第七話 実戦授業
レイシスが学術院に入学し、一月が過ぎ一度ライザールの元へ経過報告に向かった。しかし、ちょうど謁見中らしく会う事は出来ず、報告書を置いて来るにとどまった。今まで教育を受ける機会が無く、日々の授業にどう自分で勉強し付いて行けばいいかわかっていない生徒が多い事、図書館などの施設の利用方法がわかっていなかったことを伝えると共に週に休みを設け、生徒たちに復習し理解度を深める時間も与えることを進言した。
その進言は、後に一月を待たずに実際学術院で採用される事となった。それに伴いレイシスによる放課後の補習も減り、わからない問題を授業の合間に聞かれる程度に収まるようになる。
学術院の生徒以外の国民の基本教養の向上の必要性に関する進言については、理解は得たがまだしばらく時間が掛かるとのことだった。
入学から三ヶ月が過ぎ、体力作りばかりやらされていた実戦の授業はようやく模造刀ではあるが剣を触らせてくれるようになった。
今まで全く剣を触った事すらない者、自己流でやってきて癖が付いてしまっている者もいれば、ギルドや護衛でなどで剣をある程度使い慣れている者もいた。レベルに差があり過ぎると言うことで、赤・青両クラス合同で大体のレベル別に分かれて実戦授業を行うことになった。
(元衛兵ジャックとの絡みは避けたいな)
レイシスはそう考え、ある程度剣は使い慣れているグループにいたガイルに声をかけた。
「私と組んでくれないか」
「良いのかな、綺麗な顔に傷つけちゃうかもよ? 」
ガイルは軽口を叩きながら、剣を抜いて挑発するように剣先を8の字に揺らしながら構えた。対してレイシスも真っ直ぐ剣を構える。ガイルが剣を上げたのを合図に打ち合いは始まった。ガイルが次々と打ち攻めてくるのを防ぎつつ隙をついて大きく横に払うと、ガイルは後ろへ下がる。そこへレイシスは高く飛び上がり上から叩き込み、相手の手が痺れているのを読みとると更に畳み掛けるように連続で剣を突き続けたところで、後方へ押され続けていたガイルの足がもつれ倒れた。
「私の勝ちだな」
「っんだよ! お前には弱点っつうモンがねぇのかよ」
ガイルが荒い息をしながら珍しく悔しさを露わにして剣を下ろした。
「ガイルの剣は癖がついているから、動きの効率が悪くなってる箇所がある。その分意表を突く利点もあるんだけど。基礎を教われば両方の利点が生かせるんじゃないかな」
「勝者の余裕の助言か?まぁ、有り難く受け取っておくよ」
ガイルは苦笑混じりにそういったが、レイシスは下層地区で育ったという彼がこれだけ剣を使えることに驚いていた。
(彼はすぐにもっと上達するだろう)
ふと気がつくと二人は静寂の中、全生徒達の注目を浴びていた。その生徒達の中にジャック・コルドンの不審気な瞳もあった。
(不味かったかな)
そう思いつつも、衛兵のエースだと言う巨体のジャックがどんな剣を使うのかと一度手合わせを願いたいなと思う好奇心も否定できなかった。
礼儀として手を差し出すと、その手を利用してガイルが立ち上がる。その時、地に突いたガイルの左手小指には第一関節から先が無かった。レイシスは思わず息を呑む。
「また、対戦の相手を頼むよ」
その様子に気を止めずにそう言ったガイルの瞳にはいつもの軽薄そうな色はなかった。
(今まで気付かなかったのは彼が故意に隠していたからだろうか。事故か何かで失ってしまったのだろうか)
去っていくガイルを呆然と見送っていたレイシスの背後から、肩にいきなり大きな手が乗り瞬時に振り返る。ダリルだ。彼は前から、何かと声を掛けずにいきなり腕を握ったり肩を掴んだりしてくる。それがレイシスの気に障っていた。
「前から思ってたんだけど、用がある時は声を掛けてくれないか。いきなり触られるのは不愉快だ」
背後からの気配を消したスキンシップに苛立ちを隠さず抗議する。レイシスにとってそういう相手は今まで反撃対象でしかなかったのだ。ダリルは一瞬驚いた顔をしてから、落ち込んだようにヒョロリと高い背を曲げ、肩を落として黙っている。いつも飄々としているダリルがガクリと気落ちしている様子はなんだか気の毒で、レイシスは段々気勢を削がれていった。
(ガイルに気を取られてぼうっとしていた私も悪かったのに)
「すまなかった。普段気配を殺して後ろ来る奴には反撃で返していたから……」
レイシスは自己嫌悪しつつ、意地悪で言ったわけではないと言い訳した。
「俺こそ悪かった。今まで余計な私語は禁止されてたから……声を掛けることに抵抗があって」
レイシスは胸を突かれた。自分に事情があるように、他の者にだってそれぞれの事情や生きてきた環境があるのだ。自分の常識のみを押し通すのは傲慢ともいえる。
それにしてもと、レイシスは思った。
「孤児院とはそう言うところなのか? 」
「うるさい子供はシスター達から罰が与えられる」
(そういうものなのか? )
レイシスが報告書資料で学んだ孤児院とは全く別の姿に愕然とした。確かに大人数の子供の世話をするのは大変だろう。言う事を聞かなくて手が出ることも少なからずあるだろう。しかしどこか妙だと思った。
「罰とは何だ? 」
「……半日納屋に吊されたり」
それから続いたダリルの話には衝撃を受けた。慈愛に満ちているはずのシスター達は国から派遣される使節団には良い顔を見せておいて、一方では自分達の仕事の効率を上げるために平然と子供を虐待し碌な食事も与えていなかったのだ。城にある資料や予算見て、こんな現実がありうると考える者がいるだろうか。
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レイシスは、書物庫でこれからの身の振り方について考えていた。問題は学術院以外にも色々ありそうだ。
(私はこのまま学術院のことだけ考えて、あまり周りとは関わらず3年を過ごしていいのだろうか)
ここでは城にいようが街で過ごそうが決して聞けない様々な実態や問題が聞ける。そしてそれをライザールに直接、歪められること無く届けることもレイシスになら可能だ。
(しかし彼らを騙している身で自らは偽りつつ、彼らの内情を聞き出すことはフェアだろうか)
「ソレノール君」
鬱々と考えていたレイシスに声を掛けたのは同じクラスのウィルと云う実家が宿屋をやっていると云う少年だった。空いている隣の席に座ると、何か言いたげにチラチラと見てくる。
何か用かと聞くと、全然ついていけなかった剣の稽古に付き合って欲しいという。考えに煮詰まっていたレイシスも気分転換したくなり彼の誘いに応えると、ウィルは安堵したように人懐っこい笑顔を浮かべた。
剣の握り方から丁寧に教えて素振りにもしばらく付き合うと少し休憩をとる事にした。ウィルは息を弾ませながら芝に座り込んだ。
「ソレノール君、今日は付き合ってくれてありがとう」
「いいや、私もちょうど体を動かしたいと思っていたんだ」
「君は本当にすごいね。何でも完璧にこなす」
ウィルは頭が下がる思いで言うがレイシスはあまりそれを素直に喜べない。黙っているレイシスにウィルはかまわず続けた。
「でもそれは今までソレノール君が努力してきた結果だもんな。尊敬するよ。これから僕も頑張らなくちゃ」
(私の恵まれていた環境を知ったら彼はどう感じるのだろうか)
「どんな人間かわからないのに3ヶ月一緒に過ごしただけで他人を簡単に尊敬するのか」
皮肉を込めてそう聞くと、ウィルは首を傾げて答えた。
「学術院にはいろんな人が集まっている。生活環境からそれぞれの中の”常識”まで異なっている人が多い。でも一個だけ同じ物があるのって何だか分かる?」
「知識が欲しいとか武術を身に付けたいとかそう言うことか?」
「う~ん、近いけどそれじゃあ学術重視派と武術派に分かれちゃうから、ハズレ」
「じゃあなんだ」
「今までの自分を変えたいって事だよ」
「!! 」
レイシスは意表を突かれウィルを見た。
「皆少なからず、今までとは違う自分になりたいと思ってここにいるんだ。だから僕は彼らと付き合う上では”今まで”は関係ないと思っている。全員、単なる学術院生だ」
なるほど、そう言う考えもあるのかとレイシスは感心していた。そんなレイシスの様子を見てウィルが苦笑いする。
「それを教えてくれたのはソレノール君なんだけどな」
「何の事だ」
「補習の代償断って、全員に教えてくれたでしょ? 」
「!? 」
そこにつながるのかとやや混乱しているレイシスを横目にウィルは立ち上がりまた素振りの練習を始めた。
「後しばらく一人で練習して帰るから、ソレノール君付き合ってくれてありがとう。すごく助かった」
我に返ったレイシスもそれに手を上げて去ろうとしたが、一歩踏み出す前にウィルに声を掛けた。
「ウィル、今日は話せて良かった。また何かあれば付き合うから声かけて」
軽い足取りで寮に帰っていくレイシスを、惚けたように見送ったウィルは思わず構えていた剣を落とした。
「ソレノール君が笑った……」
夕焼けに染まる空の下、レイシスは寮への道のりを晴れやかな気分で歩いていた。先ほどまでの鬱々とした気分はどこかへ消えていた。
(ここには隠したい過去を持っている人だって少なくない。私は単なる学術院生のレイドとして彼らとは誠実な態度で過ごせば良いんだ)
後で皆に裏切られたと恨まれるならそれは自分の誠意や努力が足りなかったのだ。ウィルの言うように、過去の自分と学術院生の自分を分けて考えると、思いの外頭の中が整理されていった。