21.ジェームズの本能
次々と入ってくる状況報告を確認しながら、俺はその都度指示を出していた。
「ジミー、メアリー班からの報告は?」
作戦司令部となっているテントに入ってくるなり、チャックが聞いてきた。
「まだだ」
それだけを言うと、チャックが俺の隣に立ち、机に広げられた地図を見下ろした。
日中ならまだしも、夜間の――それも山中での行動は困難を伴う。だがメアリー率いる第一班は、斥候任務に特化した班だ。今回の任務もやり遂げられると確信している。だが――
「どうしたジミー。何か気になることでもあるのか?」
副官のチャックが声を潜めて尋ねてきた。地図から顔を上げてチャックを見ると、奴は眉を顰めて俺を探るように見ていた。
「他の奴は気付かないだろうが、俺には分かるぞ。一体何がお前の気を散らしているんだ」
「何を言ってんだ。俺はいつも通りだ」
鼻で笑って否定すると、チャックの眉間の皺がますます深くなる。いつも飄々と澄まし顔を浮かべる奴にしては珍しい顔だ。
「――メアリーと何かあったのか?」
その時顔を顰めなかったのは正解だった。俺は平素と変わらない態度で悪態をついた。
「何かだと? あぁ、いつも俺が疲れる原因を作ってくれるのが、アイツだからな」
「違う、そう言う意味じゃない。俺が言っているのは――」
「そこまでだチャック。今はそんなことよりも、この戦いに勝つために全力を注ぐのが先だ」
チャックが言い終える前に遮ると、奴は何か言いたそうにしながらも口を噤んだ。
俺は内心の苛立ちと、訳の分からない感情に振り回されないよう、気を引き締めた。
するとテントの中に、オルカ隊第三班の班長が入ってきた。
「やぁやぁ、王国一二を争う色男たちが揃いも揃って、辛気臭い顔をしてるじゃあないか」
メアリーとは別の意味で疲れる男の登場に、俺は見せつけるように溜息をこぼした。
「どうしたヴァレンティーノ班長。なにか報告でも?」
「そうあからさまに嫌な顔をしなさんな。そんな面してっと、メアリーちゃんに嫌われちまうぜ?」
これだからこの男は苦手なのだ。年上だからというだけではない(それこそ俺が軍に入る前から俺を知る数少ない人物だ)、それが余計に俺の調子を狂わせるのだ。
「要件がないなら出て行け。今はアンタの相手をする暇はない」
「暇がないなら作って貰わなきゃなぁ。なにせ、公国に潜り込んでる俺の部下が、本格的に公国が進軍を開始したとの報せを持ってきてくれたんだからさぁ」
軽い調子で言ってくるヴァレンティーノに、頭が痛くなってくる。
「そうならそうと、先に言え! それで、今どの辺りまで来ているんだ」
「北東側――昼ごろまでウチの中隊と警備隊が戦った部隊が、撤退していった方角だな」
なんでもない事のように言うヴァレンティーノに、俺はどきりとした。
「ジミー、北東側にはメアリーが向かっているぞ」
「分かってる。だがアイツには敵部隊と遭遇しても、深追いするなと命令してある。恐らくもう少しで、メアリー班からの伝令が届くはずだ」
そうだ、アイツは普段はバカで変態だが、こと戦場においては稀有な存在となる。状況判断、戦闘能力、兵を率いる力、それら全てがリオン隊においても、トップクラスの実力者でもある。だから、何も心配などいらない――そう、いらないはずなのに、どうしてこんなにも心がざわつく? この感覚はなんだ。そもそもこの山に到着してから、ずっと奇妙な感覚が俺を苛んでいる。
ここに来る前にあった舞踏会の出来事のことが気になるのか? それともカフェの窓越しに見た、メアリーとアルバーンの姿のことか?
違う、気にならないと言えば嘘になる。だが、今俺を苛むこの感覚は、そうではないと本能に訴えかけてくる。もっと剥き出しの何かが――そう、原始的な恐怖だ。
それを自覚した途端、全身に言いようのない震えが走りそうになり、俺はグッと堪えた。チャックやヴァレンティーノの前で、いや、リオン隊隊長として、みっともない姿は見せられないからだった。
だが耐え忍ぶ間にも、俺の心臓は早鐘を打ち、背筋にぞわりと悪寒が走っている。なにかがおかしい。なにかが――
「ヴァレンティーノ班長、アンタの部下から他に情報は届いてないのか? 例えば……」
「無茶言いなさんな。これでも頑張ってるんだよ、ウチの若い奴らもさぁ。そもそもウチの班は戦闘専門のお前らリオン隊とは違うんだ、相手を叩きのめして聞き出す安い情報とはわけが違う。なにせ相手の国に偽装して入り込んでるんだ、見つかりゃ即とっ捕まって首を刎ねられるような、危険な任務に付いてんだ。行動に制限はあるが、その分得られる情報はデカイ。それくらい、分かってんだろう、ジミー坊や」
独特の南方訛りの喋り方で語り続けるヴァレンティーノの言葉を聞きながら、俺は既に頭の中に完璧に記憶した地図を、じっと見下ろした。なにかが、ある。この俺の本能が、急げとせかしてくる。なにか、なにか、なにか!
ふと視線がイヴィタル山南東にある、ミッテン川へと引き寄せられる。王国と公国を横切るように流れるその川は浅いが川幅が広く、南に下れば直ぐにラーチェン王国の領土となる。だから奴らは公国の国境に最も近い北東側から侵攻してきたのだ。
ラーチェン王国は、バレーディア王国とゾルオーネ公国の幾度とない争いに何年も沈黙を守ってきたが、少しでも自国の領土を犯されたとなれば、ミッテン川の南方に、何年も前から王国と公国を見張るようにして立てられている、いくつもの砦から進軍が開始されるだろう。そうなれば、この戦争はさらにややこしい事態になってくる。
それを避けるために、公国はいつも北東、もしくは東からの侵攻を繰り返してきたのだ。
だが、もし――もし今回はそうではないとしたら?
その瞬間、首筋に冷たい痺れが走った。
「遅い。メアリー班の報告はまだか!」
焦れたように声を荒げる俺に、チャックが驚いて瞠目する。
「本隊のあるここから北東へは大分距離がある。ましてやメアリー班は皆、馬なしでの行動だぞ。時間がかかるのは当たり前だろう」
そんなことは分かりきっている。馬を使えば音で相手に気付かれる、だからわざわざ自分の足で動き回らなければいけない。だが俺の中で何かが警鐘を鳴らしている。まだ情報が確定していないが、恐らくこの戦いは――
「メアリー班から伝令!」
テントの外で馬の蹄の音と人のざわめきが聞こえる。俺たちは急いでテントの外へと飛び出した。
宿営地の中心部に、馬に乗った兵士が飛び込んでくる。そして馬から転がり落ちるように降り立った兵士は、群衆の中から俺の姿を見つけると、一目散に駆け寄ってきた。嫌な予感は極限に達していた。
「ジェームズ隊長報告します!公国の本隊は、恐らく南東側……ミッテン川から侵攻してくると思われます!」
その場が一斉に騒がしくなる。予想通りの報せに、俺は低く呻るように聞き返した。
「メアリーはどうした」
「現在ミッテン川に向かっています! 北東側も引き続き哨戒を続けています!」
「わかった、ご苦労だった。お前はひとまず休め」
「はっ!」
一刻も早く報せに来ようとしたのだろう、メアリー班の隊員の体はあちこちがボロボロだった。
「ジェームズ隊長、どうしますか? ヴァレンティーノ班長の報告と合わせれば、このままでは本隊が挟み撃ちにされます」
チャックが厳しい声で言う。気心の知れた奴の前以外では、基本チャックは俺に対して形式張った口調になる。
「俺はミッテン川に向かう。お前はここに残って指揮を執れ。北東側からの進軍に備えろ」
急がなければならない。後数刻もすれば日が昇る。日が昇れば恐らく、俺たちの状況はますます不利になる。
俺は重装歩兵の第二班の大半を連れて行く事に決めた。盾持ち、槍持ちの第三班は山間部の移動に適していないため、その場でイーグル隊とオルカ隊を守りながらの戦いを命じる。
そしてイーグル隊の第一班、短弓兵も俺について来させることにし、長弓、大型弩砲専門の第三班はその場で迎撃準備をさせる。
オルカ隊第一班は引き続き負傷兵の治療、そして新たな負傷兵への対応準備、第二班には装備と食料等の管理を引き続きさせ、新たな負傷兵に備えてテントの増設を急がせた。
第三班はヴァレンティーノ班長に命令し、本国へ急いで兵の増員を要請するように言った。
「チャック、相手が引いても後を追うな。ここで迎撃しろ。オルカ隊第二班に木材をありったけかき集めさせろ、それを使って柵を強化しろ。少しでも侵攻を遅らせるんだ」
「分かりました」
簡潔に答えると、チャックは一度目を伏せると、再び俺を見返した。するとチャックは人目があるにも関わらず、口調を崩して言ってきた。
「ジミー、自分から目を逸らすなよ」
チャックの言葉に俺は咄嗟に言葉を返せなかった。奴の言いたいことは分かっている。
「”俺たち”はいつでも覚悟をしておかなければならない。だからこそ、手の届くときにそれを掴みとるのを躊躇うな」
俺たち――あぁ、そうだな。分かってるよ、チャック。今なら痛いほど、お前の言いたいことが分かるさ。
チャックはそれだけ言うと、さっさと俺に背を向けて戦う準備をするため去っていった。俺も直ぐに用意させた馬へと乗り込む準備をする。
夜の山中がにわかに騒がしくなる。空を見上げれば、先程まで月を覆っていた雲が去り、手を伸ばせば触れられそうなほどの星々が煌めいていた。東へ目を向ける。あと数刻もすれば、あの山の向こうから太陽が登ってくるだろう。
――急がなければ。
俺はヘルムを被り、馬へと飛び乗った。部下たちも次々と馬に乗り、俺の後ろに待機し始める。
「行くぞっ!」
俺の合図とともに、一斉に馬たちが駆け出した。
地鳴りのように地面が雄叫びを上げている。夜の闇が俺たちに纏わりつくように追いかけてくる。
早く、一刻も早く――ただ一心に思いながら、俺は馬を走らせた。




