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12.メアリーのいたずら




 私にとっては急な話しだったにも関わらず、邸の者達にはそうではなかったようで、私はまたもや鏡の前で椅子に縛り付けられた捕虜のごとく、身動ぎも出来ずに耐え忍ぶしかなかった。

 メイドたちはいつも以上に気合いが入っており、頭の先から足先に至るまで、徹底的に私を着飾らせることに没頭している。

「お嬢様の髪色にとってもよく似合っておりますわ」

 そう言って嬉しそうに私を見るメイドたちが着せたドレスは、淡い水色の落ち着いた印象のドレス。華美でもなく地味でもなく、上品な作りのそれは確かに美しいのだけれど。

「そうかしら。なんだかドレスに着られているという感じがするわ」

 鏡に写る私は不満気な顔をしている。私の女性にしては少々立派な筋肉を隠すために、胸元以外は極力露出しないようになっているデザインのドレスは、余計に私を複雑な気持ちにさせた。

「そんなことはありませんわ。ほら、昨日アルバーン様から頂いたネックレスも、ドレスにとても合いますわ」

 メイドたちの涙ぐましい努力によって作り上げられた私の胸の谷間に光るのは、昨日アルバーン様から頂いたサファイアのあしらわれた華奢なネックレス。

「お嬢様、アルバーン様がいらっしゃいました」

 扉の向こうから執事が呼びかけてきた。メイドたちは私を急き立てるようにして扉へと向かわせた。

 億劫で憂鬱な気持ちになりながら、私は階下へと降りていく。玄関ホールにたどり着くと、上品なテールコートに身を包んだアルバーン様が待ち構えていた。彼は私を目に止めると、美しい顔を綻ばせながら挨拶をしてきた。

「ご機嫌ようメアリー。今日の貴女は花の妖精のように可憐で美しい。妖精の王に見初められて浚われてしまわないうちに、どうか私の手をお取り下さい」

 あぁ、昨日申し訳なかったと感じていた気持ちが、一気に萎えていくのを感じる。どうして彼は普通に言葉が話せないのだろうか。げんなりする気持ちを叱咤しつつ、それでも言わなければならない事を言った。

「ご機嫌よう、アルバーン様。昨日は大変申し訳ございませんでした」

 差し出されたアルバーン様の手に自分の手を重ねながら謝ると、彼は手袋をはめた私の指先にいつもの様に口付けると(私はいつもの様に鳥肌を立てると)、誰もが見惚れるような笑みを見せたのだった。

「元気になられたようで安心いたしました。貴女の体調がすぐれないのに、気付かなかった私をお許し下さい」

「そんな、アルバーン様は何も悪くありません。それどころか、せっかくのお誘いでしたのに私のせいで……」

 彼と出かけることは不本意だったけれど、それでも約束してしまったことを途中で投げ出してしまったのは私の責任である。これに関してはアルバーン様には本当に申し訳ないと思っている。

「謝らないで下さいメアリー。貴女に憂い顔は似合いませんよ、いつもの太陽の女神のような笑顔を見せて下さい」

 頬が引き攣るのを必死で抑えつつ、私はなんとか笑みを見せた。アルバーン様はそれを見るとにっこりと、それはそれは麗しい笑顔を見せた。私より彼のほうが太陽の女神に相応しい笑顔のように思う。いえ、男性なのだけれど。

「今日は昨日の分まで、貴女と過ごす時間を楽しみにしていたのですよ。さぁ、城へ参りましょう」

 アルバーン様にエスコートされて馬車に乗り込み、私たちが向かったのは舞踏会が開かれる王城。

 私の邸から王城へは少し時間がかかるものの、馬車の中ではアルバーン様が前日のように私にそれとなく話題を振ってくれたお陰か、私は昨日見たカフェの光景を思い出さずに住んだ。

 けれどそんな時間も長くは続かず、私たちは王城へと辿り着いてしまった。

 いつも見慣れたはずの城は今日はなぜか、夜の闇の中でもきらきらと煌めいて見える。人々の笑い声やさざめく声が、私の印象をそう変えているのだろう。

 城の入り口へと続く階段では、招待客のチェックをする衛兵たちがいる。そこに慣れ親しんだ姿を見つけて、私は思わず微笑みながら近付いた。

「こんばんは、衛兵さん」

「こんばんは、ようこそお出でいただきました――えぇ、と……」

 戸惑う衛兵に私はにこりと微笑みながら、招待状を彼に渡した。

「失礼します、メアリー・ジェイ侯爵令嬢……ん? メアリー?」

 招待状と私の顔を何度も往復するのは、いつも門番をしているカーチスさんだ。

「え? お、おま、えぇ!?」

「しーっ! あまり騒がないで下さいカーチスさん。今日はちょっと事情があって、父の代わりに来ているんです」

 人差し指を立てて口元に当てて言うと、カーチスさんが驚愕の顔のままで私に頷いた。

「そ、そう言えば、お前はあのジェイ侯爵の娘だもんな。いや、普段あれだからすっかり忘れてた」

 それは一体どういう意味なのかと問い質したかったけれど、次から次へと招待客が押し寄せてくる状況で、あまり長居するのも失礼だと思い、私とアルバーン様は城内へと入っていった。

 玄関ホールは招待客や使用人でごった返しており、私は特有の熱気を久々に感じていた。軍に入るまでは私もこちら側の人間だった。では今はどうだろう?

 そんな事を考えながらも、視線は無意識にホールの隅から隅までを舐めるように動いていく。衛兵隊だけでなく、私や他の隊からも応援が来ているようだった。

「メアリー、申し訳ないのですが、少し挨拶をしたい方がいるのです」

 隣にアルバーン様がいたことをすっかり忘れていた私は、慌てて彼の方を振り返った。

「まぁ、それでしたら私は先に参りますね」

 そう言うと、アルバーン様はなぜか複雑な顔をした。しかし直ぐに元の笑みに戻ると、一礼してから離れていった。

 彼の後ろ姿を見送っていると、背後からメイドが小声で咎めてきた。

「お嬢様、どうして一緒に付いていかれないのですか!」

「だって私がいても、紹介するときに困るでしょう?」

 私も困るもの。そう言うとメイドは急に怒りだした。

「お嬢様、そんな態度ではあまりにアルバーン様に失礼ですわ」

「彼だって何も言わなかったじゃないの」

 優男に見えるけれど、彼が案外押しが強いことを私はここ数日で嫌というほど知った。

「それはお嬢様が嫌がることをしたくないという、アルバーン様のお心遣いであって、本心では――」

「ほらほら、こんな所で留まっていては他の方に迷惑よ、さぁ行きましょう」

「お嬢様!」

 自分を置いてさっさと歩き出す私の後ろから、メイドが慌てて付いてくる。申し訳ないとは思ったけれど、私は彼女が追いつけないようにと、人の波を意図的に右へ左へと縫うように移動しながら速度を上げて歩いた。そうすれば、あっという間にメイドは私の後に付いてこれなくなった。

 ふぅ、と息を吐きつつ、少しの間自由になれたことにホッとした。辺りを見回しても着飾った人々ばかりで、私は酷く自分の存在に違和感を覚えていた。

 そんな中、視界の端に見慣れた色の隊服を見つけた私は、急いでその方向へと見苦しくない程度に早足で歩み寄った。

「こんばんは、兵隊さん」

 深い紅色の正装用の軍服に身を包む男性に声をかけると、彼はきょとんとした様子で私を見下ろしてきた。

「は、はい。俺――私になにか御用でしょうか?」

 緊張した様子で言ったのは、私の班の所属であり部下でもあるトニーだった。彼は突然話しかけられたので驚いたのだろう、ぎこちない笑みを私に向けた。私は意識して普段よりも高めの声を出した。

「わたくし、人混みに酔ってしまって……少し風に当たりたいのですが、バルコニーまで案内していただけるかしら?」

「それは……はい、分かりました。では、ご案内いたします」

 減点よトニー。持ち場を離れる時は、同じ持ち場の隊員に声を掛けてからするべきなのよ。

 心のなかで勝手に採点しつつ、私はトニーに促されて会場を歩いた。少し具合が悪いふりをしてトニーの腕を掴むと、あからさまに動揺するのが面白くて、私は笑いをこらえるのに必至だった。本当に私のメイド達は優秀なのだと、改めて実感する。

「あの、ご加減が悪いのでしたら、医務室までご案内いたしますが……」

「いえ……大丈夫ですわ。お恥ずかしい話しですけれど、このような場にあまり慣れておりませんの。申し訳ありませんが、少しの間だけ腕をお借りしても?」

 ふふ、と私なりの精一杯の儚げな笑みを浮かべると、トニーはころりと騙されてくれた。こんなに素直で大丈夫かと、些か彼の将来が心配になる。

「勿論ですとも。貴女のような方に頼りにされるなど、名誉なことです」

 自慢気な顔で言うトニーに、私は堪え切れずに吹き出した。俯いていたせいでトニーからは見えていなかったようだけれど。

 私がそうやってトニーで遊んでいると、突然声を掛けられた。

「おいトニー! お前、持ち場を離れて何して……」

 珍しく怒った調子でいるのは、トニーと同じように紅の軍服に身を包んだダニーだった。彼はトニーの隣りにいる私を見て、一瞬怪訝な顔をしたものの、直ぐにぎょっと目を見開いた。

「ちょ、メア――」

「あぁ! なんだか目眩が……」

 そう言ってトニーの腕にしがみつくと、隊服越しにトニーの腕が強張るのを感じる。私はトニーに見えないように、人差し指を唇に当ててダニーに向けてウィンクをした。勘のいい私の副官は直ぐに察したようで、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると調子を合わせてきた。

「大丈夫ですかお嬢さん。ここは人が多いから酔ってしまったのでしょう」

「えぇ、そのようですわ。先程こちらの素敵な紳士にも、そのように申し上げたばかりですの。少し夜風に当たりたいと……」

「そうでしたか。では私も一緒にご案内いたしましょう」

 私とダニーの遣り取りに付いてこれないのか、トニーは呆然としている。けれどもさっさと私の手を取って、バルコニーへと誘おうとするダニーを押しのけるようにして、トニーが私たちの間に入ってきた。

「副班長、この方は私に案内をして欲しいと仰ったので、私がお連れいたします」

 トニーの必死な様子にダニーも笑いを堪えるのが大変なようで、口元が微かに痙攣している。

 沈黙するダニーをどう思ったのか、トニーは私の手をダニーから無理やり引き離すと、さっさとバルコニーへと誘導する。

 バルコニーは大広間とは違い人もおらず、私はようやくホッと息を吐いた。軽く首を回しつつ、普段と変わらない声音でダニーに尋ねた。

「それで、国境に展開している警備隊からの報告は?」

 ダニーは苦笑しつつも、直ぐ様答えを返してきた。

「目立った動きはないッスね。ただしこれだけ堂々と舞踏会を開いてんスから、すぐに何らかの反応は出てくるでしょうね」

 これはあからさまな挑発行為なのだ、当たり前だろう。

「あ、あの? いったい何を……」

 戸惑うトニーに私の方が驚いた。

「ちょっと、まだ分からないの? 私よ私」

 少し着飾っただけで私と分からないなんて、王宮に潜りこんでる間諜に目を付けられたら、安々と騙されてしまいそうで私は危機感を覚えた。それはダニーも同じようで、呆れと笑いの含んだ声で種明かしをした。

「確かに普段アレだから、誰か分かんないかもしれないけど、この人はメアリー班長だぜ?」

「えぇ!?」

 トニーが私から大袈裟に距離を取って後退る。その顔は困惑と恐怖に引き攣っていた。困惑するのは分かるけれど、どうして恐怖を感じる必要があるのかしら。

「いや、え? 嘘だろ……えぇ? ほ、本当にメアリー班長なんですか?」

「どこをどう見ても私以外の何者でもないでしょうに。まったく、しっかりして頂戴なトニー。そんなに簡単に騙されては、私心配になるわ」

 わざとらしく溜息を吐いて見せれば、ダニーが私の横で大笑いした。しかし私はそんなダニーの太腿に蹴りを入れた。ドレスを着ていなければ、もっと痛い蹴りを食らわせることが出来ただろう、それが残念だった。

「いてぇ! な、なにするんスかいきなり!」

「何ではないわよダニー。あなた、よくもあの時私を売ったわね」

 あの時とは勿論、自室から脱出したのをジェームズ隊長に捕獲された、あの晩のことである。ダニーの密告がなければ、招待客としてではなく、彼らと同じように警備任務に携わっていたはずなのだ。

 恨みがましく睨みつければ、ダニーはすっと私から視線を外した。

「いやぁ、ジェームズ隊長にはさすがの俺でも逆らえないっていうか。なぁ?」

 急に同意を求められたトニーが狼狽える。

「それでそのジェームズ隊長は、今どこにいらっしゃるの」

 極力平静を装ってダニーに尋ねると、彼はなんだか面白がるような表情を浮かべた。

「それはご自分の目で確かめた方が良いと思うッスよ」

「勿体ぶっていないで、さっさと――」

「メアリー!」

 強制的に吐かせようかと、ダニーの隊服の襟元を掴もうとした寸前、バルコニーに闖入者が現れた。

「こんな所にいたのですか! 探しましたよメアリー」

 微かに息を弾ませながらやって来たのは、アルバーン様だった。私はすっかり彼の存在を忘れていたことを思い出し、いささか気不味い雰囲気になった。

「も、申し訳ございませんアルバーン様。私の班の者を見かけたもので、つい話し込んでしまいましたの」

「猫被り……」

 ボソリと隣でダニーが呟くのが聞こえ、私はアルバーン様から見えないようダニーの前に立ち、ダニーの脛を後ろに蹴り上げた。苦痛に呻く声が聞こえるけれど、知ったことではないわ。

「あの、メアリー班長この方は……」

 私たちの遣り取りに付いてこれなかったトニーが尋ねてくる。私が紹介するよりも早く、アルバーン様がトニーへと挨拶を交わした。

「私はローレンス・アルバーン。書記官長補佐をしています」

 そう言って優雅に握手を求められたトニーは、反射的に同じように握手を返した。

「アンソニー・ケンプです。アルバーンと言えば、アルバーン侯爵のご子息で?」

「えぇ、そうです。貴方はたしかケンプ伯爵の……」

「はい。父はケンプ伯爵です。ですが、私はしがない三男坊ですから」

 自嘲とともに吐き出される言葉に、私は思わずその背中を叩きたくなった。もっと自信を持ちなさいトニー。貴方は最強と謳われるリオン隊の隊員なのよ!

「アルバーン様、そろそろ戻りませんか?」

 勝手に彼を置き去りにしてこう言うのもなんだけれども、私はあまり自分の班の者とアルバーン様が近づいて欲しくない。ダニーにはもう殆どアルバーン様と私のことを知られているけれど、新人のトニーはまだ知らないはずだった。

「そうですね。では、参りましょうかメアリー」

 そう言ってダニーとトニーに目礼し、私の手をごく自然に取って自分の腕に置かせるのを見たトニーが瞠目するのが見えたけれど、私はそれが見えなかったふりをして彼らに背を向けた。

 アルバーン様にエスコートされて戻った大広間は、抜け出す前よりも更に人で溢れかえっていた。

「気をつけて下さい、メアリー」

 アルバーン様は人にぶつからないように慎重に私をエスコートしてくれる。だけど恐らく私より、私にぶつかった人のほうを心配すべきだと思う。地獄のような訓練で何年も鍛え抜かれた私の足腰は、少しの衝撃などではフラつきもしないと自負している。たとえ窮屈で歩きにくい格好をしていても。

 その時、大広間に国王陛下がお出でになった。皆一様に礼をすると、陛下から今夜の舞踏会を楽しむようにとの言葉を賜った。そして楽団が演奏の準備を始める前の間、私は父の名代としての役割を果たすべく、人混みをかき分けながら、顔見知りの貴族の元へと挨拶回りに勤しんだのだった。




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