02.メアリーの恋のライバル
故郷や家族から離れ、城にて生活をする兵士たちの楽しみは、そう多くはない。
その中でも最も兵士たちの士気に関わるもの、それは食事である。
「はぁ、この腸詰め肉とキャベツのスープ、美味しいわね。スパイスがほどよく効いていて、飽きのこない味だわ」
「……メアリー班長って、なんでそんなに元気なんですか。俺たちと同じ訓練メニューに、その前はさらに城壁沿い二十周走り込みしてるのに、その無駄に溢れる元気はどこから湧いてくるんですか」
私の斜め前でぐったりとした様子で、黒パンを咀嚼しているアンソニー――改め、トニーが問いかけてくる。彼の愛称を私が呼び始めると、いつの間にか隊内ではトニーという呼び名が定着し、今では皆が彼をアンソニーではなくトニーと呼ぶようになった。
ちなみに彼は私が力尽くで教育したお陰か、復帰した後に妙に私に懐いてくるようになった。だめよトニー、私にはジェームズ隊長という、心に決めた方がいるのよ、と言ったら、物凄く奇妙な顔をしていた。どんな顔かといえば、嫌そうでありながら哀れみも含みつつ、なおかつ「こいつ正気か?」という表情が含まれた、実に面白くも腹立たしい顔をしていた。
「なによ、あなた達。もっと美味しそうに食べなさいよ。せっかくの料理が不味くなるじゃないの」
「いやいや、料理は美味しいんですけどね、疲れ過ぎると味わうのが難しくなるっていうか、とにかくメアリー班長がおかしいんですよ」
トニーが言うと、新人隊員のみならず、古参の隊員までが同意するように頷いている。なんなのこの孤独感!
「あの程度で音を上げるのはよして頂戴。それにいざ戦場に立ったら、こうして美味しいものも食べられなくなるのだから、食べられるときに目一杯味わっておかなくては、勿体無いでしょ」
ぷりぷりしながら私がスープを口に運んでいると、隣りに座るダニーが新人たちに身を乗り出しながら話しかけた。
「おい、お前ら知ってるか? メアリー班長は、前に戦場で食事が不味い! とか言って、自分で獲物を狩って食ってたんだぞ?」
「えっ!」
ダニーが真顔で言うものだから、純真な新人たちが真に受けてしまっている。
「ちょっと! 誤解を招く言い方はやめなさい! あの時は、オルカ隊が奇襲を受けて、補給が絶たれてたからでしょう。それにあなた達も、私が狩った獲物を喜んで食べてたじゃないの」
「まぁ、ありがたかったのは事実ッスけど、ちょっと食材探してくるとか言って、森からイノシシ抱えて出てきた時は、オレちょっと自分の目を疑いましたね」
ダニーがしみじみと言うと、その当時一緒にいた他の隊員たちも、同じように首肯している。そして新人たちは、私を化物を見るような目で見つめてくる。失礼にも程があるわ。
「メアリー班長の、その異様なまでの生命力を見てると、たとえ世界が滅んでもメアリー班長だけは、しぶとく生き残る気がするッスよ」
「本当に失礼ねダニー。私はジェームズ隊長がいない世界では、一分たりとも生きることすらできないわ。えぇ、そうよ、息すら出来なくなってしまうでしょうよ!」
力説する私を隊員たちは、ふっと鼻で笑ってくる。どういうこと、私のジェームズ隊長への愛の深さを疑っているのかしら。
憤然としながらもスープを最後まで美味しく頂いたその時、後ろから聞き覚えのある嫌味な声が聞こえてきた。
「あぁら、貴女のような図太く無神経な人なら、そちらの副班長が仰るとおり、一人で野生のゴリラのごとく生き延びることでしょうね。わたくしやジェームズ隊長は、貴女のような繊細さの欠片もない人とは違うのですもの」
ほほほ、とわざとらしい笑い声をあげるのは、オルカ隊第一班副班長のセシリア・バーンズである。近距離攻撃特化型部隊のリオン隊とは違い、後方支援が主な任務なのがオルカ隊である。このセシリアは、兵士の健康管理や負傷兵の治療などを担当する第一班副班長であり、軍医でもある。
「だ、誰がゴリラですって!」
振り返ると、セシリアが取り巻きの隊員たちを従えて、これでもかと豊かな胸を反らして私を見下ろしている。くっ、下から見ると、余計に大きく見えるわ腹立たしい!
私が色んな意味で怒りに打ち震えていると、隣に座っていたダニーが嬉しそうに言った。
「セシリアさん、今から食事ッスか? 良かったら隣空いてるんで、どうッスか」
「ちょっと! あなた、私を裏切るつもり?」
ダニーを睨みつけると、肩をすくめてみせた。
「だって一緒に食べるなら、やっぱり美女と食べるほうが、食事も美味しくなるってもんでしょ」
「まあっ! 貴女の班の方は、貴女と違って見る目があるようですわね」
気付けばダニー以外の隊員たちも、皆がセシリアに見蕩れている。な、なによっ、ちょっと美人で胸が大きいからって、偉そうに!
「ふんっ。容姿なんて、いざ戦場に立てば何の役にも立たないのですよ。それにジェームズ隊長と並び立って戦うことができるのは、後方支援のオルカ隊副班長の貴女ではなく、リオン隊班長のこの、私なんですからね」
そうよ、戦争は顔でするものじゃないのよ。生き残るためには力がないと駄目なのよ。その点、私にはそれがあるし、何よりジェームズ隊長に一番近い場所に立っているもの。
私が自信を取り戻すと、今度はセシリアの顔が悲しげに歪んだ。
「ジェームズ隊長もお可哀想に。このような野蛮な人に慕われているなんて」
哀れっぽく額に手を当てて目を瞑るセシリアに、収まりかけていた怒りが再燃する。
「誰が野蛮ですか、誰が! 私は立派なレディです、淑女なのです!」
「嘘おっしゃい、淑女は平然と毎日城壁沿い二十周走りこみを平然とこなしませんし、前線で殿方と肩を並べて戦うこともいたしませんわ。えぇ、真の淑女とは、このわたくしのように慎ましやかに、でしゃばることなく、陰ながら皆様方のお力添えをするような者のことを指すのです。お分かりかしら?」
「わ、私はジェームズ隊長のお側にいてこそ、力を発揮するタイプなのです。それをジェームズ隊長も分かって下さっているからこそ、こうやって第一班の班長にも指名されたのですから」
胸を張って言い返すと、私の控えめな胸にちらりと視線を寄越してから、勝ち誇ったようにセシリアは言った。
「あぁ、ジェームズ隊長お労しや。この男性か女性かも分からないような、野蛮で品の無い人に毎日言い寄られるだなんて、本当に気の休まる暇もないでしょうね」
「だ、か、ら、女です! そ、そりゃあ、ちょっとは筋肉あるかも……ですけど! ジェームズ隊長の、あの鋼のようなお身体に比べたら、私なんてマシュマロみたいなものですから!」
力説している間に、私はジェームズ隊長のあの引き締まった、どこにも無駄がない肢体を思い出していた。
「そう、そうなんです。あの逞しい胸の筋肉や見事に割れた腹筋、身の丈ほどの長剣も容易く扱う強靭な腕と背筋! 腰からお尻にかけてのラインも素晴らしくて……あぁ、やだ、私ったら!」
「それで、いつそれを見たんだ?」
「え? それは勿論、訓練の合間に汗を拭われる時や、鎧をつけるときに着替えておられる時など――いたぁっ!」
脳天に衝撃が走った直後、目の前に火花が散った。あまりの痛さに思わず机に突っ伏してしまう。
「変態だ変態だとは思っていたが、まさかここまで変態だとは思ってなかったぞメアリー」
頭を抑えながら涙目で振り返ると、そこには汚物を見るような目で私を見下ろすジェームズ隊長が立っていた。
「痛いです、ジェームズ隊長……」
「背骨に蹴りを食らわせられなかっただけ、マシだと思え」
殺す気ですかジェームズ隊長。あぁ、でも貴方に殺されるなら本望ですジェームズ隊長――って、いや嘘です、冗談ですから、無言で拳を握りしめるのをやめてください。
「だから言わんこっちゃない」
ぼそりとダニーが呟くのが聞こえた。ジェームズ隊長が来ていたのを知っていたなら、教えてくれても良かったのに。
「おい、お前はオルカ隊の……」
「セシリアです。第一班副班長、セシリア・バーンズです、ジェームズ隊長」
「バーンズ、てめぇもくだらねぇこと言ってねぇで、とっとと飯食ってこい。それと一々こいつの相手すんじゃねぇ」
「は、はい、ジェームズ隊長。それでは失礼致します」
ビシっと敬礼を決めた後、セシリアは先ほどの傲慢さはどこへやら、しずしずと取り巻き達と共に去っていった。
「おいダニー」
「はい! なんでしょうか?」
突然話しかけられたダニーが、背筋を伸ばして立ち上がった。
「お前もコイツを野放しにするんじゃねぇ。他の隊員に迷惑だ。主に俺が迷惑だ」
「無茶言わないで下さいッス。俺がメアリー班長を抑えきれるわけないじゃないッスか」
なぜ二人共、人を野生動物かなにかのような言い方をしているのかしら。ま、まぁ、ジェームズ隊長に飼われるのなら、それも悪くはないかも……って、やだ、私ったらはしたない!
「キメェ顔してんじゃねぇ」
先程よりは威力は弱くなっていたけれど、それでも痛い拳を頭頂部に貰い、私は少し涙目になった。
「ジェームズ隊長の愛が痛いです」
「痛くしてんだから当たり前だろうが」
「愛は否定しないのですね!」
私が浮かれて聞くと、ジェームズ隊長がハッとした後、気まずそうな顔をした。やだ、可愛いかもしれない。
「うるせぇ。飯食ったんなら、とっとと部屋に戻れ。――お前らもだ。また走り込みしてぇのか」
そう言うとジェームズ隊長は、周りで静観していた他の隊員たちを睨みつけた。途端、隊員たちが慌てて食事を口に詰め込み始めた。
「とにかく食堂でバカ騒ぎは止めろ。ここは俺らだけの場所じゃないんだからな」
低く凄みのある声で言われれば、反論できる者などいるはずもなく――私は彼の美声に聞き惚れていただけだけど――一通り隊員たちを見回した後、ジェームズ隊長は食堂から出て行った。
完全にジェームズ隊長の姿が見えなくなってから、隊員たちがホッと息を吐く音が、あちらこちらから漏れ聞こえてきた。
「ジェームズ隊長、いったい何しに来たんスかね。隊長や副隊長は基本、隊長室で食事するのに」
ダニーが不思議そうに首を傾げる。言われてみれば、なぜかしら。でも彼の姿を見れただけで、私の心はふわふわと浮き立ってしまう。頭の天辺は少し痛むけど、これも彼の愛だもの、むしろ喜びさえ感じてしまう。
「メアリー班長だけですよね、あのジェームズ隊長と平然と話ができるのって。俺なんて、あの顔で睨みつけられただけで、竦み上がっちまいますもん」
トニーがわざとらしく肩をぶるりと震わせる。他の新人隊員たちも同意するように頷いている。
「わかる。妙な威圧感があるっつうか、やっぱ歴代最強と言われるだけの風格っつうか」
そこでふと、別の新人が怪訝そうに尋ねた。
「ジェームズ隊長って、確か貴族じゃなかったですよね? よく隊長になれましたね」
「そう言えば、騎士として叙勲してるのは聞いたことあるけど、それじゃあ、貴族としては数えられないよなぁ」
そこで新人たちが、一斉に私の方を見る。
「メアリー班長なら知ってるんでしょ? ジェームズ隊長が隊長になれた理由」
好奇心に溢れた顔で尋ねてくる新人たちに、私はピシャリと言ってのけた。
「理由が知りたければ、自分でジェームズ隊長にお尋ねなさい」
「そ、それはちょっと……」
言いよどむ新人たちだったが、それでも好奇心を抑えきれずに言い募ってくる。
「お願いします、メアリー班長! ちょっと教えてくれるだけでも――」
「ねぇ、あなた達。午後の訓練は強化訓練にしようと思うのだけど、どうかしら?」
にこりと笑みを浮かべて隊員たちを見回せば、皆呆気にとられた顔をしている。ほんとに鈍いのね。
「実戦形式の訓練も良いわね。鎧を着込んだ状態で、まずは走り込み。その後腕立てに腹筋、それから――」
「……すみませんでした、メアリー班長」
新人たちが青ざめて謝ってくる。古参の隊員たちは、苦笑を浮かべて見守っている。
「それじゃあ、私は一度部屋に戻るわ。あなた達も午後からの訓練に備えて、しっかりと食べておきなさい」
私が立ち上がると、同じように食べ終えていたダニーも席を立った。
二人してトレイを返却しに行くと、隣りにいるダニーが声を潜めて言ってきた。
「ちょっとビビらせすぎッスよ、メアリー班長」
「なんのことかしら?」
食堂の使用人に美味しかったと礼を言ってから食堂を出ると、私の後をダニーが追いかけてくる。
「白々しい。あれじゃあ脅しじゃないッスか」
「あれのどこが脅しだと言うのダニー。思い出してみなさいよ、ジェームズ隊長がまだ班長だったころ、私や貴方は今よりも過酷な訓練を受けてきたでしょう?」
下手をすると命を落としかねないような訓練も多々あった。だけどそのお陰か、リオン隊は他国にまで名を知られる程の、最強部隊と言われるまでになったのだから。
「ここ数年、公国側とは大規模な戦闘が起こっていなから、あの子たちも危機感が薄いのでしょうけど、本来ならばもっと訓練内容を厳しくしても良いくらいなのよ」
「いや、ごもっともなんスけど、話し逸らさないで下さいよ。ジェームズ隊長が絡むと、メアリー班長ちょっと冷静さなくしますよね」
結構な速さで歩いていたせいか、あっという間に私とダニーの部屋に着いてしまった。基本、班長と副班長は同室なのだ。
「私ほど常に冷静沈着な人間はいないというのに、貴方は何を馬鹿げたことを――」
ダニーが何かを言う前に扉を開いた私は、視界に入った光景に一瞬言葉をなくした。
「ちょっとメアリー班長の言っている意味が分かんないというか、本当にアンタは妄想癖が……って、どうしたんですか?」
私が扉の前で固まっているのを不審に思ったダニが―、私の後ろから部屋を覗き込んだ瞬間、「うわっ」と小さく声を上げた。
そう、なぜか私のベッドの上に、大輪の薔薇の花束が鎮座していたのだ。
「うわぁ、部屋中に薔薇の匂いが充満してる……おえっ」
ダニーが急いで窓を開け放った。私はベッドの上に置かれている花束を手に取ると、そこに差し込まれていたカードを抜き取った。
「ダニー、捨ててちょうだい」
「え、見なくていいんッスか?」
「どうせ、いつもと内容は変わらないわよ」
歯の浮くような台詞の数々が書かれているだけのカードなのだから。
「えーっと、なになに。”親愛なるメアリーへ。先日我が邸で咲いた薔薇を見た私は、その可憐であり美麗な姿を貴女に重ね合わせてしまい、是非この薔薇を貴女に見ていただきたいと、急いで贈った次第です。美しくも芳しいこの薔薇は、貴女のような人の側にあってこそ、輝くものだと信じています。もしこの薔薇が、生き生きと庭園で咲き誇る様を見たいと仰るのなら、私はいつでも貴女を迎え入れる準備ができていることを心に留めておいてくだされば幸いです。貴女の愛の下僕、ローレンス”……これって、暗にオレの所に嫁に来ても良いよって、ことッスよね?」
ダニーがひらひらとカードを振った。
「ちょっと! なに勝手に読んでいるのよ! 早く捨てなさい!」
「捨てるくらいなら、別に読んでも良いじゃないッスか。それにしても、毎度毎度、凄まじい言葉の数々ッスよねぇ。だってメアリー班長と薔薇を重ね合わせるって、ちょっと脳の病気を疑ったほうが――いてぇ!」
「早く、捨てなさい、ダニー」
低く節を付けて命令すると、私に脹脛を蹴られたダニーが、呻きながら頷いた。
「それよりダニー、この薔薇って食べられるのかしら」
私が問いかけると、カードを屑籠に放り投げたダニーが、怪訝そうな顔をした。
「なに言ってんスかメアリー班長」
「貴方に聞いても仕方ないわよね。そうねぇ、ヴェロニカさんか、テスおばさん辺りに聞いたほうが良いわね」
一人で納得していると、ダニーはぶつぶつと文句を言っていた。
目に痛いほどの赤く咲き誇る薔薇を見遣りながら、私はこの花束の送り主を思うと、些か憂鬱な気持ちになってしまった。
ちなみに、午後の訓練は、しっかりと強化訓練メニューに差し替えられた。
「メアリー班長、これ何ですか?」
「あぁ、それは薔薇のジャムよ」
「へぇー、俺は初めて見ました」
「紅茶に入れたりすると、香りも味も楽しめて良いのよ。さぁ、良かったら貴方達もお食べなさい」
「え! 良いんですか? でも高そうなんですけど……」
「良いのよ、まだたっぷりあるのだから。遠慮せずにいただきなさい」
「それじゃ……おぉ、いい匂いがする」
「あぁ、懐かしいなこれ。俺の母親、よく薔薇のジャムを紅茶に入れて飲んでたなぁ」
「そう言えばトニー、お前子爵家の三男坊だったな。なんだよ、このお坊ちゃんめ!」
「いたっ! ちょ、やめろ、バカ」
「……食事は明るく、マナーよく」
「……はい、すみません、メアリー班長」
「ふふふ、わかれば良いのよ、わかれば」