氷花に雨 壱
梅雨の時期が過ぎたのにもかかわらずに何日も降り続く強い雨の影響で、普段は子ども達の遊び場となっている穏やかに流れる川も今は人を攫っていく危険があるほどの荒れようだ。
そのためか川沿いを通る人も少ない。
そんな川沿いを二人の少年が歩いていた。
一人は今では見かけることの方が少ない着物姿で草履を履き番傘に似た傘をさしている、黒髪の少年。
もう一人は黒のコートにジーンズ、茶色のブーツを履きコウモリ傘をさしている、赤髪の少年。
番傘の少年の黒い瞳に対して、コウモリ傘の少年は茶色の瞳をしている。
黒髪の少年はもやしのようにひょろりと細長いが猫背のせいで本来の身長より低く見える。
赤髪の少年はコートのポケットに片手を入れながらも、背をピンッとただしていた。
同じくらいの背丈に見える二人は横に並びながら川沿いを歩き続けていた。
ゴロゴロと遠くの方で雷が鳴る。
「どこかに落ちましたかね、さっきの」
番傘の少年が歩みを止め、雷の鳴った方を見ながら呟く。
その呟きが雨の音で聞きづらかったのか、コウモリ傘の少年は顔を顰めながら聞き返した。
「何? 雷がどうしたって?」
その問いに番傘の少年ははあ、とため息を吐いてから何も言わず歩き出した。
「何だよ、いったい」
問いかけた内容を口にしなかった番傘の少年の態度の理由が分からず、首を傾げながら後を追いかけようとコウモリ傘の少年が歩き出した、その時。
「……あ……!」
喉を抑えながらコウモリ傘の少年が地面に足をつき、苦しみ始めた。
ひゅー、ひゅーとうまく呼吸ができない音を漏らしながら喉を掻きむしる。
番傘の少年はそれに気がつかず、先に歩を進めていた。
「……ま……て」
雨の音にかき消される声音で静止を呼びかけ、引き止めようと腕を伸ばすが無意味に終わる。
コウモリ傘の少年はそのまま意識を失い、地面に倒れこんだ。
コウモリ傘の少年が目を覚ました時、そこは知らない病室だった。
慌てる少年に番傘の少年が倒れたことに気がついて救急車を呼んだのだと目が覚めたのを確認した看護師がコウモリ傘の少年に伝えて部屋からいなくなった。
「どこの病院だろ」
無意識に声が漏れる。
少年がぼーっと周りを見渡していると担当の医者が部屋に入ってきた。
担当の医者はコウモリ傘の少年に言う。
「君の病気はこの病院では治せない。違う病院に移ってもらうことになる」と。
少年は理解ができず、首を傾げたが、話は少年をおいてするりするりと進んでいった。
気がついたら少年はさっきまでいた病院とは違う病院に送り届けられていた。
突然のことに戸惑いながら周りを見渡していると、能面のような女の人が少年を案内すると言い、手を差し出してくる。
これが少年の始まりだった。
何も知らされず、彼は隔離病棟の仲間になった。
ー氷花に雨ー
その人を知るきっかけは単純に親しい友人からの紹介だった。
緊張しすぎて自己紹介もまともにできず笑い続けてしまったことは梓にとって忘れたい恥ずかしい出会いとして記憶に残っている。
今では二人で話すのも苦ではないと思えるほど仲は良い。
それどころか、梓自身のくすんだ金髪と違って、少し傷んでいるところどころ色が落ちて黒が見えている赤の髪も、つり目がちの茶色の瞳も、落ち着いた声も梓にとってかけがえのないものになっていた。
「おはよー」
少し語尾の下がる言い方で朝の挨拶を口に出しながら、梓の病室の扉が開けられる。
まだ、床の上にいる梓は目だけ扉の方向を向いた。
目が合った。
「落ちたの?」
梓に近づき、笑い声まじりに梓を覗き込んだのは梓の友人である薄田 柚月だった。
赤の髪が特徴的な彼は涙が雪の結晶になる病気を患い、この病棟にいる。
こくり、と頷いてから梓は漸く体を起こす。
その様子をどこか満足そうに見ながら柚月は笑った。
「本当に、寝相が悪いんだから」
ぽんぽんと頭を優しく叩き、柚月は梓の顔を覗き込む。
「怪我はない?」
その問いかけに梓はこくり、とまた頷いた。
柚月にはその表情はどこか拗ねているように見えた。
「気をつけないとダメだよ?」
梓をベッドに座らせてから、その横に柚月も座る。
「本当、危なっかしいのだから」
腰に手を回し、肩にもたれかかるような体勢で柚月は言う。
その言葉に梓は口元だけの笑みを作った後、枕元に置いていたIdeaboardを手探りで引き寄せて、そのボードに「ごめん」と書いて見せた。
「大丈夫だよ、心配はするけどね」
肩にぐりぐりと頭を擦り付けながら柚月は笑う。
その様子に家で飼っていた犬を思い出しながら梓はペンを置き、柚月の頭を撫でた。
柚月が話さなくなると、途端に部屋は静かになる。
外から聞こえてくる雨の音と柚月の呼吸音が梓の耳に大きく響いていた。
どれくらいそうしていたのか。
梓が柚月の頭を撫でながら意識を違うところに向けていると、トントンと遠慮がちに扉が叩かれた。
「起きてる?」
その言葉に梓は息を深く吐き、出しっぱなしにしていたボードを強く指で叩いた。
勿論、相手に聞こえると思ってしたわけではない。
ぐっと唇を噛み締めてから梓は口を開く。
「…はよ…」
しっかりと「おはよう」と口にしたつもりだったが、「お」と「う」を発することはできず、息を吐くだけで終わった。
梓はぐっとまた唇を噛んだ後、ポロポロと口から膝に落ちていったバラの花弁を乱暴に下に落とし、何も身につけてない足でぐりぐりと踏みにじる。
外にいた誰かはその声を聞き、扉を少し開けて此方を覗き込んだ。