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25.メアリーとアルバーン




 日がな一日、ただベッドの上に伏せる毎日は、暇をもてあますかとおもいきや、むしろその逆だった。部下たちや仲間たちがひっきりなしに、暇を見つけては部屋を訪れてくれたのだ。嬉しいことに、彼らは私のような大怪我を負わずにすんだようで、そのことだけは私を安堵させた。

 軍関係者以外にも、城で私に良くしてくれている人たちも顔を見に来てくれた。女官長のヴェロニカさんは、「医師には内緒よ」と悪戯っぽく笑って砂糖菓子をこっそりくれた。ずっと味気のない、栄養を重視した食事ばかりだったから、随分と救われた。

 中でも一番私の見舞いに来てくれたのは、あのアルバーン様だった。彼は私が心配するほど、とにかくよく治療室に現れた。

 あまりにも頻繁に顔を出すものだから、ある日私は仕事の方は大丈夫なのかと思わず尋ねた。

「大丈夫ですよ。私はこう見えて、結構要領がいいほうなんです」

 にこりと美麗な顔に笑みを浮かべられると、それ以上深くは追求できなくて、そうなのですかと曖昧な返事しかできなかった。暫くの間、私と彼との間に沈黙が降り立った。

 先に口を開いたのは私だった。

「あの、今更このような事を聞くのは失礼かと存じますが……」

 ずっと気になっていたことを聞きたかったけれど、聞いてもいいものかと思案に暮れる。そんな風に私が言葉を濁していると、アルバーン様が私に優しく先を促してくれる。

「貴女がお聞きになりたいことでしたら、何でも喜んでお答えしますよ」

 嬉しそうに言われると、逆に言いづらくなってしまう。だけど折角のことだし、これまで有耶無耶にしていたことをはっきりとさせる良い機会だと思った。

「私、前からずっと疑問に思っていたことがあるのです」

 黙ってアルバーン様は私の言葉を待ってくれていた。

「アルバーン様と私は、以前どこかでお会いしたことがありましたか?」

 言ってしまってから、やっぱり失礼だったかと内心冷や汗をかいた。気不味くなって顔を伏せつつ、ちらりと横目でアルバーン様の様子を伺うと、彼は微かに苦笑を浮かべていた。

「あぁ……やはりと言いますか、覚えておられなかったのですね」

 顎に手をやり首を振るアルバーン様に、私の肝は冷えっぱなしだ。

「申し訳ございません。もっと早くにお伝えすべきでした」

 私が謝ると、アルバーン様がとんでもないと私に顔を上げるように言ってくれた。

「私にも原因があるのです。もしも貴女が私を見た時に、思い出してくれたならと淡い期待を抱いてしまったのですから」

 そう言うと、アルバーン様は何を思ったのか、両手の人差し指と親指で丸を作ると、それを自分の目元に当てた。

「あの、アルバーン様?」

 突然のアルバーン様の奇行に狼狽えていると、彼は笑いながら尋ねてくる。

「私は小さいころ、少し目が悪かったのです。それを治すために、不格好な眼鏡をずっと着けなければいけなかったのです」

 指で作られた輪の向こうから、氷のような青い瞳が私を覗いている。いつもより目元が隠れているせいか、随分と印象が違って見えた。

「おまけに体も小さくて気も弱かったものですから、随分とからかわれたものでしたよ」

 不格好な眼鏡、気が弱く小さな体。眼鏡――大きな眼鏡?

「あの……眼鏡と言うのは、こう丸くてとても大きくて分厚く……」

「そうです、レンズのせいで目が大きく見えすぎてしまって」

 大きな目、眼鏡、めが――

「ぎょ、ギョロメガネ君……?」

 私が思わず呟いた言葉に、アルバーン様が目元から手を離して私の座るベッドの端に手を付いた。

「そう、そうです! 思い出していただけましたか?」

 嬉しそうに言われても、私の記憶にあるアルバーン様と今のアルバーン様が全く結びつかない。

「え、でも、えぇ? う、嘘……」

 だって、ギョロメガネ君は小さくていつも俯いておどおどしていて、他の貴族の子息令嬢たちからもしょっちゅう虐められていて――あぁ、私はそんな彼になんと言ったのかしら?

「本当に、本当に申し訳ありませんでした。幼いころのこととはいえ、きっと私は他の子どもたちのように、貴方に失礼なことを言ってしまったのでしょう。それなのに……」

 もしかして、彼が私に執拗なほどに迫ってくるのは、過去の復讐のためだったのだろうか。だとしたら、私はそれを甘んじて受け止めなければいけないのかもしれない。

 悶々と悩んでいると、彼は微笑みながら私の顔を覗き込んできた。でもやはり目の前に居る美しい彼の顔と、あのギョロメガネ君が合致しない。

「謝る必要などどこにもありませんよ。むしろ、貴女のお陰で私は自信を持つことができたのですから」

 取り敢えず復讐はされないようだけれど、今度は過去の自分が何を彼にしてしまったのかが気になる。

 そんな考えが表情に出ていたのだろう、アルバーン様は目を細めて私を見つめてきた。

「ある時の茶会の話しです。その時も私はいつものように、他の貴族の子どもたちに眼鏡のことでからかわれていました。だから私もいつものように、反論せずにただ黙って彼らの言うことを聞いていました。子供というのは飽き性ですからね、私が耐えればいつか飽きるだろうと我慢していたのです。けれども、その日は違いました。とある意地悪な子供が、私に向かって紅茶をかけてきたのです。運悪く、大人たちの見えない場所で行われたことだったので、誰も助けに来ることもなく、私は絶望に打ちひしがれていました。するとその時でした」

 一旦そこでアルバーン様は言葉を区切ると、私の包帯の巻かれた右手をそっと握ってきた。

「私に紅茶をかけた子供が、突然その場に倒れこんだのです。そして、倒れた子供の背中に乗り上げるようにして、小さな女の子が共に倒れこんでいました」

 あぁ、もう嫌な予感しかしない。

「なんと女の子は、紅茶をかけた子供の背中から体当たりをして、地面に転ばせたのです。それから唖然とする子どもたちの中で、その女の子はしっかりとした足取りで立ち上がると、こう言いました。”よわいものを守るのが貴族のやくめ! あなたたちは貴族しっかくよ!”」

 思わず頭を抱えたくなる。恥ずかしさで顔が上げられない。

「それから呆然とする私に向かって、こうも言いました。”あなたもやられたらやりかえしなさい! このギョロメガネ!”――ふふ、本当に勇ましかったですよ、メアリー」

 過去の自分はなんてことをしてくれたのだろう。そう言えば、そんなことがあったような気がする。

 たしか母に連れられて参加した御茶会で、ジッと大人しく席につくのが苦痛だった私は、大人たちの目をかい潜って庭を探索していたのだ。そこで数人の子どもたちに囲まれて俯く子供を目にした。

 なんだろうと思った瞬間、俯く子供に誰かが紅茶をかけた。それを見た私は思わず頭に血が上ってしまい、後先考えずに紅茶をかけた子供の背中に体当たりを食らわせていたのだった。

「まさか、あの時の子供が貴方だったとは思いもよりませんでした……」

「そうでしょうね。あれから目も良くなって眼鏡もいらなくなり、他の子供に何か言われても言い返すことが出来るようになりましたからね。これも貴女のお陰です」

「そんな! それはアルバーン様の努力の結果です。私は何も――」

「いいえ、貴女が切っ掛けを与えてくださらなければ、きっと私は自分の意見もまともに言えないような、情けない大人になっていたでしょう」

 確かに、今では内政のトップの補佐である書記官長補佐まで上り詰めたのだ、あの時のギョロメガネ君から比べれば雲泥の差だろう。だけど――

「アルバーン様は幼いころの記憶が強すぎるのです、きっと。ですから私に好意を抱いているなどと勘違いなさっているのでしょう」

 そうとしか考えられない。これは一種の刷り込み現象に似ている。

 否定する私に対して、彼はしっかりと首を振った。

「いいえ、これは勘違いなどではありません。勘違いなどで、何十年も一人の女性を想い続けることなど、私には不可能ですから」

「ですが……」

「本当は、もっと早くに貴女にこうして打ち明けたかったのです。ですが貴女はあまり茶会には参加せず、礼を言うこともできずにいました。ならば文でもしたためようかと考えていた時、貴女のお母様にご不幸が起こってしまい、その機会もなくなりました」

 母のことを言われてグッと、なにかが喉の奥に詰まるような感じがした。私はなるべく平静を装ってアルバーン様を見つめ返した。

「それから私はずっと貴女にお会いしたくて堪りませんでした。ですが貴女のお父様が決して、誰にも貴女を引き合わせようとしませんでした。だから私はいつか貴女に会えた時、誰から見ても恥ずかしくないような男になろうと決め、日々己を磨いてまいりました」

 あの時の彼からは想像できないほどに立派になった今の姿を見れば、確かに並大抵ではない努力を重ねてきたのだと分かる。

「そして貴女が軍に入る前に夜会でデビューした姿をお見かけしました。その時、貴女が私の知らない男を連れているのを見た時、醜くも激しい嫉妬を覚えました」

 今でもその時のことは覚えている。父をなんとか説得して軍に入隊することが決まり、その代わりにせめてジェイ家の息女として、夜会デビューだけはしておきなさいと強く命令されたのだ。だから私は嫌だったけれど、参加することに決めた。

 エスコートは父がしてくれることになっていたけれど、どうにも心細くて、我が儘を言って無理にジェームズ隊長を連れて行くようにお願いしたのだ。もう当時の彼は軍に入隊していたから、今考えると本当に無茶なお願いをしたものだと思う。

「貴女は私の記憶にあった幼かった頃よりも、ずっと美しくなっていた。しかしいつも貴女の側にいるのは彼だった。それが狂おしいほどに妬ましかった」

 辛そうに言うアルバーン様に、私はそうじゃないのと言いたくなった。側にいたのではなく、私が無理やり彼の側にいようとしていたのだ。

「貴女の心がホーカー隊長に向かっているのは分かっています。けれども、私は貴女を諦めたくないのです。私なら、貴女をこの様な目に遭わせません」

 アルバーン様が痛ましげに私の傷だらけの頬に指先を滑らしてくる。でも違うのよアルバーン様。

「貴女が瀕死の重傷を負って城に帰還したのを知らされた時、心臓が止まるかと思いました。このまま貴女を失ってしまうのではと、生きた心地がしませんでした」

 彼が私をここまで慕ってくれる理由が分かった今、私は彼にどう言葉をかければ良いのだろう。

 正直なところ、身内以外の人間に、これほどまでに想ってもらえることに、喜びを感じている。けれども、その喜びは決してアルバーン様から向けられる愛情と対等になり得ないとも感じていた。

 きっと彼と結婚すれば、それなりに平穏で幸せな人生を送れるのだろう。だけどそれは、私が求めている幸せではないのだ。

 ぐっと目を硬く瞑ってから決意する。ゆっくりと瞳を開けて、アルバーン様に向き直った。

「アルバーン様、私は人として女として、どこか歪な人間です。ですが、彼だけは、私の歪さを理解した上で、私の行くべき道を示してくれたのです」

「その道が間違っていたとしたら?」

「間違っていたとしても良いのです。私は彼がいつも先にいて、付いて来いと行ってくれるだけで幸せになれるのです。そして彼の横に追いついて、共に同じ場所に立てた時、もっと幸せになれるのです」

 そうするには、私はもっと強くなって戦い続けるしか無い。だって彼の居場所は、いつだって戦いの地にあるのだから。

「貴方様のお気持ちは、本当に嬉しく思います。私のような人間を、それほどまでに強く想ってくだる有り難さは、掛け替えのないものだと存じます。本当に有難うございます。ですが、やはり私はどうしてもアルバーン様の想いに、お答えすることができないのです」

 どうにも息苦しくて、私はゆっくりと息を吐いた。

「私の運命は、共にジェームズ隊長とあると決めた時から、私は一生彼の側に立ち続けると決めたのですから」

 再び沈黙が私たちに重くのしかかった。だけどようやくアルバーン様に伝えることができて、私は少しだけ晴れやかな気持ちになった。

「……ホーカー隊長が、生涯貴女を女性として愛してくれないとしてもですか?」

「それでも良いのです。私の存在意義は、彼の側で在り続けることなのですから」

 思わず微笑むと、アルバーン様が短く息を吐いた。そして片手で顔を覆うと、天井を見上げた。

「ははっ、まさかここまで貴女が強情だとは思いませんでしたよ。……いや、本当は分かっていました」

 手を下ろして私を見たアルバーン様の顔は、なにか背負っていたものを下ろしたかのような顔をしていた。そして部屋の入口の方へと顔を向けると、声を大きくして言った。

「というわけだ、ホーカー隊長殿。いい加減、入ってきたらどうだい?」

「え! ジェームズ隊長?」

 驚く私の前で、アルバーン様がニヤリと笑った。いつも柔和な笑顔ばかりの彼にしては、随分と珍しい顔付きだった。

「じつは部屋に入る前に、ここに来るホーカー隊長を見かけましてね。恐らくずっと私たちの会話を聞いていたのでしょう」

 告げ口をするように、アルバーン様が私の耳元に囁くのと同時に、乱暴に部屋のドアが開いた。

「そんなわけあるか。お前らの話し声がデカイから、廊下まで聞こえてただけだ」

 そう言って現れた彼の左腕は包帯で吊られていて、頭にも同じように包帯が巻かれている。ゆっくりと近寄ってくるジェームズ隊長の足が、少しだけ左足を引きずるような感じに見えて、私はもう泣きそうになりながら彼を見上げた。

「不細工な顔してんじゃねぇぞメアリー」

 まるで夢のなかで私に言ったのと同じことを彼が言うから、溢れそうになっていた涙が思わず引っ込んでしまった。

「おい、レディに対してなんて物言いをするんだ君は。あぁ、腹立たしいことだ。こんな乱暴な男のどこがいいのか」

「うるせぇ。話しが終わったんなら出て行けよ」

「言われなくてもそうするさ。ではメアリー、くれぐれもお大事に。あと、ホーカー隊長に酷い目を合わされたら、いつでも私のところに来てくださいね。あらゆる手を使って彼を懲らしめてやりますから」

 本人の前で堂々と言い放つアルバーン様は、もしかするとリオン隊の誰よりも案外肝が座っているのかもしれない。紳士の礼をして出て行くアルバーン様を、ジェームズ隊長が忌々しげに見るのを私ははらはらしながら見守っていた。

 そしてアルバーン様が退室し、残されたのは私とジェームズ隊長の二人だけ。

 ちらりと彼の顔を伺い見ると、いつもと同じように、不機嫌そうな顔で私を見下ろしている。どうにも気不味くて、私は顔を伏せた。だって彼は私が意識を取り戻してから、一度もここにやって来なかったのだ。だから何をどう切り出せばいいのか分からない。

 私は包帯まみれの両手を見下ろしながら、途方に暮れていた。




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