17.メアリー誘われる
司令官室のある中央塔へと向かう間、チャールズ副隊長とダニーが現在の状況を報告していた。
「思ったよりも早く挑発に乗ってくれたようだが、あまりにもタイミングが良すぎる気もする」
チャールズ副隊長が険しい口調で言う。
「だが動いてくれたほうが、こっちも何かと行動を起こしやすい」
ジェームズ隊長が考えこむように言った。そして私たちが会議室にたどり着くと、既に室内には数人の先客がいた。
「リオン隊隊長ジェームズ・ホーカー、ただいま参りました」
「楽にしろ」
副司令官であるヴォルフ・ゲヘナーが私たちを見て言った。途中、視線が私を捉えた瞬間、明らかにぎょっとした顔をしていたのは気のせいだと思いたい。会議室にいる皆が隊服に身を包む中、私だけがドレス姿で非常に浮いた存在になっているけれど、着替える暇もなく連れて来られたので仕方ない。というわけで、あからさまに視線を逸らさないで下さい副司令官。
「エンツィオ、報告しろ」
副司令官が何事もなかったように促すと、先に来ていたオルカ隊第三班班長であるエンツィオ・ヴァレンティーノが居住まいを正して報告を始めた。
「我が王国と公国の国境にあるイヴィタル山にて、公国の大隊が国境を越えて侵攻しているとの情報が入りました。また、公国にいる部下の報告によれば、さらなる兵を投入するべく準備を整えているようです」
「ようやく動き出したといったところか」
副司令官が机上に広げられている地図を見下ろして言った。イヴィタル山の横には公国側と王国側を横切るように大きな川が流れており、どちらか側が相手国に侵攻しようとした時、必然的に山を越えるルートを選択せざるを得なくなる。
「ホーカー、出撃にどれくらいの時間がかかる」
副司令官が尋ねると、ジェームズ隊長は即答した。
「二時間もあれば出撃可能です」
「イーグル隊も右に同じです」
イーグル隊隊長のスタントンが頷く。その隣に立つオルカ隊隊長のシモンズも同意を示した。
「分かった。だが全部隊ではなく、三分の二に分ける」
「なぜですか。叩くなら今がチャンスです副司令官」
イーグル隊のスタントン隊長が抗議した。
「既に幾つかの中隊を派遣している。これ以上派兵すれば王都の守りが手薄になる」
副司令官が唸るように言った。しかしどの隊の隊長も、その意見に納得している様子はなかった。だが上の命令は絶対、これは軍人にとって覆しようのない事実でもある。
その後、ジェームズ隊長を始めとして各隊の隊長と副司令官との間で、派兵する数についての押し問答に近い遣り取りがあったが、結局副司令官の下した命令通りの兵数での出撃となったのだった。
会議室を出た後、各自それぞれの準備のために動き出そうとしていた中、陽気な調子で私を呼び止める者がいた。
「やぁ! 今日は随分と美しいじゃないか、メアリーちゃん!」
彼に呼び止められるのが嫌で、真っ先に部屋を退室したにもかかわらず、声を掛けられてしまった私は、隣に立つダニーをチラリと見遣ってから振り返った。ダニーも厄介な相手に捕まったという顔をしている。
「ご機嫌よう、ヴァレンティーノ班長」
形式的な挨拶を交わす私とは違い、ヴァレンティーノ班長はにこにこと、夏の太陽のような明るい笑顔で私に近づいて来た。先程副司令官に真剣な表情で報告していた時とはまるで雰囲気が違うけれど、普段の彼は底抜けに明るく調子のいい人なのだ。
「硬っ苦しい挨拶はよしてくれ。それに名前で呼んでくれと、いつも言ってるじゃないかメアリーちゃん」
「そう申されましても、ヴァレンティーノ班長は私よりも遥かに先輩ですので」
同じ班長という地位にいるけれど、彼は私よりも軍に所属している期間が遥かに長く、本来ならば隊長格にもなれるはずなのに、どういうわけか彼は現場で働くのが好きだと言って、昇進を断り続けている変人でもある。
南方の国出身の両親を持つというヴァレンティーノ班長は、浅黒い肌に黒髪と黒っぽい目を持つ伊達男である。各隊の隊長よりも年齢が上で、どちらかと言うと副司令官や司令官に近い年齢のはずだった。なのに引き締まった体と陽気な態度のせいか、実年齢よりも遥かに若く見える不思議な雰囲気の人でもある。
「おいおい、それは暗に俺が年寄りだって言いたいのか? そりゃあ、ぴちぴちぷりぷりのメアリーちゃんに比べれば、俺はオジサンかもしれないけどさ、まだまだ若い奴には負けない自信があるんだぜ?」
一体なんの自信なのだろうか、聞き返したくもあったけれど、この人に一つの事を問いかけると、だいたい十以上の答えが返ってくるので、私は黙ることにした。
「それよりさ、メアリーちゃんあの話し考えてくれた?」
「あの話しとは?」
分からないふりをして聞き返すと、ヴァレンティーノ班長は綺麗に整えた口ひげを撫でながら笑った。
「とぼけるなよぉ! いい加減さ、うちの班に来てくれても良いんじゃないの? メアリーちゃんの手腕は、誰よりも俺が買ってるんだからさぁ」
またこの話しかと、うんざりしそうになるのを抑え、私は慇懃に微笑み返した。
「何度も申し上げておりますが、私は前線で戦うことを心に誓って軍に入りました。ですから後方支援のオルカ隊に行くことはできません」
本当は、ジェームズ隊長の側で戦い続けるためと言いたかったのに、どうしてか今の私はその言葉を軽々しく言えなくなっていた。自分で思っている以上に、ジェームズ隊長と謎の美女の姿にショックを受けているようだった。
「それは分かってるけどさぁ、第三班は諜報任務もあるから、やっぱり腕の立つ隊員がいると助かるんだよねぇ。その点さ、メアリーちゃんはピッタリなわけよ! 今日は見違えちゃってるけどさ、普段のメアリーちゃんなら黙ってたら目立たないし、近接特化の第一班班長だから何かあっても安心だし、これ以上ないってくらいに俺の班に適任だと思うんだよねぇ」
私のことを評価してくれているのだろうけれど、素直に喜べないのは何故だろう。無性にヴァレンティーノ班長の口ひげを毟り取りたくなった。
「とにかく、そのお話しはお受けできません。それでは失礼します」
ヴァレンティーノ班長が口を開く前に、私はその場を後にした。ダニーが彼に何か詫びているようだったけれど、そんな必要なんてないのに。どうせまた時間を置いたら同じことを私に言ってくるはずだから。
そうして自室についた私は、早速着替えることにした。一応着替えるときのために、衝立が置いてあるのだけど、今は一刻も早く着替えたかったのと、ドレスを一人で脱ぐのが大変なのでダニーを無理やり引き止めて脱ぐ手伝いをさせた。
「ちょっと勘弁して下さいよメアリー班長! これがバレたら、オレジェームズ隊長にマジで殺されちまうッスよ!」
「グズグズしてないで、早くコルセットの紐を緩めてちょうだい。あと目を開けたら蹴るわよ」
「見ないでどうやって紐緩めるんスか! もう嫌だ、こんな班長……」
泣き言を言うダニーを叱りつけつつ、私は窮屈なドレスからいつもの隊服へと着替え終えると、そのまま出撃の準備をしているはずの、第一班の隊員たちがいる武器庫まで急いだのだった。




