20.メアリーの名は
日が暮れて辺りが闇の帳に覆われた頃、私が率いる第一班は行動を開始した。
公国に最も近いイヴィタル山の北東側と、東側へと偵察に向かわせるために、私は班を二分割した。敵の本隊は北東側からやって来ると考えられるから、その方面に向かう隊員の数を東側へ向かわせる班よりも多くした。
先に戦闘を開始して、やっとのことで押し返したと前指揮官が言っていた北東側へと、私は部下を引き連れて向かった。ダニーには東側へ行く班を任せた。
山の夜は王都とは違い、まったくの闇に支配されている。先程から月を隠すように雲が夜空を覆っているせいで、一層闇が濃くなっていたが、却って好都合である。私たちは姿を隠すように、獣道を慎重に進んでいった。
途中で見張りの兵士と何人か遭遇したが、即座に沈黙させてから偵察を続行した。
暫くすると、宿営地と思われる場所の近くまでやって来た。テントが張られ、篝火や焚き火の灯りで一帯が薄ぼんやりとオレンジ色に染まっている。
「メアリー班長、攻撃しますか?」
連れてきたイーグル隊の隊員が尋ねてくる。しかし私は首を振った。
「待ちなさい。もう少し様子を見るわ」
私は部下の一人に辺りの様子を見て来るように命じた。襲撃している最中に、別の隊に合流されたら厄介だからだ。
部下が戻ってくるまでの間、私は注意深く敵の様子を伺っていた。何名か負傷しているものの、ほとんどは無事のようで、馬の世話をしたり鎧や剣の手入れをしたりしている。数はこちらよりも多いが、奇襲をかければ倒せない数ではない。けれども――
「……変だわ」
私がそう呟いたのと同時に、偵察から部下が帰ってきた。
「報告します。辺りに敵兵の姿は見当たりませんでした」
「分かりました」
私は部下に合図して、宿営地を囲むように散開させた。そして配置についた所で、弓持ちであるイーグル隊の隊員に、先制攻撃を開始させた。
「敵襲! 敵襲!」
一斉に敵兵の動きが慌ただしくなる。どこからとも無く飛んで来る矢の雨に応戦しようにも、夜の闇が邪魔してできないようだった。敵兵の混乱に乗じ、さらに私は部下たちに合図を送ると、一斉に敵部隊へと斬りこんでいく。
しかし数はあちらのほうが上だ、私は押されそうになると、急いで部下たちに後退させた。そのまま夜陰に紛れるようにして木々の間に身を伏せ隠れる。敵兵の動きは夜の闇でもはっきりと確認できた。視覚からの情報ではなく聴覚からの情報が、正確に私たちへと状況を伝えてくれるからだ。
何故なら相手側の装備は重装兵が多く、動くたびに鎧が擦れる特徴的な音がする。しかし私たち第一班は基本的に軽装備であり、チェーンメイルの上に鋲付き革鎧を着こんでいるから、ほとんど音がしない。
深追いしてくる敵兵を確実に仕留めながら、押しては引いてを繰り返す内に、敵兵の数が目に見えて減っていくのが分かった。
「あぐっ」
後ろから敵兵に止めを刺した後、私は辺りを見回した。部下たちが順調に敵兵の数を減らしていっているのが分かる。宿営地は荒れ果て、焚き火も踏み荒らされてほとんど消えかけている。
剣に着いた血を振り払いながら、私はどうしても拭い切れない違和感に苛まれていた。
あちらこちらに倒れ伏す敵の死体、テントの残骸、ぶち撒けられた食べかけの鍋の中身、乱雑に積まれた木箱、異変に反応して落ち着かない馬――馬?
ゾワリと背筋に寒気が走る。後頭部がチリチリと痺れる感覚がした。
「違う! 本隊はこちら側じゃない! こっちは囮よ!」
私の言葉に近くにいた部下が駆け寄ってきた。
「メアリー班長、どういうことですか」
「敵の数に対して、馬の数が少なすぎるのよ。テントの数もそう、兵站の数も……なにもかもが少ない」
私はまだ生き残っていた敵兵を捕まえ、地面に押し倒して剣を突きつけた。衝撃で兵士の兜が外れて転がっていく。
「貴方達の本隊はどこにいる? 答えなさい」
しかし兵士は皮肉げに口角を上げるだけで答えない。私は躊躇わず兵士の左耳を削いだ。
「あぁああっ!」
暴れ狂う兵士に馬乗りになって押さえつけながら、再度問いかける。
「もう一度聞くわ。貴方達の本隊は、今どこにいるの?」
「クソが! 誰が言うか糞女がぁ!」
時間がないのに手間を取らせる兵士に私も苛立ちが募る。今度は右耳を削ぎ落とした。
兵士は絶叫して暴れるが、そんなことは知ったことではない。
「体のパーツを一つずつ奪われていくか、今すぐ吐くか、決めなさい」
強気に反抗していた兵士の瞳が、初めて恐怖の色に染まった。しかし、それでも吐く気は無いのか、青ざめながら歯を食いしばって耐えている。
「そう、なら吐くまで続けるまでよ」
「や、やめ……」
私は近くにいた部下に合図し、兵士のガントレットを外させた。青ざめていた兵士の顔は、今や雪のように白くなっている。それなのに、強情にも情報を吐こうとしない。
本当は何も知らないのではという疑念が頭をよぎるが、彼が着ている立派な鎧はそれなりの地位にいるのだと証明している。
そうして私が無言で彼の体のパーツを次々と奪い取っていくうちに、ついに兵士が泣き声とともに白状した。
「川だッ! 川から本隊が向かってる!」
「川? まさか……ミッテン川から?」
「そうだ! だからもう許してくれ! お願いだっ――」
私はようやく兵士の体を開放したが、彼は逃げ出すことすらままならない状況だった。このまま放置していれば、血を失って死ぬのは明白だった。
「彼の手当をしながら、聞き出せるだけ情報を聞き出しなさい。私は今すぐミッテン川に向かいます。トニー!」
呼ばれてトニーが慌てて私に駆け寄ってくる。しかし彼の顔色は敵兵と同じくらい血の気が失せていた。
「なんでしょうか、メアリー班長」
私が指示を出そうと口を開けた瞬間、背後で呻いていた敵兵が、地を這うような声で叫んだ。
「メアリー……貴様、あの血まみれメアリーか!」
溜息を吐きながら私は振り返った。部下に取り押さえられたまま、血だらけの敵兵士が怨念の篭った瞳で私を睨みつけている。
「ハハハッ! まんまと囮に釣られてここまで来たというわけか! 無様だな血まみれメアリー! 貴様たちは我々の仲間の手で、ゴミのように惨めな死を迎えるのだ!」
狂ったように笑う敵兵を部下が地面に押さえつけて黙らせる。私はうんざりした。
「私、その呼び方が嫌いなのよね」
肩をすくめてみせてから、またトニーの方を振り返った。
「トニー、ここからミッテン川まで、最短距離で行けるルートを知っている?」
地図を徹底的に頭に叩き込んでいたけれど、実際にこの山を駆け回っていたというトニーの方が、私の知らない道を知っている可能性が高い。
「最短距離かは断言できませんが、地図に載っている道よりも早いと思います」
「なら案内してちょうだい」
私は班の中で最も古参の隊員エドガーに指示を出し、ここに残って索敵と新たな敵部隊との遭遇に備えるように指示を出した。それからジェームズ隊長へと早急に、この事を知らせるために部下の一人に命じて本隊へと帰還させた。
「エドガー、恐らくこちら側からも敵部隊が侵攻してくるはずよ。発見次第、直ぐにジェームズ隊長へと使いを走らせなさい」
私は急いで馬に近寄った。山岳地帯を駆けるのに特化した、足が太くがっしりとした体型の馬だ。その馬に乗り上げ、この場に残る隊員と私に着いてミッテン川へと向かう隊員たちとに分け、馬の手綱を引いてその場から駆け出した。
暗闇の山中を、馬の荒い呼吸と蹄の音が響き渡る。ジェームズ隊長たちの率いる本隊の斜め後ろに位置するミッテン川は、水深は浅いが川幅が広い。その上ミッテン川の南はラーチェン王国の領土である。ラーチェン王国はゾルオーネ公国と我らバレーディア王国の争いには中立を保っているけれど、少しでもどちらかが彼らの領域を侵せば容赦なく迎撃してくるだろうことは想像に易い。だからこそ、ミッテン川からの侵攻は我々も断念せざるを得なかった。
けれども公国側はそれを選択した。太陽が昇る日中では、ミッテン川からの侵攻がラーチェン王国側からは丸見えとなるが、夜の闇に紛れて行軍すれば、発見される確率も低くなる。
忌々しいことに、ミッテン川を無事に渡りきられてしまうと、次にある丘陵地帯を越えればジェームズ隊長が率いる本隊の背後に出られてしまう。
そのうえ恐らく私たちが先程までいた北東側からも、敵の部隊が侵攻してくるはずだ。公国側に最も近いあの方角からも兵を侵攻させ、ミッテン川のある南東側からも襲撃する。完全に挟み撃ちにするつもりなのだろう。
どくりどくりと心臓が嫌な音を立てる。早く、一刻も早くミッテン川に向かわなければ。位置的に私たちの方が、味方本隊よりも早くたどり着けるはずだ。
「ジェームズ隊長……」
夜風を切り裂きながら、私たちはイヴィタル山を駆け抜けていった。




