16.メアリーの嫉妬
「貴方様は確か、リオン隊の隊長でいらっしゃるのですよね?」
胸元が大きく開いたドレスに身を包んだ夫人が、うっとりとした様子でジェームズ隊長に尋ねる。
「えぇ、そうですマダム。無骨な軍人ゆえ、お見苦しいものをお見せしたのでしたら、心より謝罪いたします」
そう言って夫人の手を取り指先に口付けると、夫人は一瞬にして頬をバラ色に染め上げた。手袋越しとはいえ、ジェームズ隊長にそんな扱いをして貰える女性が羨ましくて……妬ましかった。
「そんなことありませんわ! 見事なダンスでしたもの」
扇で顔を隠しつつ、目元に笑みを浮かべる夫人は、ジェームズ隊長に夢中といった風だった。
「失礼ですが、お名前をお聞きしても? わたくしはポーラ・グッドウィンと申します。グッドウィン伯爵の妻ですの」
「ジェームズ・ホーカーです。バレーディア王国軍、リオン隊隊長を勤めております」
完璧な所作で礼をすると、周りにいた女性陣からほうっと溜息が聞こえてきた。面白くない。まったくもって面白くない!
「ホーカー様、わたくしはハンナ・グラントと申します。グラント子爵の娘ですわ」
またもや別の女性がジェームズ隊長へと近づき挨拶する。これに対して、再びジェームズ隊長が紳士の礼と共に指先に口付ける。案の定、ハンナ嬢の頬が熟れた林檎のように赤くなった。
「ホーカー様、わたくし色々と心配でして……。なにせわたくしの父の領地は国境に近いものでして、公国側の侵攻を受けないかと、夜も眠れませんのよ」
眠れない割には舞踏会に参加する余裕が有るらしいハンナ嬢が、ジェームズ隊長に不安そうに訴える。すると他の令嬢たちも、口々に私も不安だ心配だのとジェームズ隊長へ訴え始めた。
「ご心配なさらなくても、私たち軍人は命をかけて国民を守ります。花のごとく可憐な貴女方の笑顔を曇らせるような真似は、決していたしません」
ジェームズ隊長の言葉に女性たちがうっとりと耳を傾けている。それよりも、ジェームズ隊長ったら一体どうしたの? リップサービスとは言え、どこでそんな歯の浮くような台詞を覚えてきたのかしら。これではまるでアルバーン様みたいじゃないの。
私がムカムカとする鳩尾辺りを擦っていると、ジェームズ隊長はその精悍な顔に憂いを浮かべた。
「ですが、少し困ったことがありまして……」
「まぁ、それは何ですの?」
グッドウィン伯爵夫人が尋ねる。
「皆様も御存知の通り、軍とは色々と入り用になるものでして。しかしながら、近頃我々をよく思わない方々もいらっしゃるようで……これでは最強と名高いリオン隊も、本来の実力が発揮できなくなる恐れがあるのです」
ざわりと辺りがざわめく。ジェームズ隊長はいやに芝居がかった調子で言った。
「御存知の通り、私は腕に覚えはありますが、皆様のような高貴な生まれではありません。それが理由かは、はっきりとはしないのですが――」
そこでジェームズ隊長は一人の女性の手を取り口付けた。
「ですが皆様のお力添えがあれば、この難局も乗りきれると確信しております」
とびきりの笑顔でそう言うと、女性たちは一斉にジェームズ隊長に見惚れた。そして皆が口々に言い始める。
「ホーカー隊長様、そのことはわたくし、きちんと夫に申し上げておきますわね。貴方様のような素晴らしい紳士を困らせるようなこと、断じて許されませんもの」
「わたくしもです! 父は書記官長様と親しいのですが、わたくしからも父にリオン隊の方々がお困りにならないよう、しっかりとお願いしておきますわ」
次々と援助を約束し始める女性陣に、私は軍上層部の目論見が成功しているのを感じた。
普段は不機嫌そうに顰め面をしているけれど、こうして柔和に微笑みつつ貴族のような立ち居振る舞いをしていれば、本当に誰もが見惚れるほどの美丈夫なのだから。
おまけに、そこら辺の貴族の軟弱な子息とは違い、彼には隠し切れない男としての逞しさや荒々しさが滲み出ている。
普段優美な振る舞いをする貴族の紳士ばかりを見てきた彼女たちからすれば、それはそれは魅力的な男性に思えるだろう。
そんなジェームズ隊長に群がる女性たちを見る今の私の顔は、きっと酷く醜い顔をしているだろう。ムカムカ、イライラ――とにかく負の感情で全身が満たされている。
ジェームズ隊長は女性たちに「それでは失礼します」と、胸に手を当て優雅に腰を折ると、視線で私に付いて来いと促してきた。
ジェームズ隊長の後に付いて行くと、広間の端で女性たちに囲まれているアルバーン様に近寄っていく。アルバーン様はジェームズ隊長とは違う種類の美形だ。女性が惹かれるのも無理からぬことだろうと、私は他人事のように感じていた。
「メアリー」
アルバーン様が自分を囲っていた女性たちの輪から抜けだして、一直線に私の元へとやって来た。そのせいで、何人かのご令嬢が私を憎しみの篭った目で見つめてきた。アルバーン様も優男らしく、もっとスマートに彼女たちをあしらえば良いのにと、内心八つ当たりをしてしまう。
私がぎこちなく笑みを浮かべつつ、アルバーン様の元へと近寄ろうとした時、目の前にジェームズ隊長が立ちはだかった。
「ジェームズ隊長?」
ジェームズ隊長とアルバーン様が向かい合う形で立っている。こうして二人が並ぶと、なかなかに荘厳な光景である。ジェームズ隊長は精悍で男らしく、アルバーン様は美しく優雅。では私は?
「それで、書記官長補佐殿の認識は改まったのかな?」
顎を上げて傲慢に言い放つジェームズ隊長に、アルバーン様は嫌悪感たっぷりの表情を浮かべた。美しい顔の人がそんな表情をすると、美しさに凄みがかかるのね。初めて知ったわ。
「よく理解してもらえたようで結構。おい、メアリー行くぞ」
言うだけ言ってすっきりしたのか、ジェームズ隊長がその場から去ろうとする。だけど私は慌てて言った。
「申し訳ありませんが、私は父の代わりに来ているので……」
そう言ってアルバーン様の方を見ると、ジェームズ隊長が苛立たしげに私の方を振り返った。
「そんなことは分かってる。そうじゃねぇ。お前の休暇は今終わった。直ぐに自室に戻って着替えてこい」
僅かに緊張感を孕んだ声音に、私は瞬時に事態を理解した。しかしアルバーン様はそうではなかったようで、私の腕を取って引き止めた。
「ホーカー隊長、いくら貴方でも、彼女をそのように扱う権利は――」
「ジェームズ隊長」
アルバーン様が言い終える前に、ジェームズ隊長の副官であるチャールズ副隊長が、私たちの所に現れた。副隊長の横には、私の副官であるダニーもいる。
「メアリー班長、行くッスよ」
ここに来て、ようやくアルバーン様も異様な事態を察知したようで、ジェームズ隊長たちを見回した後、私の方へと視線を向けた。
「――公国側に、何か動きがあったのですね?」
幸い、声を潜めてくれたお陰で、回りにいる人たちには気付かれなかった。私は無言で頷き返すと、アルバーン様は一瞬苦しそうな顔を見せたあと、真剣な様子で私に言った。
「ジェイ侯爵には私から言っておきます。今宵は貴女と貴重なひとときを過ごすことができたことが、何よりの幸福でした。どうか、ご無事で」
恭しく私の手を取り口付けるアルバーン様に、私はなんと声をかければ良いのか迷っていると、ジェームズ隊長の厳しい声が飛んできた。
「メアリー、早くしろ」
結局私は気の利いた言葉の一つも掛けることが出来ず、せめてもと精一杯の礼を込めたお辞儀をして、その場をジェームズ隊長たちと共に後にしたのだった。