終幕・ある魔導士の憂鬱
行きは良いが、帰りはなんとやらだ。王宮の転移装置は、帰り道には使えなかった。
僕は王宮までの果てしない道のりを、転移魔法や浮遊魔法を駆使しながら辿っていく。
正直、魔法を使うことによって損なわれる体力は、地道に歩くことで失われる体力なんかよりも更に消費が激しかった。しかし今は移動時間を短縮するほうを優先しなければならない。任務遂行よりも遥かに体力を消費しながら、僕はふらふらと帰路につく。
「おかえりなさいませ、ジェイ様」
息をきらしながら本部に辿り着くと、送り出しの時に居た彼女が、腰を折って出迎えてくれた。
情けない姿は見せられない。僕は誰にも悟られぬよう、密かに息を整える。手にしていた双眼鏡を彼女に渡し、「ただいま」と言葉を返した。
「行方不明者の中に生存者はいなかった。例の男とその仲間たちは、洞窟の中に置いてきたよ。あとの処理は頼む」
「はい、お任せ下さい」
彼女はもう一度頭を下げた。ここからは彼女らの仕事になる。
僕は彼女の脇を通り抜け、通路脇に設置された控え室へと向かった。そこのドアノブに手をかけながら、僕は「あ、」とあることを思い出し、彼女を振り返る。目を丸くした彼女が、僕の動向を窺っていた。
「そうだ、洞窟にはもう少し経ってから行ったほうがいい。おそらくまだ水浸しだから」
「……水、ですか?」
不可解そうに眉を顰め、彼女は小首を傾げる。
「そう。蟻の巣に水を注ぐ悪ガキを見たことってないかな? あれを真似してみたんだ」
彼女は更に不可解そうに首を傾げたが、僕はその解答を口にしないまま、黙って控え室に去った。
控え室の中では、数名の魔導士たちが長椅子に腰を下ろしながら待機していた。
唐突に現れた僕を視界に入れるなり、彼らは立ち上がって頭を下げる。一応、僕は彼らの上司ということになっている。正確に言えば僕と同位の魔導士があと二人いるのだが、そいつらは今ここに居なかった。
片手を挙げ、彼らを座らせる。やはり礼節を重んじてこその組織だ。上に立つ者の示しは、きちんとつけなければならない。
もっとも、国王に対して横柄な態度をとる僕が礼節を語るなど片腹痛いのだが、まあ、それはまず置いておこう。
「ジェイ様お疲れでしょう。休憩室でお休みになられてはいかがですか?」
待機しているうちの一人が言った。
「そうだね、そうさせてもらうよ」
申し出をありがたく受け取っていると、その隣に座っていた別の男が「あっ!」と奇妙な声をあげる。何事かと思いそちらに振り返ると、彼の口元は先に口を開いた男の手に塞がれていた。
「……どうかしたのかな?」
「いっ、いえ! 別に何でもないんです本当です! 我々の事はお気になさらずに、休憩室へどうぞ!」
「フモフモ!」
……口が塞がれているから喋れていない。というより、その引きつった笑顔はなんだろう。
彼らの様子が気になりはしたものの、いい加減体力が限界を迎えていたので、僕は身体を休めるために休憩室に向かった。休憩室は、控え室のふた部屋隣にある。僕は廊下を辿って休憩室の前に移動し、入り口に手をかけた。そしてその部屋の扉を手前に引いた瞬間――僕はうっかり魔法を放ってしまいそうになった。
「おかえりジェイさん。遅かったね」
どういうわけか休憩室の中に、満面の笑みを浮かべる残念な国王の姿があった。
「…………」
見なかったことにして扉を閉める。引き返そうとした僕の進行方向を、後をつけてきたらしい先程の二人組が塞いだ。
「ジェイ様お願いします! エクルイス様のお相手をして差し上げて下さい!」
「ジェイ様に会わなきゃ戻らないって言うんですよぉ! 気になって気になって、僕たち全然仕事が捗らないんです! 助けて下さいぃ」
「…………」
なんとなく、頭が痛い。
状況は大体把握できた。なるほど、この不自然な運びはあの阿呆の差し金か。僕は指先でこめかみを押さえつける。溜め息を吐きたかったが、既に溜め息残量は底をついていた。仕方なく踵をかえすと、僕の背後から安堵の悲鳴が聞こえてくる。
「ジェイ様ありがとうございます!」
「助かりますぅぅ」
土下座する勢いで頭を下げている気配を感じたが、僕には振り返る気力すら残っていなかった。
意を決して扉を開くと、先程と同じ阿呆面をひっさげた国王が、優雅に脚を組みながらベッドの端に座っていた。阿呆は片手を挙げ、こちらに合図を送る。脳天気に横に振られる手のひらをたたき落としたい気持ちになった。
「仕事熱心な部下をお持ちだね。仕事が捗るだろう?」
自分がけしかけた癖によく言う。僕は扉を閉める。
「国王、このような場所にまで足をお運びになるとは、なにか火急の用事でもおありなのですか?」
一応聞いてやると、阿呆国王ルイスはさも緊迫した状態であるかのように顔をしかめ、見え透いた大言を吐いた。
「……うん、実は爺やに追われてるんだ。匿ってほしい」
「出てけ」
血管がぶち切れそうだった。
しかし阿呆は僕の言葉を無視して言い募る。
「でもここに居る一番の理由はジェイさんに会いたくてだよ。昼間は邪魔されちゃったし」
「おい阿呆国王、出口はこちらです。早急に出ていけ」
「お互いに忙しいから、こういった時間を大切にしないとね」
「聞いているのか? 僕は疲れているんです。人の休息時間を邪魔しないで下さい」
「それなら俺の膝を貸すよ。俺の膝枕で寝るといい」
おいで、と言わんばかりに膝を叩く阿呆国王ルイスに、僕は極大魔法をぶち込みたくなった。
こいつは都合の悪い話だけ無視を決め込むつもりらしい。やはり一発魔法をお見舞いした方がいいのかもしれない。僕は魔導式を編みながら、ルイスに向かって手をかざす。
「……ジェイさん、それ」
そのジェスチャーが効いたのか、ルイスは目を見開いてこちらを見つめながら、驚いたように口を広げた。
「――血」
続けて吐き出されたルイスの言葉に、僕は落胆する。なんだ、僕の魔法に怯んだわけじゃないのか。どこまでも嫌な男だ。僕はかざしていた手を下ろす。
ルイスの視線は僕の着衣に縫い付けられていた。制服の下に着た白のシャツに、大量の血液がこびり付いている。
僕は思い出す。そうだ、雑魚の腕を切り落としたときに付着した血だ。既に乾いて変色しているが、見ていて気持ちのいいものではないだろう。僕はルイスから見えないように、制服の前を閉ざした。
「これは僕の血ではないのでご心配には及びません。任務中に汚れてしまっただけです」
念のためそのように告げてみたが、ルイスはそれに反応せずに、ただじっと僕の着衣を見つめていた。
いくら予期せぬ訪問だったとはいえ、国王の目にこのような不浄を見せてしまうなど、本来であればあってはならない事かもしれない。僕は自分の迂闊さを後悔した。
確かにルイスは魔導士の任務を知っている。そもそも、今の地位を僕に押し付けたのは他ならぬルイスなのだ。だが、だからといってこちらの感覚をそちらに押し付けるのは間違っている。こういった血生臭いものに慣れきってしまっている僕の感覚は、本来正常であるとは言い切れないのだ。
高位魔導士になってからは、このような任務を受ける機会も少なくなった。しかし、だからといって感覚が正常に戻ったわけではない。
――僕は血を見ても何とも思わない。でも、ルイスが血を見て驚くのは正常なことなのだ。
「国王、申し訳ございません。着替えて参ります」
そう言って部屋から退室しようとする僕を、驚いたように顔を上げたルイスが止めた。
「え? あ、いや、別にそれはいいんだ。俺のことは気にせずに休むといい」
「しかし」
「いいんだ。私は血を気にしているわけではない」
続けてかぶせられたルイスの言葉には、国王の気概が少なからず含まれていた。
――思わず圧倒される。いつも気のゆるんだ態度でこちらに接してくるが、やはりこの男は一国一城の主なのだ。
しかし、なにか誤解されている気がするので、僕はおずおずと事情を申し上げてみる。
「……いえそうではなく、さすがに僕も、血まみれのまま休みたくはありません」
「え?」
ルイスは意表をつかれたように目を丸くした。
……この男がおかしいのはいつものことなのだが、今日はいつにも増しておかしい気がする。
僕は一礼してる風に首を傾げながら、ひとまず控え室にある予備の着替えを取りに行く。
別室で着替え、休憩室に戻ってくると、やっぱり扉の先に国王が待機していた。しかも不愉快な笑顔を浮かべている。なんだかよくわからないが、元の阿呆国王に戻ってしまったらしい。
阿呆が口を開いた。
「さて、着替え終わったみたいだし……寝ようか? ベッドの手前と奥、どっちがいい?」
「部屋を出ていって下さい」
「それは無理だよ。だって匿ってもらっているわけだし、それに一人ぼっちじゃジェイさんも寂しいだろう?」
「むしろ国王が居ると邪魔です。……どんな思考回路しているんだ貴様」
「え、ジェイさんのことで頭がいっぱいだけど」
「…………」
この減らず口を黙らせるにはどうしたらいいのだろう。やはり実力を行使するしかないのだろうか。今日は疲れきっているから魔法など使いたくないが、もしもの時は最後の力を振り絞ろう。僕は心に決める。
「……どうでもいいですが、今日のお務めはいかがされたのですか。ランスロット様もその事で国王をお捜しなのでは?」
「ああ、それはもう終わらせたよ。爺やから逃げているのは別件についてさ」
「別件?」
「そう、別件。まあね、一国一城の王となると色々あるのさ」
そう言ってルイスは曖昧に微笑んだ。なんだかはぐらかされた気がする。どういう意味だと問いただしたかったが、その先の質問をルイスは許さなかった。
まあ、こいつはただヘラヘラと笑っているだけなのだが。しかし不思議なことに、このルイスの微笑みは全てを有耶無耶にする力をもっている。
「それはそうとジェイさん、さあベッドに横になって。あ、それとも膝枕で寝たいかな? その辺は君に任せるけどどうする?」
「……風と炎、どちらの魔法がお好みですか?」
「出来ればどちらも遠慮したいな」
強張った笑顔を浮かべるルイスを無視して、僕はベッドに横になる。ルイスはふてくされたような表情を浮かべながら、ふぅ、と息を吐きつつ尚も言い募る。
「そんなに俺の相手をするのが嫌なのかい? まったく、酷いな。本当に酷い。俺が国王だってこと忘れてるんじゃないの」
「だったら国王らしく振る舞えばいいじゃないですか。実際、国王なのですから」
僕もたまに忘れてしまう。あまりにも国王らしくなくて。しかし、それがルイスの良いところなのだと僕は思う。
けれどそれは口に出さなかった。確実に調子に乗るだろうから。
「ふーん。じゃあ俺が国王らしくしたら、俺と一緒に寝てくれるのかな?」
「いえ、潰しますね」
冷たく言ったつもりなのだが、こいつは少しも怯んでいない。それどころか、嫌らしい笑みを浮かべながらこんなことを言ってくる。
「なら、ジェイさんももう少し女性らしくしてみたらどうだろう? まぁ今のままでも充分可愛いけどね」
そこでルイスはとびきりの笑顔を浮かべた。
出た、極上スマイル。普通の女ならばここでおちてしまうのかもしれないが、生憎と僕は普通ではない。無視して布団に潜り込む。
「……さ、愛を育もうか」
そんなことを呟きながらルイスがベッドに潜り込もうとしてきたので、僕は遠慮なく魔法をお見舞いした。
――ああ、僕を眠らせてくれ。
*
二人の魔導士が休憩室の扉を見張っていた。
先程、ジェイが逃げ出さないようにと行く手を遮っていた二人組である。
彼らは疲れきった表情を浮かべながら、他愛のない会話を交わしている。
「おい知ってるか?」
と、背の高い男が言った。
「なにが」
「ランスロット様が国王を捜してる理由だよ」
そこで彼はキョロキョロと周囲を確認し、声を潜めながら続きを口にする。
「国王、見合い話を蹴ったらしいぞ。その件でランスロット様が怒り狂ってるらしい」
もう片方の男は驚愕に目を見開いたあと、がっくりと肩をおとした。
「……俺ら、その怒り狂ったランスロット様から匿えって言われてるのか……」
「……いうなよ」
彼らは顔を見合わせ、嘆くように息を吐く。
「……どうなるのかな、この先」
「どうなるって?」
一人が休憩室の扉に視線を向ける。
「あのお二方のことさ。この先ジェイ様がこの国のお妃になるなんて事になったら、ランスロット様の血圧が更に上がるぞ」
「いや――」
――その時、男の発言を遮るように、激しい爆発音があたりに響き渡った。
「…………」
「…………」
吹っ飛んできた休憩室の扉が、二人の足元に転がっている。
「……いや、それはもう少し国王が頑張らないと無理じゃないか?」
「……だな」
二人の男は、どこか遠い目をしながら呟く。
見えない未来を憂うより、今ここにある現実を憂いたほうが身のためだ。
そして宮廷魔導士たちは我知らずに頭を抱えたのだった。