26.メアリーとジェームズ
先ほどのアルバーン様との会話を聞かれていたと思うと、顔から火が出そうなほど恥ずかしいので、私は他の話題を振ることにした。
「あの、皆は元気ですか? 訓練はしっかりしてますか?」
「毎日隙を見ては、お前の見舞いに行こうとするくらい元気だ。だからいつもの倍の訓練量に増やしておいた」
「そ、そうですか……」
包帯を意味もなく弄りながら、私はまた質問する。
「公国側とはどうなりましたか? リーゼさんがジェームズ隊長が敵の指揮官を捕らえたと言っていたのですが」
「あぁ、お陰で今こっち側に有利な交渉が進められている最中だ」
「そうですか……」
包帯を弄り過ぎたせいで、左手に巻かれていた包帯が解けてきてしまった。しまったと思ったとき、横から大きくな手がそっと私の手を引いた。
「何してんだてめぇは」
慣れた手つきで包帯を巻き直すジェームズ隊長の横顔を、こっそりと窺い見る。
私の包帯を直しながら、ジェームズ隊長がぽつりと零した。
「どうして一人で敵の中に突っ込んでいった」
「えっ……」
巻き直した包帯に包まれた私の手を握りしめながら、ジェームズ隊長が私を強く睨みつける。
「俺は深追いするなと命令したはずだ。だがお前はそれを無視した上で、一人で敵陣に突っ込んでいった。なぜあんな事をした」
深い大地のような色の瞳が私を捕らえてくる。責めるようでいて、どこか縋るような瞳に私は戸惑った。
「あの時は……そうするしかないと、考えたのです。すでに敵は川を渡り切ろうとしていましたし、日も昇れば北東側からも進軍を開始すると思って――そうなれば、本隊は挟み撃ちにされてしまうと……」
「だから少ない手勢で襲撃を掛けたと?」
「……はい。ですが思ったよりも相手の隊列が乱れなかったので、これは打って出るしか無いと考えました」
私の中にある全てを見透かそうとするかのごとく、強く見つめられてしまい、どくどくと痛いほどに胸が高鳴った。
暫しの間、ジェームズ隊長は私を試すようにジッと見つめ続けた後、はぁっと疲れたような溜息を吐いた。
「……お前が敵兵に連れ去られそうになっているのを見た時、気が触れるかと思った」
どくり、また鼓動が跳ねる。
「その時に俺はやっと自分の想いにけじめを付けることが出来た」
私の手を握るジェームズ隊長の握る力が強くなる。
「本当なら、戦場に出る前にお前に言っておくべきだった。なのに俺はどこかで慢心していたんだ。お前ならいつでも、どんな時でも俺の側にいてくれるってな」
ジェームズ隊長の瞳が、ゆらりと不安げに揺れる。いつも力強く輝く瞳が、そんなふうに揺れるのを私は初めて目にした。
「メアリー、俺はお前が好きだ。ずっと――愛している」
私を射抜くように見つめる茶色い瞳に、私の方こそ気が触れるかと思った。
「でも……そんな、嘘です」
「嘘?」
私が絞りだすように出した言葉に、私の手を握るジェームズ隊長の手が強張った。だけど私は震える言葉を何とかして舌に乗せた。
「だって、ジェームズ隊長には、既に心に決めた女性がいるのでしょう?」
カフェで見た、黒髪の美しい女性。思い出すたびに胸が痛くなる光景。
「――なにを言ってんだお前は」
怪訝そうにジェームズ隊長が言うのを見て、私は小さく呻くように吐き出した。
「私見ました。ジェームズ隊長が、綺麗な黒髪の女性と……カフェで笑いあっていたのを」
ジェームズ隊長が唖然とした表情のまま固まった。それが肯定の意味なのだと感じて、全身に震えが走った。
「知っています。私、知っているのです。ジェームズ隊長が、昔から貴族を嫌っていることを……だから、貴方が私を選んでくるなんて、そんなこと――」
あるわけがない――そう否定したかったのに、事実を認めたくなくて、なかなか言葉が出てこない。言ってしまったら、本当に私のジェームズ隊長への想いが全て否定されてしまうような気がした。
「おい、メアリー」
俯く私に向かって、硬い口調でジェームズ隊長が話しかけてくる。だけど怖くて不安でしかたなくて、私は顔を上げることができなかった。
「わ、私は、ジェームズ隊長の幸せを何よりも願っています。ジェームズ隊長の幸せが、私の幸せなのです! たとえ貴方がどなたかと結ばれたとしても、それがジェームズ隊長の幸せならば、私は全力で祝福したいと、そう考えています!」
「おい」
「ですが……ですが、もし許されるのでしたら、私が貴方の側で戦い続けることだけは、どうか……どうかお許し下さい」
それさえも否定されると、もう私の居場所も存在意義も無くなってしまう。
いつの間にか息が上がってしまっていて、私は荒くなる呼吸を必死に宥めながら真っ白なシーツを睨むように見続けていた。今顔を上げてしまったら、きっと泣いてしまう。
「メアリー、顔を上げろ」
低く抑えこむようなジェームズ隊長の声は、怒っている時の声だ。あぁ、やはり私の願いは彼にとっては迷惑なだけなのだろうか。
「メアリー、命令だ。顔を上げろ」
私がその言葉に逆らえないと知っていながら、命じるジェームズ隊長が憎らしい。シーツを握りしめながら、私は恐る恐る顔を上げた。ぐっと歯を食いしばって、決して涙を見せないように我慢しながら。
顔を上げた私の目に映ったジェームズ隊長は、怒りでもなく困惑でもなく、ただひたすらに無表情だった。まるで仮面を着けたかのように、全ての感情を削ぎ落としたかのような無表情。
あぁ、私は失敗したのだろう。これほどまでに彼を怒らせてしまったのだから。
「お前は俺がさっき言った言葉を否定するのか?」
静かに問いかける口調は、どこまでも平淡で、それが逆に恐ろしかった。
「それともなにか? お前が昔から俺を好きだと愛しているだのと言っていたのは、全部でまかせだったとでも?」
「そんなことはありません! 決して、そんなことは……」
「だったら何故俺の言葉を信じない。それに何だ、俺が心に決めた女とやらは」
仮面のようだった顔がぴくりと動く。ジェームズ隊長のこめかみには、青筋がはっきりと見て分かるほどに浮き出ていた。
「だ、だって、ジェームズ隊長があんな風に女性と笑みを交わす姿を、私は見たことがなくて……」
「だから、それは誰だって言ってんだ!」
「その、あの……か、カフェで、黒髪の……綺麗な女性と……」
ジェームズ隊長の眦が見る見る間に吊り上がって行く。なぜそこで怒るのかが分からない。
「ほう……お前は俺がどこぞの女と一緒にいるのを見ただけで、俺からあっさり身を引く程度の気持ちしか持ってなかったってわけか」
その言葉に流石に私はむっとして反論した。
「そんなわけありません! 私は生涯ジェームズ隊長をお慕いし続けると決めているのですから!」
「はっ! そりゃあどうだかな。お前のほうこそ、あのアルバーンと仲良く街を歩いてたじゃねぇか。派手に着飾りまくってよ」
今度は私が唖然とする。どうしてジェームズ隊長がそのことを知っているのだろう。
「そ、それは、父が仕組んだことで、私は別に彼と出かけたかったわけでは……!」
「嫌だったと? その割には随分と親しげにしてたじゃねぇか。肩を抱き寄せられても、嫌がりもしねぇで受け入れやがって」
「なっ、そんなことされてません! それを言うならジェームズ隊長の方こそ、なんですかあの笑顔! いつもぶすっとしてるくせに、なんで私以外の女性の前であんなに良い笑顔を見せるんですか!」
私が言い返すと、ジェームズ隊長が間髪入れずに怒鳴り返してくる。
「お前の目は節穴か? あれのどこがいい笑顔だってんだ! 第一、あの女を俺が慕ってるなんて不気味なこと言うんじゃねぇ! あんな女と付き合うくらいなら、そこら辺の溝鼠と付き合うほうが何百倍もましだ!」
「そこまで仰るのが、逆に怪しいです! どう見たって私よりあの人の方が綺麗だったし、む……胸も大きかったし!」
悔しいがそこは認めるしか無い。一番認めたくないところだったけれど。
「お前は俺が、そんなくだらねぇことで女を選ぶとでも思ってんのか? あぁ? それにあの女のどこが綺麗だクソが! いつ見ても薄汚い格好ばかりしてやがるし、食事中でもがんがんタバコを吹かしやがるし、頭がイカれてるとしか思えねぇことしか言いやがらねぇ。そんな女のどこをどうしたら好きになるってんだ!」
そんな感想を抱けるほど、ジェームズ隊長がその女性と身近にいたのかと思うと、私はまた悲しくなる。
「くそっ! だから不細工な顔すんじゃねぇよ。とにかく、あの女を俺はなんとも思ってねぇ。そもそもあいつは開発部の主任研究員だぞ? そんな得体のしれねぇ奴となんで俺が――」
「何言ってるのですかジェームズ隊長。あの人が開発部の主任研究員のわけないじゃないですか。主任研究員は男性ですよ?」
涙を必死に堪えながら指摘すると、ジェームズ隊長が眉間に深い皺を刻んだ。
「……何言ってんだ、得体のしれない奴だが、あいつは一応女だぞ」
私とジェームズ隊長の間に不自然な沈黙が支配する。
「開発部の主任研究員は、パットという名の方ですよね?」
「だから、さっきからそう言ってんだろうが」
「え、あの、ですからパットさんは男性ですよね?」
またジェームズ隊長が沈黙する。
「……ちょっと待て、お前、開発部の連中とは何回か会ったことあるだろ?」
「はい。いつも白衣を着ている方たちですよね。それが?」
「パットに会ったことは?」
ふと考える。新しい装備や武器の開発などの打ち合わせで、開発部の方と何回か会ったことはあるけれど、どの人も男性だった。だけどその中にパットさんがいたかは、はっきりと思い出せなかった。
「わ、分かりません……ですが、開発部の方とお会いした時は、みなさん男性でしたし、書類のサインもパットと書かれていたので……」
段々自信がなくなってきて、言葉が尻すぼみになっていく。そんな私をジェームズ隊長は溜息を付きながら、右手を首の後ろに当てて項垂れた。
「パットは愛称で、名はパトリシアと言うんだ。だが誰もあいつをその名で呼ばないし、本人もパットで通してる。そもそもあいつは普段はずっと研究室に篭もりきりで、面倒な事は全部部下に任せてたからな。恐らくお前が会ってたのはパットの部下だ。あぁ、くそっ、そのことをすっかり忘れちまってた」
がしがしと乱暴に頭を掻きながら、ジェームズ隊長は苦虫を噛み潰したかのような顔で言った。
一方私は激しく混乱していた。
「あの、え? パットさんは女性で……え? じゃあ、あの女性がパットさん?」
「さっきから何度もそう言ってるだろうが。あの日、パットが珍しく飯に誘いに来たから、気分転換がてらに町に降りただけだ」
なんということだろう、では私は今まで一体なにに苦悩していたというのだろうか。
「……舞踏会の辺りから、ずっと様子がおかしかったのは、俺がパットとそういう仲だと思ってたからなのか?」
言葉が出てこなくて、私はただこくりと頷いた。
「昔からお前は馬鹿だ馬鹿だと思ってたが、そこまで馬鹿だとは想像してなかったぞ」
呆れたように言いつつも、ジェームズ隊長がまたそっと私の包帯まみれの手を取った。
「メアリー、俺のお前への想いに偽りはない。だがお前はどうなんだ? あのアルバーンに言い寄られて、少しも気持ちが傾かなかったと言い切れるのか?」
するりと手の甲を撫でられて、そこがまるで熱を持ったように熱くなる。
「アルバーン様は、私に対して幼少期の憧れを愛だと勘違いなさっていただけです。それに、私はジェームズ隊長以外の誰かをお慕いすることは、生涯ありえません」
私が噛みしめるように告白すると、ジェームズ隊長の瞳が満足そうに細められた。
「ですが……」
「なんだ?」
「ですが、私はジェイ侯爵家の唯一の跡継ぎです。どうしても……どうしても家を捨てることはできないのです」
貴族を嫌うジェームズ隊長。だからこそ貴族である私は、全てを投げ打って彼の胸に飛び込むことができない。できないから、私は戦場で命をかけるのだ。そうすることでしか、彼への愛情を示すことができないから。
戦場では全ての命が皆平等で、強ければ生き残り、弱ければ死ぬ。そこに貴賎は関係ないからこそ、唯一私が彼の側で身分を気にせずに自由になれる場所。
「ジェームズ隊長、私は貴方が本当に好きなのです。大好きなの、大好き……」
堪え切れずに嗚咽が漏れる。そんな私をジェームズ隊長が身を乗り出して涙を拭ってくれる。小さい頃によくしてくれたように、乱暴なのに優しい手つきで。
「メアリー、昔みたいに俺を呼べ」
優しくジェームズ隊長が命令する。
「ジェームズ……ジミー、ジミー」
「泣くなメアリー。不細工な顔が余計に不細工になるぞ」
微笑みながら、負傷していない方の手で私の頬を何度も優しく撫でてくれるジミー。
「ジミー、私どうしたら良いの? ジミーが好きなの、誰よりも愛してるの。でもジミーは貴族が嫌いでしょ?」
「あぁ、嫌いだ」
ずきりと胸が傷んで、余計に涙が溢れてくる。
「だが、お前を嫌いだなんて、一度でも言ったことがあるか?」
「ないわ……でも」
「だったら俺の言葉を信じろ。俺はお前を愛している。だからと言って、お前が俺と家との間で、板挟みになる必要なんてないんだ」
ジミーが私の頭を引き寄せて、その広く逞しい胸へと押し付けた。
「さっき言っただろう? 俺は自分の想いにけじめをつけたと。俺はもう迷わねぇし、お前をそんな事で悩ませたりもしねぇ。お前がこれ以上迷わなくてもいいように、俺がお前を導いてやる。だから、俺のものになれ、メアリー」
とくりとくりとジミーの鼓動の音がする。温かくて安らかな気持ちになれる音。
「駄目よ、ジミー。私は貴方の”もの”になんてなれないわ」
ジミーの鼓動がとくんと小さく跳ねるのが聞こえた。
「だって、”もの”は貴方の側に立つことができないでしょ? それに、私はジミーと一緒に道を切り開きたいの」
ジミーの胸元から顔を上げて笑いかける。彼が虚を突かれたような顔をした。なんだかそれが、少しおかしかった。
「言うようになったじゃねぇか、メアリー」
ぎゅっとジミーが私の体を抱き寄せた。私も動かしづらい包帯まみれの腕で、彼の背中に震えながら手を寄せた。
「ねぇ、ジミー。私、普通のレディと違って、上手く刺繍もさせないし綺麗でもないし、ううん、それどころか全然柔らかくなくて、筋肉があちこちに付いてるし傷だらけだし、煙草臭くはないけど訓練でいつも汗臭いと思うの。そんな私だけど、本当に好きでいてもいい?」
私が恥ずかしくなってぐっとジミーの胸に額を擦りつけながら訴えると、彼がくつくつと低く笑う振動が伝わってきた。
「メアリー、お前は針なんか握らなくても剣だけ握ってればいいし、体だって俺よりずっと柔らかいし、俺や他の連中よりもずっといい匂いがする。ほら、今だって……」
そう言って私の首筋に顔を埋めて匂いを嗅いでくるジミーに、私は慌てて体を引き離そうとした。なのに片手だけしか動かせないのにびくともしないジミーは、笑いながらすんすんと鼻を鳴らした。
「お前の匂いと薬っぽい匂いがするな」
「や、やだジミー!」
恥ずかしすぎて耳まで熱くなるのが分かった。急に大胆になるなんて、ずるいわジミー。
「メアリー、お前はお前のままでいいんだ。俺はそんなお前が好きなんだからな」
優しく耳元で囁かれ、私の全身に甘い震えが走った。
そっと顔を上げると、見たこともないほどに優しく柔らかな笑みを浮かべたジミーと瞳が合った。
「メアリー」
ジミーの顔が近づいて、ふわりと私の唇に彼の唇が重なった。どこか既視感を覚える感触に、胸を激しく高鳴らせながらも疑問に思った。
「どうしよう、ジミー。私、まるでこの口付けを前にもしたかのように感じてしまうわ」
既視感を覚える程に、私はジミーを求めていたのだろうか。自分の浅ましさに顔から火が出そうな思いだった。
そんな私を見たジミーが、突然吹き出した。
「おま、お前っ、あぁそうか。覚えてなかったのかよ」
「なっ、なによジミー」
真っ赤になりながら下唇を噛みしめると、ジミーが私の唇に親指を当ててなぞるように動かしてくる。
「お前が意識を失う前、俺が口付けたのを覚えてなかったんだな」
言われてはっとする。そう言えば、とても幸福な気持ちのまま意識を手放したような気がする。あの唇の感触は、死ぬ間際に見る幸せな幻覚だとばかり思い込んでいた。
「思い出したか?」
ちゅっと音を立てて、また口付けられた。どうしよう、私は今、恥ずかしさと幸福感で死にそう。
何も言えずにパクパクと口を動かす私の唇に、またジミーが口付けてきた。やだ、本当に死んじゃう。
「メアリー、ずっと俺の側にいてくれ。俺もずっとお前の側にいるから」
愛する人に懇願するように言われて、断れる人なんているのだろうか。
「はい。ずっと、貴方の側にいます」
また涙が零れそうになって、私は慌ててジミーの胸に顔を押し付けた。あぁ、愛おしさで胸が苦しくなる。
私が泣くのを今度は咎めないで、じっとジミーは抱きしめたままでいてくれた。
ジミーは私が泣き止むまで、ずっとそうしていてくれた。




