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23.ジェームズの怒り




 ミッテン川にたどり着けば、すでにそこでは戦闘が始まっていた。川を渡る隊列とは別に、他の部隊が東の森で戦っている。恐らくメアリー班の連中と戦っているのだろう。

 俺は下を見下ろした。急斜面になっているそこを降りれば、直ぐに敵部隊を襲撃出来るだろう。だがこちらにも被害が出るのは明白だった。

 逡巡する俺の視線に、とんでもないものが映った。

 東の森から単騎で躍り出る人影を目にしたのだ。山岳用の馬を駆っているにも関わらず、その影は風のように川を下っていく。遠目からでも男よりも小柄だと分かる人影に、俺の背筋が粟立った。

「あの馬鹿野郎!」

 俺が吐き捨てた直後にメアリーと思しき人影が、川を渡っている途中の隊列の横っ腹に突っ込んでいく。余りにもの無謀に言葉も出ない。そして無謀は俺も同じようだった。

「ここを降りるぞ!」

 俺は部下たちの引き止める声も聞かず、そのまま一気に馬で斜面を駆け下りていった。その間も視線はメアリーから離さずにいると、次々とあいつの周りに敵兵が群がっていくのが見えた。心臓がかつて無いほどに激しく脈打っている。

 敵の隊列がメアリーの突っ込んだ所だけ乱れていく。敵兵の姿が邪魔で、瞬く間にメアリーの姿が見えなくなる。

 俺は馬の腹を蹴って更に速度を早めた。背後からは同じように斜面を駆け下りてくる馬の蹄の音がする。さながら地鳴りのように、大地が震えていた。

 ようやく平らな地面へと辿り着いた時、敵兵も俺達の存在に気付いたようで、慌てて隊列を組み直そうとしたようだった。その時、川の中央のあたりに、あの見慣れた胡桃色の頭を見つけた。メアリーだった。

 軽装備のあいつの体はそこかしこが傷だらけだった。髪を振り乱し、なにかに取り憑かれたように敵兵の中を突き進む姿は、一瞬見惚れるほどに美しく見えた。

「ああああっ!」

 メアリーが咆哮を上げる。早く、あいつの側に行ってやらないといけない。なのに俺を邪魔するように、敵が次々と襲い掛かってくる。

「どけっ! 邪魔だ!」

 馬で敵を踏み潰しながら、剣で薙ぎ払っていく。メアリーはまだ進んでいる。返り血か、自身の血か分からないが、全身を赤に染め上げながら突き進むメアリー。頭の隅に、敵が畏怖の念を持ってメアリーを呼ぶ名を思い出した――血まみれメアリー(ブラッディメアリー)

 ふと視界の端に、メアリーに向かって突進する影が見えた。槍を持った敵兵士が、メアリーの背中から突撃する。同時に俺の横からも槍が突き出されるのを、寸前で避ける。だが、メアリーは避けられなかった。

 薄いメアリーの鎧を槍の切っ先が貫通する。メアリーは一瞬動きを止め、不思議そうに自身の腹部を見た。そして前へと進んで無理やり槍の切っ先を抜き取ると、振り向いて相手の槍を奪い取り、体勢を崩した敵の首に剣を叩き込んだ。

 俺の行く道を阻む敵兵が邪魔で仕方ない。早く、早くメアリーの所に行かなきゃならねぇのに。

「メアリー!」

 メアリーがついに崩折れた。その体を敵兵が引きずって川岸まで運ぼうとするのを見た瞬間、俺の中でついに何かが爆発した。

「その女に触れるなぁッ!」

 気付けば俺は馬から飛び降り、メアリーの元へと一直線に駆け寄っていた。俺の前を阻む敵を、長年戦場で共に戦ってきた長剣で薙ぎ倒しながら、メアリーの元へと走っていく。

 そしてメアリーを引きずる敵兵の頭をヘルムごと叩き潰すと、ようやくメアリーの体が開放された。

 急いでメアリーを肩に担ぎ上げ、空いた手で剣を振るって道を開けつつ、戦闘の輪の中から抜けだした。川岸まで担いでいきながら、辺りを見回す。すると馬に乗った味方の兵士が近寄ってきた。メアリーの部下のトニーだった。

「ジェームズ隊長!」

 トニーが俺の前まで来ると、メアリーを見て声を失った。俺はトニーの馬にメアリーを乗せると、トニーに命令した。

「トニー! そのまま本隊に戻れ!」

「了解!」

 トニーが手綱を引いてその場を去ろうとした時、弱々しい掠れた声がメアリーの口から零れた。

「ジェームズたい、ちょ……」

 俺は慌ててメアリーを覗き込んだ。だがヘルム越しだといつもの様にその丸い大きな瞳が見れなくて、俺は苛立ちながら急いでヘルムを外してメアリーの顔を覗き込んだ。メアリーの薄灰色の瞳は血で汚れていたが、まるで俺が見えているかのように見つめてくる。

「メアリー! てめぇ何考えてんだ馬鹿野郎! くそっ!」

 本当に馬鹿野郎だこいつは。俺を待たずに単身敵の中に突っ込むなど、馬鹿以外の何ものでもない。

 罵る俺に、メアリーは何故か嬉しそうな笑みを見せた。

「たいちょ……ジミー……」

「うるせぇ、黙れ!」

 メアリーが俺をその名で呼ぶのは一体何年ぶりだろうか。いつも誰よりも明るく馬鹿みてぇに元気なあのメアリーが、今にも消えてしまいそうなほどの儚い笑みで俺の愛称を嬉しそうに呼ぶ。

「ジミー、す、き。好きよ、あいし、てる……ジミー」

 こんな時に何言ってんだてめぇは。そんな大切そうに俺の名を呼ぶな!

 それ以上メアリーが俺を呼ぶ声を聞きたくなくて、衝動的に唇を塞いでいた。メアリーの柔らかな唇は、俺よりもずっと冷たかった。それが俺の心を想像以上に傷めつけた。

「うるせぇつってんだ馬鹿が! いいか、絶対に生きろ! これは命令だ!」

 俺が怒鳴るとついにメアリーの瞼が閉じられる。俺はヘルムを被り直すと、トニーの馬を蹴って走り出させた。トニーが俺を振り返るが、俺は無言で背を向けた。

 近くに迫っていた敵兵と目が合うと、相手が怯むのが分かった。俺はヘルム越しに笑いかけた。相手には見えていないだろうに、息を呑むような気配がした。

「その黒い鎧は……貴様、バレーディアの黒獅子か!」

「だったら何だ、クソ共が」

 相手が口を開く前に、近くにいた敵兵の頭を剣で吹き飛ばす。それを見ていた奴らが後ずさりするが、誰が逃がしてやるかよクソが。

 酷く気分が高揚する。いつも戦場で感じる高揚感とは違う、異様なほどの感情の昂ぶり。

「……俺のものに手を出したことを後悔させてやる」

 あぁ、そうか。これは怒りと歓喜だ。メアリーをあんな姿にさせた敵と自分への怒り、なのにそんな姿になっても俺を愛していると言ったメアリーへの喜び。酷く歪で、酷く興奮する。

 理解した途端、すっと神経が研ぎ澄まされた。いやに視界が鮮明になる。

 剣を握り直しながら一歩を踏み出すと、俺を囲む敵兵が一歩下がる。

 ゆっくりと駆け出す。重さなど感じないほどに体が軽い。戦場に俺の雄叫びが木霊する。

 勝ってやるよ、メアリー。お前が命を掛けたこの戦いで、俺は勝ってやる。だからメアリー、俺が帰るまで、絶対に死ぬなよ。お前に言わなきゃならねぇことができたんだからよ。




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