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07.メアリーの事情




「なんてことでしょう。髪がこんなにも傷んでいるなんて。おまけにまた短くなっているではないですか!」

「だって長いと戦いの時に邪魔になるじゃない」

 私の女性にしては短めの髪にブラシをかけるメイドが、信じられないとばかりに言う。

「まぁ! お肌がこんなにもかさついて……さては、ろくにお手入れをされてませんでしたね?」

「訓練終わってご飯を食べて入浴したら、お手入れする前についつい寝てしまうのよねぇ」

 顔に何かのクリームを塗りこむメイドが、顰め面で言ってくる。

「なんてことかしら、そこいらの殿方より立派な腹筋をなさっているわ。それにこの傷跡! 乙女の身体に傷跡ですわよ皆さん!」

「しょうがないでしょ! もう、なんなの貴女達、寄ってたかって失礼――ぐえっ」

 私が抗議の声をあげようとした途端、コルセットを思い切り締めあげられてしまい、カエルが潰れるような声が出てしまった。

「ちょ、ちょっと苦しい……絞め殺す気なの?」

 私が非難すると、メイドが澄まし顔でさらにコルセットを絞り上げていく。

「何をおっしゃいますかお嬢様。淑女たるもの、美しいくびれを見せることこそ、マナーでございましょう」

「それは普通のご令嬢の話しでしょうよ。私にはそんなものは要らないのよ……うぅっ!」

「くっ、なんてことかしら、筋肉のせいでなかなかくびれが作れませんわ」

 メイドが意地になって紐を引っ張るせいで、ますます息が詰まってしまう。他のメイドたちはそんな私を心配する様子もなく、各々の作業に没頭している。すなわち、私を着飾らせる作業だ。

「四日間という短い期間ですが、元の玉のようなお肌に戻して差し上げますからね」

 化粧を施すメイドが白粉を塗り込めながら決然と言ってくる。

「髪の長さはどうにもなりませんが、この傷んだ髪も元のような艶を取り戻してみせますからね」

 器用に短い髪を結い上げながら、メイドが痛ましげな顔で言ってくる。

「お邸におられる間は、訓練禁止ですから、ねっ!」

 最後にコルセットを締め上げていたメイドが、汗をかきつつ必死の形相で言った。

「も、そんなの、いいって……ぐぅふ」

 文句を言う前に、頬を押さえつけられて口紅を塗られていく。

 だから嫌だったのよ、邸に戻るのは!




 げっそりとやつれた私が父の書斎に呼ばれたのは、メイドいわく「完璧な淑女らしい装い」になってからだった。

「おや、見違えるようじゃないかメアリー」

 嬉しそうに父が言うのを、私は複雑な気持ちで受け止めた。久しぶりに着るドレスは窮屈でしかたないし、何より苦しい。これなら鎧を着込んで走り回っている方が、余程楽に思える。

「それで、なにか御用でしょうかお父様」

 父に進められるまま椅子へとぎこちなく座る。もうずっとドレスなんて着ていなかったから、裾の捌き方さえ覚束ない。

「あぁ、じつはこれの事なんだが――」

 そう言って父が引き出しから取り出したのは、紐で一括りにされた手紙の束だった。

「それはなんでしょうか、お父様?」

 嫌な予感がして尋ねると、案の定予想していた答えをもらった。

「お前の結婚相手に相応しい相手を選別しておいた」

 自信満々に父が言い放つ。私は思わず怒りに任せて声を荒げてしまった。

「お父様! 私前にも言いましたよね? この私が死ぬまで愛し続けるはジェームズ隊長だけだと。あの方以外の男性と生涯を添い遂げるなど、考えたくもありません」

 はしたなくも大声を出したせいで、コルセットが肋骨を圧迫し、余計に息苦しくなってしまった。まったく、こんな忌々しい物を作ろうと初めに考えたのは誰なのかしら!

「ふむ、そうは言うがなメアリー。ジェームズは私たちとは違うということを忘れるな」

 絶句した。まさか父がそのような事を口にするとは思っていなかったのだ。

 確かに私は侯爵家の娘で――それも唯一の子供であり――ジェームズ隊長は騎士の称号を授けられてはいるものの、貴族としては数えられないのが現状である。事実、彼の出自は少々複雑だった。

「お父様は人を階級で見るような、浅慮な方ではなかったはずです」

 悔しくて奥歯を噛みしめると、父が慌てて言い募った。

「そうではない、そうではないのだメアリー。私が言いたいのは、あの男は確かにお前が思いを寄せるのも無理からぬほどの男だと認めている。その点では、お前よりも私のほうが、余程ジェームズのことを理解していると自負している。だがな、あの男は貴族社会で生きるには、大きすぎるのだ。駆け引きや陰謀策略、小賢しい業を駆使して生き抜く、小さな世界に収まるような男ではない。わかるだろう?」

 戦場で鬼神のごとく戦うジェームズ隊長を思い出す。何度も彼の戦う姿を私は側で見てきた。戦うために生まれてきたような、苛烈で壮絶な強さを持つジェームズ隊長。彼が真に輝くのは、あの過酷で凄惨な戦場なのだと言うことを私は知っている――それは、とても悲しいことだけれど。

「メアリー、私はお前のジェームズへの想いを痛いほど知っている。だがよく考えなさい。あの男を、そんな矮小な世界に引き摺り込んでも良いのかと」

 良いわけがない。お父様はずるいわ、そんな言い方をされたら、否定出来ないのを知っているくせに。

「それにこう言ってはなんだが、ジェームズはお前と同じくらいの想いを、お前に対して抱いてくれているのか?」

 どきりと胸が鼓動する。私が黙りこむのを肯定と受け止めたのか、父か溜息を吐いた。

「やはりな。お前は普段強引な割に、妙なところで奥手だからな」

 頬が熱くなるのを感じた。分かっている、自分でも狡いなと思っているのだから。

 普段恥ずかしげもなくジェームズ隊長への愛を叫ぶのは、彼への本当の想いを誤魔化すためだってことを。

 私の彼への愛は、じつはとても繊細で脆い。だからもし彼にそれを否定されてしまったら、冗談ではなく私は本当に生きることさえ出来なくなってしまう。

 だから私はそれを隠さなくてはいけない。弱くてみっともない自分を晒して、彼の隣に立つことが出来なくなるのが何よりも恐ろしい。周りから顔を顰められるほど大袈裟に彼への愛を訴えるほうが、私にとってずっと楽だから。とても卑怯だけれど。

「メアリー、なにも今すぐ結婚しろとは言わない。なにせお前もリオン隊で班長を任されるほどの地位を得てしまったのだからな。だが少しくらい、ジェームズ以外の男性と接触しても良いのではないか?」

「ジェームズ隊長以外の男性との接触でしたら、毎日のようにしております」

 意地悪く言い返せば、父は困ったような笑みを浮かべた。

「そうではなくて、分かっているだろう。これもいい機会だ、自分の世界を広げると思って、他の男性と少しの間でも一緒に過ごしてみたらどうだ」

 私はついに黙りこんだ。私はジェイ侯爵家の唯一の実子で、ジェームズ隊長は元は――

「そこでだ、明日お前と会って話しがしたいという方がお見えになる」

「明日ですって?」

 急な話しに私が訝しんでいると、父は腹の読めない顔でにこりと笑う。

「あぁ、お前が休暇を取るとどこかで知ったらしくてな、彼も忙しいのにわざわざ休みを取って、お前に会いに来てくださるそうだ」

 絶対に嘘よ! お父様がそのお相手の男性に、私の休暇の話しを伝えたに違いないわ!

「そんな急にお越しになられても、私困ります。邸を離れてだいぶ経ちますし、世のご令嬢方のような作法も随分と忘れてしまっていますし。そんな私がお会いした所で、相手にも失礼ですし、なによりこの家の名を辱めるだけです」

 必死に拒否する私を父は鷹揚な笑顔で見つめ返してくる。

「なに、心配せずとも、相手の方はお前のことをよく知っているようでな、どのようなお前でも受け入れると寛大にも言ってくれたぞ」

 なぜだか父のその言葉に、非常に嫌な予感がした。

「あの、その寛大なお心をお持ちの、お相手の方と言うのは……」

「はっ、はっ。それは明日になれば分かるだろう。今日のところは明日に備えて、少しでも忘れてしまっているという、淑女のマナーを思い出すように頑張りなさい」

 はぐらかすように私を立ち上がらせると、父は扉の方へとと私の背を優しくも強引に押してくる。

「いえ、ですからお相手の方とは――」

「いやいや、私も忙しい身でな、まだ仕事が山のように残っておるのだ。それではまた食事の時に会おう、メアリーよ」

「お父様――」

 バタン、と無情にも私の目の前で扉が閉められた。私の中の嫌な予感は、半ば確信のようなものに変わっていた。

 扉の前で悶々と悩む私に、扉の横で待機していた執事のチェスターが声をかけてくる。

「お嬢様、今日のご予定ですが、すでにマナーの先生がいらっしゃっています。さっそくですが、お部屋にお戻り下さい」

 相変わらず無表情のチェスターが、淡々と今日の予定を知らせてくる。私は上の空でその声を聞きながら、やっぱり休暇なんて欲しくなかったと、城にいるだろう彼に向かって心のなかで愚痴を言ったのだった。




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