03.ジェームズの溜息
会議室には苛立ちの空気が漂っていた。
「我々としては、必要以上に刺激するような真似は避けてもらいたいといったところだ」
外務大臣が神経質そうに、組んだ腕を指先で叩いていた。
「だが国境付近で配備している兵にも限界が来ている。あの辺りには村も多いし、少し南へ下れば大きな街もある。守るばかりの戦いでは、兵の士気にも関わってくる」
副司令官が眉根を寄せて、厳しい目をして言った。
「それをどうにかするのが君たちの仕事ではないのかね」
書記官長が嘲るように、肩をすくめた。
「お言葉ですが、あなた達が一向にゾルオーネ公国との協議を前進させないから、こういう事態になっているのだとお忘れなく」
静かだが威圧的な口調で、司令官が釘を差した。それに対して外務大臣と書記官長が、顔をどす黒くさせて怒りに身を震わせている。
「……くだらねぇ」
誰にも聞こえない程度にポツリと言うと、隣に座っていた副隊長のチャックが咎めるように小さく咳払いをした。だが俺は知っている。チャックもこの馬鹿馬鹿しい会議に苛立っているということを。その証拠に、さっきから書類の端に意味のない単語を書き連ねている。
同席している他隊の隊長たちも似たり寄ったりだった。現場を知る人間と、そうでない人間との温度差を感じているといった顔付きだった。
結局議論は平行線をたどり、互いの妥協線として、国境付近の兵の配備を強化するだけという、なんとも頼りない結論しか出せなかったのだった。
「しばらくは、このまま膠着状態が続きそうだな」
会議が終わった後、廊下を歩く俺の隣にいたチャックが溜息混じりに言った。
「上の連中がうだうだ言ってる間にも、被害を被るのはいつだって下にいる連中だってのが、分かんねぇんだろうよ」
うんざりしながら言い返していると、後ろから芝居がかった口調で話しかけてくる奴が現れた。
「やぁ、ホーカー隊長じゃないか!」
直ぐに振り返ったチャックと違い、俺はすぐには振り返らなかった。できるならこのまま何も聞こえなかったフリをしてこの場を立ち去りたい衝動に駆られる。
「メアリーは元気にしているかい? 君の拷問のような訓練に付き合わされる彼女も大変だと思っているんだ。あぁ、本当に痛ましいことだよ」
わざとらしく溜息を吐くのが聞こえ、やっぱり無視して行こうかと歩を進めようとした俺を、隣りにいたチャックが腕を肘で突いてきた。あぁ、分かってるって、くそったれ。
仕方なく俺は後ろを振り返った。そこに立っていたのは、城の女官たちの間でも評判の優男、ローレンス・アルバーン書記官長補佐がいた。
「何の用だ」
ぼそりといつも以上に不機嫌に聞き返すと、アルバーンは整った顔ににやりと厭らしい笑みを浮かべた。
「君は他人とこうして会話を楽しむ術を持たないのかな? それともいつも剣ばかり振り回しているから、会話の仕方を忘れてしまったのかな」
殴りてぇ――今すぐあのお綺麗な顔に、俺の拳をめり込ませてやりたい衝動を抑えるのに、俺は持てる理性を総動員しなければいけなかった。
「いつも上の顔色を伺って、互いの腹の探り合いにばっかり時間を割いてるような暇な文官と違って、俺ら武官は忙しいもんでな。用がないなら行くぞ」
隣に立つチャックが小さく吹き出す音が俺の耳に届く。アルバーンの顔に浮かんでいた笑みが消え失せ、あからさまに嫌悪の表情を表に出した。こんなに表情がころころ変わる男が、よくも書記官長補佐まで上り詰めたもんだ。しかも将来を有望視されてるときたもんだ、王宮の奴らは目か脳が腐っているに違いない。
アルバーンは嫌悪の表情を直ぐにまた笑顔の下に押し込めると、哀れっぽい顔で言ってきた。
「本当に君を見ていると、メアリーが不憫でならないよ。あれほど可憐で淑やかなメアリーが、日々君の悪影響のもとに晒されていると思うと、気も休まらないよ」
再びチャックが吹き出すが、今度は俺まで吹き出しそうになった。あのメアリーのどこをどう見て、可憐で淑やかなどという感想が湧くのか、いつもながらこの男の思考回路はぶっ飛び過ぎて理解できん。
「おっと、いけない。もう行かなくては。それでは失礼するよ。――あぁ、くれぐれもメアリーをこれ以上、訓練の名の下に虐めるのはやめてくれよ。王宮内でも君の指導は行き過ぎだと眉を顰める者も少なくないのだからね」
嫌味ったらしく肩をすくめてその場を立ち去ったアルバーン。残された俺とチャックは暫く無言でその場に突っ立ていたが、ふとチャックが口を開けた。
「色んな意味でお前は人気者だな、ジミー」
ちらりとチャックを見ると、口元を手で押さえて俺を見ていた。その目は明らかに笑っている。
「それにしてもメアリーには感心するよ。よくも毎日あれだけ熱烈な愛の告白ができるものだよ」
「あいつは普通の女じゃねんだよ。ちょっと頭がおかしいいんだ」
「よく彼女にそんな口が利けるね。仮にもジェイ侯爵家の息女に対して」
「普通の令嬢は好んで軍に入隊したがらねぇし、一番過酷なリオン隊に配属を希望したりもしねぇ」
「でもそういう所も含めて、お前は彼女に好感を持っているんだろう?」
茶化すようにチャックが言う。アルバーン並にこいつの思考回路も謎めいている。
「んなワケねぇだろうが。馬鹿も休み休み言え」
「はいはい、そういうことにしておくよ」
チャックと言い合っている間に、兵舎のある東棟にまでやってきていた。
ふと思い出したことを俺は口にした。
「そう言えば、まだ隊員たちに休暇を出してなかったな」
「そうだな、いつでも動けるように待機させてたんだが、この状況では却って不満が溜まりそうだな」
「ちょうどいい、あいつらに順次休みを与えて士気の向上を図るとするか」
既婚の兵士ならまだしも、未婚の兵士は全て兵舎で寝泊まりするのが基本だし、いつ戦況が変わっても対応できるように、ここ数ヶ月まともな休みを与えていなかった。元々血気盛んな奴らが多いから、そのエネルギーを持て余し気味なのは、誰が見ても明らかだった。
長期休暇は無理だが、城からさほど離れないように厳命したうえでの短期休暇なら、いい発散になるだろう。
「あいつら、今は食堂にいる時間だったな?」
俺が尋ねるとチャックが頷いた。
「そうだが、お前が伝えに行くのか?」
「ちょうど腹も空いてきた頃だし、久々に食堂で食うのも悪くねぇ」
「分かった。それじゃあ俺は先に戻ってるよ」
チャックと別れると、俺は食堂へと足を向けた。久しぶりにテスばあさん――お姉様と言えと昔から煩い人だ――の飯を食えると思うと、知らず歩みが早くなる。
飯時特有の匂いに釣られるようにして、食堂へと続く扉へと近づいた時だった。
「誰が野蛮ですか、誰が! 私は立派なレディです、淑女なのです!」
聞き覚えのある声が、俺のいる廊下にまで響き渡っていた。あの馬鹿は、またなにか騒いでいるらしい。
思わずその場に立ち止まって聞き耳を立ててしまう。
「嘘おっしゃい、淑女は平然と毎日城壁沿い二十周走りこみを平然とこなしませんし、前線で殿方と肩を並べて戦うこともいたしませんわ。えぇ、真の淑女とは、このわたくしのように慎ましやかにでしゃばることなく、陰ながら皆様方のお力添えをするような者のことを指すのです。お分かりかしら?」
メアリーよりも幾分高めの声は誰だったか。うちには今女の隊員はメアリー以外にはいないから、他の隊の隊員だろう。
「わ、私はジェームズ隊長のお側にいてこそ、力を発揮するタイプなのです。それをジェームズ隊長も分かって下さっているからこそ、こうやって第一班の班長にも指名されたのですから」
いや、全然ちげぇ。あいつを野放しにしてたら何をしでかすか分かったもんじゃないから、俺の目の届きやすい一班の班長に指名しただけだ。
「あぁ、ジェームズ隊長お労しや。この男性か女性かも分からないような、野蛮で品の無い人に毎日言い寄られるなんて、本当に気の休まる暇もないでしょうね」
確かに気は休まらんが、なんで俺以外のヤツがそこまで言ってんだ。
なんとなく気分が悪くなり、俺は扉を開けて中に入っていった。にわかに食堂がざわつくが、一番騒がしい奴が全く俺に気付いちゃいない。
「だ、か、ら、女です! そ、そりゃあ、ちょっとは筋肉あるかも……ですけど! ジェームズ隊長の、あの鋼のようなお身体に比べたら、私なんてマシュマロみたいなものですから!」
コイツの変態具合を俺は舐めていた。清々しいほどの変態だこの女。どの世界に男の体を嬉々として語る女がいる。あぁ、ここにいたな、自称マシュマロ女子が。
「それで、いつそれを見たんだ?」
既に周りは静まり返っているのに、肝心のコイツは妄想の中に浸っているせいか、まだ俺に気付かねぇ。
だったら俺が妄想の世界から、無理やり引きずり出してやるしかないな。
「え? それは勿論、訓練の合間に汗を拭われる時や、鎧をつけるときに着替えておられる時など――いたぁっ!」
一応手加減はしたが、それでも涙目になっただけですんでるコイツは、やはり普通じゃない。そう言えばガキの頃に、決して低いとは言えない木の上から落ちた時も、頭にデカいたんこぶ作っただけでコイツ平然としてたな。
「痛いです、ジェームズ隊長……」
「背骨に蹴りを食らわせられなかっただけ、マシだと思え」
相手がコイツじゃなかったら、問答無用でそうしていたはずだった。
その時ふと視線を感じて顔を上げると、色の薄い金髪の女が俺をまじまじと見ていた。女が身に纏う濃い緑色の隊服は、オルカ隊のものだった。
「おい、お前はオルカ隊の……」
黙って俺を見ていた女に話しかけると、ビクリと大袈裟に肩を震わせやがった。これだな、これが普通の女の反応ってやつだ。やっぱりメアリーが異常なだけだ。
「セシリアです。第一班副班長、セシリア・バーンズです、ジェームズ隊長」
「バーンズ、てめぇもくだらねぇこと言ってねぇで、とっとと飯食ってこい。それと一々こいつの相手すんじゃねぇ」
でないとコイツは延々と、俺への変態じみた言葉を呪詛のように吐き続けるからな。
バーンズはさっきの居丈高な態度はどこへやら、俺へ敬礼をすると後ろに控える取り巻き共と、すごすごと去っていった。
「おいダニー」
「はい! なんでしょうか?」
俺の言おうとしていることが分かっているのだろう、ダニーがわざとらしく背筋を伸ばして立ち上がった。
「お前もコイツを野放しにするんじゃねぇ。他の隊員に迷惑だ。主に俺が迷惑だ」
「無茶言わないで下さいッス。俺がメアリー班長を抑えきれるわけないじゃないッスか」
メアリーも大概だが、ダニーも大概だ。だがコイツ以外に、メアリーを抑えられる隊員が思いつかないのも事実だった。
俺が憮然としてこの変態女を見下ろしていると、なぜかその顔がだらしなく崩れていく。
「キメェ顔してんじゃねぇ」
思わず手が出ていた。さらに涙目になったメアリーを見ると、ちょっとだけ気分が晴れた。
「ジェームズ隊長の愛が痛いです」
「痛くしてんだから当たり前だろうが」
「愛は否定しないのですね!」
コイツのこういうところが俺は嫌いだ。アホのくせに、たまにこうして言葉尻を瞬時に捉えるところが腹立たしい。
反論や否定など、コイツの前では無意味だと俺は嫌というほど知っている。だからこういう時は相手にせず流すのが正解だ。
「うるせぇ。飯食ったんなら、とっとと部屋に戻れ。――お前らもだ。また走り込みしてぇのか」
俺たちのやり取りを面白半分で見守っていた隊員たちに脅しをかける。すると一斉に俺から視線を逸しやがった。大の男ですらこの反応だ、やはりメアリーは変態で異常な女だ。
「とにかく食堂でバカ騒ぎは止めろ。ここは俺らだけの場所じゃないんだからな」
最後にもう一度言い含めると、完全に部下たちは沈黙した。
せっかくテスばあさんの飯にありつけるかと思ったが、この空気の中で食えるほど俺は無神経じゃない。なによりメアリーがまた煩くなるに決まっている。
仕方なく俺は溜息をこぼしつつ食堂を後にしたのだが、何のためにそもそも食堂へと向かったのか、後になって思い出したが、休暇のことはまた明日になって伝えればいいかと思い直したのだった。