の想いが口から出る。
「それじゃぁ遅いんです! 今年じゃなきゃ! だいす……」
「拓哉こんな所にいたのかぁ。探したぞ」
遮られた言葉は行き場所を失って宙へ飛んでいった。
「あれ? もしかしてお邪魔だった?」
「い、いえ! そんなことは!」
クラリネットの先輩。美佳子先輩は3本の飲み物を持ってきていた。
「邪魔だったな。きっと」
「悪かったな。まぁこれで許せ」
東城先輩の隣りに座り持っていた飲み物のうち、缶のエナジードリンクを渡した。
「お、ありがとう」
「友梨ちゃんはどっちがいい?」
残りの2本、カフェオレとブラックコーヒーの微糖を私に向けてハニカミながら渡してきた。
「え……? いや、流石に悪いです」
「後輩は遠慮なんてしないの」
「え……、あ……、はい」
戸惑う。先輩の気分はどっちなのか。それより、まだ動揺している思考の中で現状を正しく把握すること自体が難解だ。
とりあえずカフェオレを取る。
「お、わかってるね」
そう言うとコーヒーの蓋を軽快な音を立てながら開け、一口飲む。
「ぷはぁー! 本番後の1杯は美味いね」
「それ、JKの言うセリフじゃない」
「いいのいいの。友梨ちゃんも、ほら座ってさ」
私は言われるがまま美佳子先輩の隣りに座り、カフェオレを1口飲む。コーヒーの苦さとカフェインの鼻から抜ける感じ、ミルクの舌触りと喉越しが私の動揺する気持ちを抑えた。
「っで、さっきの続きしてていいよ?」
「え……」
言えるはずがない。こんな状況で告白なんて。ましてや、東城先輩の彼女の前で。
「な、なんでもないです」
「んー。なんでもないのか」
そのまま、私はカフェオレを飲み干すまで2人の会話を聞くことしかできなかった。