プロローグ
初めまして、黒猫トムです。
このたびは、『Lupinus』を手に取っていただき(?)ありがとうございます。
初めに、いくつか。この物語は、ダークファンタジーです。幸せいっぱいで大団円を期待している方は、バックスペースキーを押すことを推奨します。また、多少残酷描写が入ることがありますので、そういうのが苦手な方も、バックスペースキーを。ただ、そういった描写は他の小説に比べれば弱めにはなっていると思うので、多少なら大丈夫、という方はこのまま読み進めていただけると光栄です。
さて、まえがきがあまりに長くても読んでもらえないような気がするので、この辺りで終わりとさせていただきます。
この物語、『Lupinus』を、楽しんでいただけると幸いです。では。
2013/10/05 黒猫トム
握った手から体温が伝わってくる。それを肌で感じながら、俺はただまっすぐ、一本道を歩き続けていた。
ヒグラシが、カナカナと儚げに鳴いているのが遠くの方から聞こえてくる。一日の終わり、その鳴き声はそれを伝えているだけのはずなのに、なぜか俺には『終わってしまってほしくない何か』が終わってしまうという事も伝えているような気がしてならなかった。
だから、握った手をより一層強く握りしめて、少しだけ足を早める。
「待って」
だけど、それは長くは続かなかった。ぐっと強い力で、手を引っ張り返される。
「ダメだよ。逃げても、どこまでだって追いかけてくる。……きっと、この星のどこにだって隠れ場所は無いんだよ」
「馬鹿なこと言うな」
そう言いながら振り返る。そこには、俯いた由香。俺の握りしめた手から力を抜いて、俺が握る手から力を抜いたら、繋いだこの手がほどけてしまうようにしている。
頼ってくれないってかよ、クソッたれが。心の中でそう毒づく。俺じゃ役不足かよ。
「俺が守る。絶対に」
「無理。アリスさんでも全く歯が立ってなかったじゃない。何の力も持たない私たちが勝てる相手じゃない」
それにね、と彼女は言った。
「私、どうして追いかけられているのか、なんとなくわかっているんだ。それに、どうすれば佑介くんを守ることが出来るのか、って事も」
「え……っ」
それだけを言って、彼女はにこりと笑った。いや、雰囲気からそう思っただけだ。夕焼けの逆光のせいで、彼女の表情は全く見えなかったから。
そして、虚空を見上げる。
「……シャル、私決めたよ」
そこには誰も居ない。なのに、彼女はまるでそこに誰かがいるような調子で、言葉を紡ぐ。
「私、この世界を捨てる。貴方と一緒に、戦う」
ドォン、少し離れた場所で大きな爆発音が響く。その音で、ヒグラシは鳴くのをやめ、そして辺りには沈黙だけが漂った。その中、透き通るような声で、彼女は続ける。
「だからお願い。この世界から、私の居たという痕跡、記憶を全て消し去って」
「待て、由香! それはどういう事だよ!」
「そのままの意味だよ」
彼女の言葉が終わるか終らないかの所で、不意に空が輝いた。巨大な魔法陣がそこに開く。それは、昨日と、そして今日見たすべての魔法陣よりもずっと巨大で、そしてずっと輝いていた。
誰の目からも、これから何かが起こる。それは確かだった。
「待てよ! 俺がお前の事を忘れると思うなよ!」
「あっ」
まだ握りしめていた彼女の手を思い切り引き寄せて、抱き寄せる。
「逃がすもんか! 俺とお前は今までだって、これからだって、ずっと一緒にいるんだ。お前の事を忘れる!? そんな事、あるわけねぇだろ!! ふざけんな!!」
「ありがとう」
あくまで口調は静かに、彼女はそう耳元で呟いた。
「もう、大丈夫。私は一人で戦える。だから……お別れだよ」
光の粒が、腕の中からぱぁっと舞い上がった。数多の蛍のような輝きが、空の魔法陣へと吸い込まれてゆく。そして、輝きながら薄れゆく目の前の由香が、ゆるりと笑った。
――さようなら
抱きしめた腕が空をかく。空へと昇る最後の光を捕まえようと、手を空に伸ばす。だけど、それをするりと抜けて、どんどん高く昇り、そして魔法陣に吸い込まれて消える。
待ってくれと叫ぼうと口を開く。だけど、声は出なかった。息を吸い込むこともできない。ただ茫然と、その光景を眺めていることしかできなかった。その時俺は気づいてしまったんだ。魔法陣が爆発して、世界中に光の粒を降り注がせるのを見ながら。
俺は、あまりにも無力だった、という事に。