19.メアリー煽られる
イヴィタル山に着いたのは、既に太陽が頭上高くに位置する時間帯だった。
国境を守る警備隊と中隊をまとめる指揮官が、私たちを出迎えた。
「先程までこちら側の中腹辺りまで公国兵が降りてきていたのですが、何とか押し返したところです」
疲れた顔で指揮官が言う。あたりを見回せば、テントに入りきらなかった負傷兵が、地面のあちこちに座り込んだり臥せっていた。
「想像してたより酷いッスね」
ダニーが声を潜めて私だけに聞こえるように言った。私は答えず頷くだけに留めた。
この付近に展開している兵の数は決して少なくない。それがこの有り様なのだ、明らかにいつもの公国のやり方とは違っている。
指揮官がジェームズ隊長へと指揮権を移譲すると、ジェームズ隊長は直ぐ様、各班へと指示を出し始めた。基本的にリオン隊が戦場に立つ場合、指揮権は全て隊長であるジェームズ隊長が受け持つことになる。
そして、各々慣れた動きで作業に着手していく。イーグル隊は遠距離攻撃特化型部隊だから、近距離攻撃特化型部隊のリオン隊と連携するのが常である。後方支援部隊のオルカ隊は、新たな宿営地の設置や兵站の準備、そして負傷兵の治療を直ちに開始した。
作戦本部となっているテントへと入って行くと、ジェームズ隊長と目があった。一瞬どきりとしてしまったけれど、直ぐに私は気を取り直した。
「第一班班長メアリー・ジェイ、参りました」
敬礼をして待機すると、ジェームズ隊長が視線で近づくように促した。
「早速だが、お前の班には敵情把握の任を命じる。イーグル隊第一班からも一組に付き最低二人以上は連れて行け」
「はい。了解しました」
「それから作戦開始は日が落ちてからだ。敵の宿営地を見つけたら場所を知らせろ。叩けるようなら叩け。ただし深追いはするな」
ジェームズ隊長はそこで一旦視線を落とすと、再び私を見つめた。
「メアリー」
なにか物言いたげな瞳でジェームズ隊長が私を見る。けれども彼はふっと肩の力を抜くと、ゆるく首を振った。
「いや、なんでもない。以上だ、行け」
珍しくはっきりとしない態度に戸惑いを覚えたものの、状況が状況だけにそれ以上尋ねること無く私はテントを後にした。
私の班の隊員たちが待機する場所へと戻ると、彼らにこれからの任務を説明する。
「夜襲を掛けるのは、こちらにとっても不利になりませんか?」
トニーを始めとする新人たちが不安げな様子で聞き返してきた。
「そうね、夜の闇に紛れての行動は、敵味方の区別が付きにくい危険な任務になるはずよ。しかしだからこそ、こちら側が先手を打てるチャンスでもあるの」
ダニーに視線で合図すると、彼が後を引き継いだ。
「味方を誤って攻撃しないように目印を身に付ける。それから灯りは点けるな。初めのうちは目が慣れないだろうが、直ぐに見えるようになる。落ち着いて迅速に行動しろ」
「目印に、オルカ隊から包帯を用意してもらえるように要請しておいたわ。各自包帯が届き次第、左腕に巻いておくように」
それから半刻も経たないうちに、オルカ隊から包帯が届いた。しかし届けに来た人物の中に会いたくない人物が混じっていた。
「あら、今日は一段と勇ましいのねメアリー・ジェイ。一瞬男性かと見間違えてしまいましたわ」
こんな時にまで嫌味を言ってくるのは、例によってオルカ隊第一班副班長のセシリアだった。
「ご苦労様ですセシリア副班長。わざわざ自ら届けに来て下さったのですね」
慇懃無礼に言い返すと、セシリアは大袈裟に首を振って肩をすくめた。
「えぇ、本当に大変でしたわ。負傷者が多いのに、貴重な包帯を寄越せと言われて困りましたもの。ですが仕方ありませんわ、リオン隊やイーグル隊が全力で戦えるように支援するのが、オルカ隊の役目ですもの。これぐらい、なんてことはありませんわ」
前半と後半で言っていることがまるで違うことに、彼女は気付いているのだろうか。だけどここで反論すると、喜々として突っかかってくるのがセシリア・バーンズという女性である。
「本当にお手を煩わせて申し訳ありませんでした。これで万全を期して戦うことができます。ありがとうございました、それではどうぞご自分の持ち場へとお戻り下さい、セシリア副班長」
さっさと彼女を追い出したくてそう言うと、セシリアは癇に障ったのか、私をジッと険しい顔で見つめた後、にこりと笑顔を見せた。
「メアリー班長、少々お話したいことがあるのですけど、今よろしいかしら?」
よろしくないと言いかけた時、ダニーが私たちの会話に割り込んできた。
「日が落ちるまでまだ時間があるッスから、どうぞ行ってきて下さい」
セシリアに向かって愛想よく微笑むダニーを私は思い切り睨みつけた。
「まぁ、本当にダニエル副班長は気の利く方ね。さぁ、行きましょうメアリー班長」
半ば無理やり手を引っ張られながら、私はテントを出る羽目になった。本当にダニーは何を考えているのかしら!
そうしてセシリアに、テントから少し離れた場所まで連れて来られた。物資が詰まっている木箱が積み上げられたその場所へ、押しこむようにして立たされた。
「あの、私になんのお話しがあるのでしょう? できれば手短にお願いします」
少し苛立った私が素っ気なく言うと、セシリアはすっと目を細めた。
「貴女、一体どうなさったの? ジェームズ隊長となにかございましたの?」
どきりとしてセシリアを見つめ返すと、彼女は探るように私を見返してきた。
「何を仰っているのか、よくわかりません」
「とぼけないでくださるかしら。貴女、城からここまで、まったくいつもの調子ではないでしょう」
腕を組んで私を睨みつけるセシリアに、私は狼狽える。
「私はいつもの調子ですけれど、なにか勘違いしているのでは?」
言い返すとセシリアが少し声を荒げた。
「嘘おっしゃい! 貴女ときたら、どんな戦場であろうと、どんな場合であろうと、鬱陶しいくらいにジェームズ隊長へ恥も外聞もなく、愛しているだの何だのと喚いているくせに、今日はわたくし一度もそれを目にしていませんわ」
セシリアの言葉に私はますます視線が彷徨ってしまう。それが余計に彼女の怒りを煽ったようで、私に一歩近づくと声を低くして言った。
「なにかありましたのね?」
私の顔を覗きこむように尋ねるセシリアの青い瞳が、怒りを湛えている。どうして彼女がそこまで怒り狂っているのか、私は理解できなかった。
「貴女には関係ないわ、セシリア」
ついつい呼び捨てにしてしまうと、セシリアがきつく眉根を寄せた。
「貴女になにが起ころうと、わたくしには関係ありませんわ。けれども、迷いがあって戦場へと赴くのはお止めなさい。貴女が全力を出せずに亡くなって、わたくしがジェームズ隊長とめでたく結ばれることになったとしても、ちっとも嬉しくありませんもの」
思わず笑ってしまう。彼女はいつもそうだった。傲慢なまでに自信を持つ彼女の姿勢は、じつはそんなに嫌いではない。
「なにが言いたいのセシリア」
彼女の大きな釣り上がり気味の瞳を、真っ直ぐ見返して問いかけた。
「認めるのは不本意ですけれど、貴女はわたくしの唯一の好敵手なのよ。だから変な迷いを抱いたまま、死ぬのは許しませんわ。死ぬのならいつもの様に、馬鹿みたいに何事も全力の貴女のままで死になさいメアリー」
「不吉なことを言わないでちょうだい。私はまだ死ぬつもりなんてないのよ?」
呆れて言うと、セシリアの口角が上がった。私から一歩退くと、腰に手を当てて高飛車に言い放つ。
「だったら辛気臭い顔はお止めなさいな。貴女の副班長や、古参の隊員達はとっくに貴女の様子に気付いているはずよ」
私が驚くと、彼女は当たり前だと言わんばかりに胸を反らした。
「このわたくしを誰だと思っているのかしら。オルカ隊第一班副班長にして、バレーディア王国で最も優秀な腕を持つ軍医なのよ、メアリー・ジェイ。兵士の異変にいち早く気づくのは当然のことですわ」
本当に腹立たしいほどに自信家のセシリアに、私は呆れと少しの羨望を感じる。そして意趣返しに言い返してやった。
「貴女が最も優秀な軍医だと自分で言っていたと、貴女の班長であるリーザさんに言っておくわね」
「なっ、卑怯ですわよメアリー・ジェイ!」
彼女の弱点でもあるリーザ班長の名を出せば、途端にセシリアが慌て始めた。そんな彼女をひとしきり面白がった後、私は顔を引き締めて言った。
「ありがとう、セシリア」
「急に礼を言うなんて不気味ですこと」
つん、と私から顔を背けて顎を突き出すセシリアは、本当に素直じゃないと思う。けれども私は彼女のお陰で、情けない思いに囚われていた自分を振り返ることが出来た。
「それじゃ、私は行くわ。貴女も頑張って」
私が背を向けて立ち去ろうとした時、セシリアが私の名前を呼んだ。
「メアリー・ジェイ」
振り返ると、先程までの傲慢な様子はなりを潜めており、代わりに射抜くように私を見つめていた。
「――勝ちなさい」
それだけを言うと、セシリアはさっさとその場を立ち去ってしまった。
「死ぬな、ではなくて勝ちなさい……か」
なんともセシリアらしい言葉だと思った。戦争は一人でするものではないと、充分理解している上での発言だろう。
私はパシンと自分の両頬を叩いて気合を入れた。
「行くわよメアリー」
そして勢いをつけて、私は一歩を踏み出したのだった。




