第六話 補習
クラス分けは試験の成績を基に偏りが無いよう平等に赤と青の二つのクラスに分けられた。青のクラスになったレイシスは、教室に入ってまずクラスに見知った人物がいないか確認した。
(五番地にいた“レイド”を知っている人がいると面倒だな)
見回してみたところ、見知った顔と言えば先刻礼拝堂で声を掛けて来たガイルと一昨日部屋に訪ねて来た寡黙そうな男ダリルとその仲間の一人くらいだった。
衛兵からの伏兵でジャック・コルドンを名乗るという黒髪に赤目の大男らしき人物は青のクラスに見当たらず、レイシスは安堵した。
ある程度落ち着いてから隣のクラスを見に行こうと考えていると、ガタンと音がして緊張からか一人の生徒が貧血で倒れているのが見えた。ダリルの仲間の少年だ。教室内は一瞬にしてざわつく。
入学の説明は中断され、倒れた少年をダリルが運び、教室にいた小柄な教授が医務室へ案内する事になった。少年を担ぎ上げたダリルは何故かレイシスに近づいて来る。
「……すまんが、俺達の荷物を隣のクラスにいる仲間に渡してくれないか」
確かにダリルの仲間の顔を知っているのはこの教室内でレイシスぐらいだろう。「あぁ」と短く答えるとダリルは安心したように僅かに顔を綻ばせて教授の後に続いて教室を出て行った。
教授が教室に戻ってきて入学の説明等が再開されたが、初日と言う事もありその日は午後を迎える頃に帰寮となった。頼まれた2人の荷物を持って、隣のクラスの教室を訪れたレイシスはまず顔ぶれを見回してみた。
五番地で見知った者はいなようだったが、おそらくジャック・コルドンと思われる人物の際立った存在感に驚いた。黒髪で快活そうに笑っている長身・大柄なその男は、今日入学したと云うのに驚くほどクラスに馴染んでいた。
(あの体格なら、大剣でも斧でも片手で振れそうで羨ましいな)
そんな事を思いつつ、見覚えのある幼い顔が特徴的な少年の元へ向かった。
「ソレノールさん! あの時は本当に……」
嬉しそうに話し掛けてくる少年にダリル達の荷物を渡し事情を話した。それを聞いていたのか慌てて他のダリルの仲間二人も加わり色々聞きたそうにしていたが、とりあえず頼まれた事は済んだので「じゃあ」と素っ気なく言って教室を後にする。
教室を出る時もう一度ジャックの顔を確認すると、彼は楽しそうにクラスメートと話しながら笑っている。
(後に、彼は仲良くし過ぎた事を後悔するんだろうか)
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教室でこの一週間学んだことは、今まで知っていて当たり前だと思っていたことが多く、レイシスを驚かせた。
(この位の事は街で商売をするにせよ、どこかに雇われるにせよ、知らないと色々騙されてしまうんじゃないだろうか)
学術院とまではいかなくても、もっと基本的な事だけでも教える国民向けの学校があれば、国も国民ももっと豊かになるのではないだろうか、そう考えている間も他の生徒達は真剣な眼差しで授業を受けている。
「それでは、余裕で物思いに耽っているレイド・ソレノール君。次の問題を解いてください」
中年の男性教授がレイシスを名指しし、今習っている計算術よりは遙かに難しい問題を黒板に書き始めた。
(いけない。せっかくみんなが真剣集中している雰囲気を壊してしてしまったんだ)
席を立ちスラスラと問題を解いて確かめるように教授の顔を見ると、苦々しい顔で「せ、正解だ」と答えた。おそらく優秀成績者の高くなった鼻っ柱を折ってやろうという意地悪問題だったようだ。
「集中している空気を乱してすみませんでした」
そう言って頭を下げると、教授も少し表情を柔らげ、教室には驚きの空気が流れた。
(どれだけ高慢だと思われているんだ、私は)
心の中で苦笑いしながら席に戻った。
その日の授業も半分終わり、レイシスは何とか既に知っている授業内容の時間を無駄にしない方法について考えていた。
(勝手に何か始めても邪魔になるだろうし、教授に聞いて見ようか)
限りある時間を有効に使いたい旨伝えれば、何か案を講じてくれるかもしれないと思ったのだ。立ち上がろうと思った矢先
「ソレノール君」
声を掛けてきたのは、7、8人くらいのグループの中心人物のようで集まっていた中からレイシスの前へ歩みでて、緊張したようにおずおずと強ばった笑みを向けてくる。
「悪いんだけど、今日までの授業で分からなかったところを後で教えて貰えないかな」
確かにレイシスにとっては既に知っている事の復習にも満たないが、何も知らない状態の人からすると毎日次から次へと慣れる前に新しい事を教えられ、少々詰め込み過ぎな授業内容であるのかもしれない。
(授業の後、計算問題は応用の問題を数やって慣れるとかなり頭に入るんだけどな。歴史はその前後関係にある史実を知り書物庫で関係する歴史書を読めば興味も沸くし。でも、その勉強方法もわからないのかも)
「もちろんソレノール君に手間を掛けさせちゃう分のお礼のお金は皆で出し合うから」
レイシスが考えていると、声を掛けて来た仲間の一人が当たり前のようにそう言った。今、声を掛けてきたのは、おそらくレイシスに「お礼」の支払い能力のある底々お金に余裕のある者たちなのだろう。
しかし、そんな事をやっていたら『学術院』は平等に学べる場ではなくなってしまう。
「お金は要らないよ。誰かに教える資格なんて持っていないんだから。その代わり、間違って教える事があっても、気が付けば訂正するけど責任は持たないから。それでも良かったら、今日の授業の後なら空いてるけど」
レイシスは出来るだけさりげなく言ったつもりだったが、声を掛けて来た以外の生徒からも期待の眼差しで見られてしまう。
「授業がなかなか進まないようでは、私が迷惑だからな」
喜んでいるクラスメイトたちに冷や水のような一言をかけると、教授に事情を話し補習用の教室を借りる許可を取る為、蜂蜜色の髪を揺らし教室を出ていった。
*****
その日のレイシスによる補習は思ったより長引き日も暮れて来たので、続きはまた翌日と云う事になった。自分の教材を持ち教室を出て行こうとすると、音も無く腕を掴まれる。とっさに叩き払おうとする衝動を押さえ込み振り返ると、ダリルが立っていた。
「……また世話になった」
「別に」と無愛想に言って腕を引こうとするが、ダリルは寡黙そうなダークブラウンの瞳で見つめ腕をなかなか離さない。振り払おうかと考えた時。
「……なにかあったら言って。手を貸すから」
ダリルはそう言ってからレイシスの腕を離すと机に置いてあった教材を手に教室を出ていきかけ、思い出したように立ち止まり振り向いた。
「それと入学式のスピーチ良かった」
「ありがとう」
我知らず漏らしたレイシスの礼を聞き、また何もなかったように教室を出ていった。
ライザールの考えが少しでも伝わればと思って考えたスピーチは、少なくてもダリルの心に響いてくれたのかとレイシスは内心喜んだ。
(よし、明日の補習用の問題でも作るとしますか)
表情は変わらないものの、確実にやる気の上がったレイシスは、軽い足取りで教室を出ていった。
「ソレノール君って見かけや言動とは裏腹に、実はスゴク良い人だよね」
講堂に残った生徒達にそう呟かれているとも知らずに。
次話はたぶん今週中に投稿出来ると思います。