24.メアリーの目覚め
誰かの怒鳴り声で、私は目覚めた。
「もっと明かりを近づけなさい! それと湯はまだなの!」
ぼんやりとした視界には、人影が忙しなく動き回っているのが見えた。怒号と人の歩きまわる音、土の匂いと血の匂い。
「メアリー、メアリー! 目が覚めたのね、ここがどこだか分かる? メアリー!」
私に呼びかけるのは、聞き慣れたセシリアの声。いつも傲慢で余裕に満ちた声とは違って、酷く焦ったような声音だ。
「メアリー、貴女はなんて馬鹿な人なのかしら――例えようのない大馬鹿者ですわ!」
怒鳴るその声は、微かに震えていた。
「いいですこと? 貴女は絶対に死なない。このわたくしが、絶対に死なせませんわ!」
セシリアの声がどんどん遠のいていく。それにしても、ここはどうしてこんなにも寒いのかしら。寒くてしようがないわセシリア。
「だから……だから、貴女も決して諦めないで! ジェームズ隊長に貴女はまだ何も残せていないじゃないの!」
ジェームズ隊長……あぁ、ジェームズ隊長に会いたい。会って、抱きしめて欲しい。そうすれば、この寒さもきっと和らぐわ。でも彼はきっと、私には触れてくれないのよ。いつも通り顰め面で、怒りながら私を突き放すの。
それでもいいの。貴方の近くにいるだけで、私は幸せなのだから。
あぁ……だめだわ、本当に寒い。何も、見えない。
とても幸せな夢を見ていた。
私は天も地もない場所で、ぼんやりと立っていた。ひとりぼっちだったけれど、怖くはなかった。むしろ暖かで幸せな気分だった。
すると私の目の前に、ぼんやりと懐かしい風景が浮かび上がる。
幼いころ、私の側にいたジェームズ。あの頃から私に対してはぶっきらぼうで、けれども私を見捨てないで見守ってくれたジェームズ。
私のせいで死んだ母の影をいつまでも引きずる私に、ジェームズは乱暴だったけれど前を見る勇気と切っ掛けを与えてくれた。
「お前が戦うなら、俺がその先を導いてやる」
なんて傲慢なのかしら――なのに、そう言い放つ彼の瞳はとても温かく優しかった。
だから私は戦うと決めた。彼の横で戦えるのなら、こんな幸せなことはないと感じられた。
だって彼は決して私を選んではくれないもの、だったら側で共に戦うことでしか、彼の近くにいられないじゃない。
ふわりとまた風景が変わる。幼い私に皮肉げな笑みを見せるジェームズ。彼はいつだって斜に構えたような姿勢の子供だった。警戒心が強く、感情を素直に表さない子供。
だけど私が必死に彼の後を追うと、鬱陶しそうにしながらも、ちゃんと彼は途中で立ち止まってくれた。そんな時は大抵、皮肉っぽい笑みで私をからかうのだ。
けれど分かってる。そんな笑みでさえ、彼からすればとても珍しいものなのだと。
またふわりと風景が変わる。あぁ、これは――
カフェで私の知らない女性と笑い合うジェームズ。滅多に笑みを見せない彼の笑顔を引き出すのは誰? いやだ、見たくない。こんな彼を私は見たくないの。
「ジェームズ……ジミー」
胸が苦しい。息が詰まる。軍に入ってからは一度も呼んだことのない、彼の愛称。チャールズ副隊長がその名で気安く彼の名を呼ぶのを、いつも本当は凄く羨ましかった。
私だってその名で彼を呼びたかった。だけど呼べなかった。呼んではいけなかったのだ。
「ジミー……ジミー、ジミー」
何度も彼の名を呼ぶ。目の前で知らない誰かに笑いかけるジミーを見たくなくて、私は目を瞑って彼の名を呼ぶ。
好きなのジミー。大好きなの。私をあの暗闇から救い出してくれた貴方が好きなの。愛しているのジミー。
ふと、私の耳になにかが聞こえる。
目を開けると、目の前に幼かった頃のジミーが立っていた。今よりも随分と小さな彼は、それでも私より背が高い。どうしてだろうと思って自分の掌を見たら、小さな白い手が滲んで見えた。
「なに泣いてんだ、お嬢様」
からかうように幼いジミーが言う。彼は普段、人目のないところでは呼び捨てにするくせに、こうやってからかう時や人前では私をこんな風に呼ぶのだ。
「泣いてなんかいないわジミー」
ごしごしと乱暴に目元をこすると、ジミーが呆れながら私の前に跪いた。小さい頃から背が高かったジミーは、何かあるとこうしてわざわざ私の視線に合わせるように膝を折ってくれた。
「不細工な顔して泣くな。余計に不細工になるぞメアリー」
ジミーは目をこする私の手を乱暴に取ると、ポケットから取り出したクシャクシャのハンカチで、そっと涙を拭ってくれた。口調は乱暴なのに、私の涙を拭う手つきは酷く優しい。
「ジミー、わたしいやなの、こわいの」
いつの間にか幼子に戻っていた私は、上手く発音出来ない単語を懸命に繋ぎあわせて訴えた。
「なにが?」
「ジミーがわたしをおいて、どこかにいくのがこわいの」
「どうしてそう思うんだ」
「だってジミーが、わたしのしらない人とわらってたの」
「俺だって笑うくらいするさ」
「ちがうの! ジミー、そうじゃないのジミー」
もどかしい。伝えたい事が上手く伝えられない。それが悔しくて、瞳から涙があふれて止まらない。
「ジミー、ジミー」
ジミーはただ黙って私を見守っている。悲しくて、嬉しくて、もどかしい。
「ジミー……」
ぎゅっと目を瞑ってスカートを握りしめる。幼かった頃の私の悪い癖。マナーが悪いといつも周りの大人たちに叱られた。けれどジミーは違った。辛抱強く私の言葉を待っていてくれた。いつもぶっきらぼうで、短気なジミー。なのに本当は誰よりも優しくて我慢強いジミー。
ふわりと頬を撫でられる感触がした。温かくて安心する感覚。でも怖いわジミー。目を開けるのが怖いの。
「――メアリー、メアリー」
恐る恐る瞳を開ける。どうしてか、酷く瞼が重く感じた。
なぜか目の前にジミーはいなかった。視界に映るのは、灰色がかった茶色の天井。
「メアリー」
私を呼ぶ声に釣られて首を動かそうとすると、全身に痛みが走った。
「ぁうっ!」
「動くな! 今医師を呼んでくるから待ってろ」
ばたばたと誰かが部屋を出て行く音を聞きながら、私はぼんやりとする頭で今の状況を整理しようとした。
まず全身が痛い。動けないほどに痛い。じゃあどうしてこんなにも体が痛むの? 何をしていたのだろう。
必死に考えを巡らせる私の耳に、再び人の足音が聞こえる。今度は複数人の足音だった。
「メアリー班長、目が覚めたんスか!」
この軽い口調はダニーかしら。頼むから大声を出さないでほしい。頭に響くじゃない。
「ちょっと、おどきなさい! 男性は全員出て行きなさい!」
高圧的な口調はあの人だ、きっとセシリアのはず。どうして彼女がここにいるのかしら。
疑問に思う私の視界に、女性の顔がにょきりと現れる。
「メアリー班長、私が分かりますか?」
細面のすっきりとした顔付きのその女性には見覚えがある。オルカ隊の第一班班長のリーザさんだ。
「リーザ……さん」
「えぇ、そうよ。リーザよ。よかった、意識ははっきりしているようね」
私の下瞼を押し下げながらリーザさんが尋ねてくる。その間にも私の耳に、人が言い争う声がひっきりなしに届いてくる。
「メ、メアリー班長は大丈夫なんですか? 本当に意識が戻ったんですか?」
「だからそれを今から調べると言っているでしょう! 早く出て行きなさい!」
「ちょっと、ちょっとでいいから確認させて下さいよ! 俺たち心配で心配で……」
「うるさいですわよ! いいですこと? 今すぐこの部屋から出ていかなければ――」
「てめぇら、黙って表に出ろ」
低く呻るようなその声が、たった一言発しただけでその場に沈黙が降り立った。そして複数人の足音が部屋から遠ざかっていくのが分かった。
「邪魔して悪かった。メアリーを診てやってくれ」
「は、はい! メアリー班長は、このわたくしが責任をもって治療いたしますわ。ご安心下さいジェームズ隊長」
むっ、またセシリアがジェームズ隊長にいい顔をしているのね――あれ、ジェームズ隊長?
混乱する私を他所に、リーザさんが私の体をてきぱきと検分していく。セシリアもそれに加わって、二人がかりで私は体のあちこちを調べまわされた。
「本当に貴女は頑丈というか、運が良いというか、とにかく無事で生きて帰ってこられて良かったわねメアリー班長」
リーザさんが呆れたような顔で私を見下ろしている。
「悪運が強いだけですわリーザ班長」
セシリアが腕を組んで不機嫌そうな顔で私を見てくる。
「あの……私どうしてここに?」
そう言うと、二人の顔がきゅっと険しくなった。
「記憶が混濁しているのかしら……貴女、ミッテン川で敵の中に一人で突撃したそうだけど、それは覚えている?」
リーザさんが尋ねてくる。ミッテン川、敵――あぁ。
「そっか……私、死ななかったんですね」
ぽつりと独り言のように言葉が漏れた。それを聞いたセシリアの眉が、これでもかと釣り上がった。
「死ななかったですって? 何を仰っているのかしら貴女って人は! 実際貴女、本隊の宿営地に戻ってきた時、一度心臓が止まったのですわよ? それをこのわたくしが、全力を持って蘇生させましたけれどもね!」
感謝なさいと胸を張るセシリアに、私は素直に礼を述べた。
「ありがとう、セシリア」
「なっ! なんですの急に! なにを企んでいらっしゃるのかしら」
どうして素直に感謝の念を述べたら疑われるのだろう。あれ、そう言えば似たような遣り取りを前にもしたような気がする。
「セシリア、少し声を抑えなさい。メアリー班長はまだ意識が戻ったばかりなのよ」
リーザさんがタレ目がちな瞳を眇めて注意すると、途端にセシリアの勢いが弱まった。昔から彼女はリーザさんには頭が上がらないのだ。
「リーザさん、公国との戦いはどうなりましたか? 私の班の隊員たちは無事ですか? ジェームズ隊長たちのいた本隊は? それに……ゲホッ」
一気に喋ったせいで、喉が引き攣れるように痛くなる。そんな私を見た二人は、また呆れたような顔をした。
「目覚めて直ぐに喋るものではないわ。貴女、十日間も意識が戻らなかったのですからね」
「と、十日間……」
思わぬ情報に目を丸くしていると、セシリアがわざとらしく溜息を吐いた。
「右腹部に槍が貫通したのですわよ? 他にも大小沢山の刺し傷切り傷、矢傷。おまけに血の大半を失いかけていましたのよ。本当に、そんな状態の貴女をよくもわたくしは助けられたものですわ」
結局自慢にたどり着くのかと思わず笑いそうになった。いえいえ、今はそれどころじゃなかった。
「あの、みんなは? ジェームズ隊長はご無事ですか?」
先程声だけしか聞こえなかったので、彼もどこか怪我をしているのかもしれないと不安になる。
リーザさんは少し苦笑して言う。
「奇跡的に――と言いたいところだけど、残念だけど数名の戦死者が出たわ。だけど、王国からの援軍と、ジェームズ隊長が敵の指揮官を捕まえてくれたお陰で、予想されていたよりもずっと被害は少なかったわ。まぁ、そういう意味では奇跡的だとも言えるわね」
ぐっと胸が詰まる。いつも戦争が終わった時、亡くしてしまった仲間たちの事を思うと、戦いに勝利したとしても素直に喜べない自分がいる。それはきっと私だけではなく、戦地に赴いた人たち全員が感じるものだろうと思う。
そして、こうも思うのだ――もし私がもっと優秀で強かったなら、仲間や部下たちを失わずにいられたのかもしれない。そんな考えが脳裏から離れなくなってしまう。
何も言えずに黙りこむ私に、セシリアが鼻で笑った。
「貴女がどれだけ化け物じみた強さを持っていても、戦争は一人で勝てるものではありませんのよ。それを自分のせいだなんて思っているなら、貴女は随分と傲慢な人だと言わざるを得ませんわ」
きつい物言いだけれど、彼女なりの精一杯の慰めだと感じた私は、情けない顔を晒さないようにと表情を引き締めた。
「ありがとう、セシリア」
「いやですわ、本当に。いつも野蛮でがさつな貴女が礼を述べるなんて」
ひらひらと手を振るセシリアは、けれどもその顔は私から逸らされている。きっと珍しく照れているのだろう。
その後、私は二人から暫くの間は絶対安静にするようにと厳命され、実際動くことすらままならなかったから素直に従うほかなく、城の治療室で何日も過ごすことになったのだった。




