失敗の優勝、そして敗北
私は選手マサユキの記者兼カメラマンということで、誰よりも早く全日本選手権大会の会場でカメラを準備している。
選手の活躍を写真に、そして動画に収めるために、できるだけ良い場所に三脚を立てたいからだ。
私は公式のメディアではない。
だから誰よりも早く来て、そして良い場所を取る必要があった。
◇
競技人口は多くなく、レジャースポーツとしてはなじみが薄いが、オリンピック競技としては知られているスポーツがある。
ウエイトリフティング、重量挙げとも呼ばれる競技だ。
オリンピックに選手を輩出するということは、世界にも国内にも正式な競技団体があり、そこに所属する選手もいる、立派なスポーツの世界の一部だということだ。
重量挙げもほかのスポーツの例にもれず、アジア大会や世界大会、そしてオリンピックに出場する選手を選ぶための大会が、年にいくつか開催されている。
◇
マサユキはマイペースなものだ。
自分の準備を終わらせると、控室にいるいろんな選手に声を掛けて、彼らのコンディションを確認している。
そこがマサユキの強さでもあると、取材をしていて思う。
しかし、痛み止めとエナジードリンクで緊張を解くという部分に関しては、記事に書くことはできないだろう。
選手たちの裏側にもいろいろあるものだ。
控室には、オリンピック出場を期待され、協会のお偉方も目を掛けているカツミという選手がいた。
彼のSNSなどでも好調であることが書かれていて、今回カツミが出場する階級での一位は大きく期待されていた。
マサユキはカツミと仲が良かった。
重量挙げの選手としては、マサユキが先輩である。
マサユキも自分の階級では断トツで強く、カツミもそんな彼に一目置いているようだ。
マサユキはカツミと、他の選手よりも少し長めに話をしてから、自分の荷物を置いてある場所に戻ってきて、私にこう話した。
「噂通り、調子がよさそうだね」
私の取材はマサユキだけであるが、オリンピック出場が期待されているカツミのこともメモとして記録しておくことにした。
何かの機会があれば、この時の話をどこかの記事に書くのも良かろう。
重量挙げでは、性別と体重で階級が分かれ、その階級の中で順位が決まる。
体重で分けるために、試技前に検量という手続きがある。
マサユキの階級の検量が始まるまで、二時間以上も時間があった。
そこで私は、この時間に思うところなどをマサユキに聞いた。
インタビューほど硬くはなく、軽く話をする形での取材だ。
スマートフォンに録音をしておき、後ほどそれを文字に起こすのだ。
それでも時間はまだまだたっぷりあり、二時間まるまる取材という訳にも行かないので、一旦解散をした。
マサユキは仲の良い選手と一緒に雑談を楽しんでいた。
私はそんな彼を横目に、今回の大会の会場である、地方の大きな体育館の周辺を散歩してみることにした。
周りには商業施設がなく、少し歩いてやっと駐車場が大きいラーメン屋が見えてきた。
しかし今は食事の時間ではないので、そのラーメン屋を通り過ぎてさらに先に進んだ。
すると神社があり、ちょうどその周辺で蚤の市が開かれていた。
そこを軽く眺め、もう少し神社の周りを散策する。
しばらくして団子屋を見つけた。
その団子は特徴的な形をしており、円柱に伸ばした団子をぶつ切りにして、それを串に刺して味付けをしていた。
その形の珍しさに、私は選手たちへのお土産として、みたらし味を買った。
それとは別に、一本自分の味見用に買ってみる。
味は大したことはなかった。
そろそろマサユキの検量が始まる時間だと思い、私は大会の会場に戻った。
思ったより遠くまで来ていたのか、帰り道は長く感じた。
選手よりも先に汗をかいた私は、選手控室に入り、マサユキがいるところに行った。
そこには、彼のセコンドであるユキオがいた。
私はユキオに挨拶をして、その後マサユキにお土産の団子を見せる。
「検量終わったら食べませんか?」
その団子を見て反応したのは、マサユキではなくユキオだった。
「この周辺、何もないかと思ったらそんなものがあったのですか」
ユキオはマサユキが食べる前に、団子を一本ねだってきた。
面白い人だと思い、私はマサユキに許可を得た上で、ユキオに一本団子をあげた。
「……」
味はいまいちだったらしい。
そんなやり取りをしている内に、マサユキは「検量に行ってくる」と言い、その場を去った。
その後、私とユキオは少し話した。
神社があって、蚤の市が開かれていたことを話すと
「私も行きたかったな」
と言っていた。
しかし、先ほど合流したばかりなのでそう言われても困り、愛想笑いで返す私だった。
◇
検量が終わった。
検量は早めに終わり、マサユキの階級の試技が始まるまで一時間半ある。
それまでに何をするのかと言えば「食事」である。
検量のために、選手は食事を制限して体重を調整している。
いろんな競技に検量があるが、検量が終わったら、できるだけ効率よく、そして早く、練習している時のベストコンディションの体重に戻す必要がある。
マサユキはユキオと共に、体育館を出て、歩いて10分ほどのところにあるファミレスへ向かう。
私ももちろんそれに同行した。
マサユキは体が大きいので、二~三人前をぺろりと平らげた。
私が注文して、健康のために飲まなかった担々うどんの汁を見て
「それをください」
と言ってきた。
私は、自分が食べたものでいいのか? と思ったが、それ以外に断る理由もないので
「どうぞ」
と言い、それを彼に渡した。
確かに担々うどんの汁は美味しい。
マサユキはご飯を追加で注文し、それが届いたところで担々うどんの汁に入れた。
そしてそれをおいしそうに平らげた。
食後はしばらく談笑し、その談笑の中から何かを記事にしようと、私は必死にメモ帳にメモを取っていた。
ただ、その中で記事に使えそうなものはなかった。
他の出場選手のプライベート事情は、どうやっても使えないだろう。
その後、マサユキら一行は会場に戻った。
いよいよマサユキ周辺の空気も変わってきた。
マサユキもユキオも、ガチガチに緊張するタイプではないが、それでも「試技前」の段取りを頭の中で確認している表情は見て取れた。
私もその空気を感じ「いよいよ本番が始まるのだな」と心を引き締めるのであった。
◇
私はマサユキを撮影するために、試技会場に入った。
そこでは、マサユキのひとつ前の階級の選手たちが、順位を競いバーベルを持ち上げていた。
今回期待されている、カツミがいる階級である。
試技は、軽い重量を申告した選手から順に行われる。
最後の方に出てくるのは、重い重量から始める実力者ということになる。
カツミの出番はほぼ最後の方なのだが、今がちょうどそのタイミングだった。
私はカメラの角度を、カツミの試技に合わせて調整していた。
そうしている間に、カツミのスナッチの第一試技が始まった。
この取材を引き受けたくらいだから、私も重量挙げを観るのは好きである。
一旦手を止めて、会場にいる多数の観客と共に息をのみ、その様子を見守る。
『次はシバタカツミ選手です。第一試技150㎏にセットしてください』
進行役の声がスピーカーから会場に響く。
補助員がバーベルの重量を、手早く言われた通りに準備する。
20㎏のシャフトに、赤い25㎏プレートが四枚、緑の10㎏プレートが二枚、2.5㎏の小さなプレートが二枚、そしてプレートを固定するカラーと呼ばれる2.5㎏の金具が二つ装着される。
これで150㎏だ。
いつも思うのだが、よく重量を間違えずに準備できるものだ。
さて、準備が終わり、タイマーの電子板に60秒のカウントダウンが表示される。
この時間内に皆の前に出てきて、そして150㎏をスナッチしなければならない。
カツミはそれほど時間が経過しない内に、用意されたバーベルの前まで出てきた。
審判員は三名、指定の距離離れたところで選手の動きを見ている。
カツミはそんな審判員を気にすることなく、スタートの姿勢をとる。
そしていつものように、一気にバーベルを引き上げて、そしてそれを頭上まで持っていく。
頭上に来たバーベルを上手く受け止め、一瞬止まったあと、そのまま立ち上がった。
審判員の判定はすべて「赤」。
全日本大会だけあり、審判員の判定結果を示す便利な機器があるものだ。
そこに堂々と三人とも「赤」、つまり「失敗」と判定した結果が示されていた。
これは観客も、バックヤードから見ているセコンドも、次の試技のために控えている他の選手も、そして私も納得の判定であった。
カツミはバーベルを受け止める「キャッチ」という動作において、片肘を曲げてしまった状態から立ち上がりながら肘を伸ばす、「プレスアウト」と呼ばれる反則を犯していた。
「惜しいな」
いつの間にか私の様子を見に来たマサユキが、背後でそうつぶやいた。
「残念ですね」
私もそう短く返し、カツミが選手控えのバックヤードに戻っていく様子を眺めていた。
「そう言えばあちこち話を聞いたんだけど、カツミと一位争いをするタクヤが、今回優勝できなかったら引退するんだって」
マサユキは、次に出てきた選手の様子を眺めながらそう言う。
「それはまた、今回のカツミの階級は面白い展開になりそうですね」
私はそう言い、カメラの録画のスイッチを押す。
テスト撮影も兼ねた、最終確認だ。
「お、タクヤの番だよ」
マサユキがそう言うと、会場のざわめきが少し静かになり、タクヤを応援する仲間の掛け声が大きく聞こえてきた。
「同じ重量でやるようですね」
私がそう言うと、タクヤがバーベルの前にやってきた。
そして、大きく息を吐き、勢いよくバーベルを握る。
そのまま体を大きく揺らし、バーベルに付いたプレートが「カシャカシャ」と鳴る音が聞こえてくる。
そしてそのままタクヤはバーベルを持ち上げる。
勢いよく上げたバーベルを、タクヤは切れのある動きでビシッと受け止める。
私は先ほどのカツミが肘の曲がりによる「プレスアウト」で赤判定を貰ったのを意識していたのか、その瞬間のタクヤの肘を見た。
彼の肘は、きれいに伸びきっていた。
もちろんタクヤの判定は三人の審判員揃って「白」、成功である。
タクヤにとって、一試技目を確実に取れたことは大きな安心だろうなと、見ている私まで胸をなでおろした。
私は一度カメラの録画を止め、今録画したタクヤの試技を見る。
問題なく、きちんと撮影できているようだ。
それを確認できた私は、もう一度録画ボタンを押した。
後はこのまま触らず、マサユキの試技まで撮りきる予定だ。
「ちょっとあっちに移動しましょうか」
私はマサユキと共に、少し離れた場所に移動した。
そこからも十分試技を楽しむことができる。
『シバタカツミ選手、第二試技、150㎏』
会場内に進行役の声が聞こえ、カツミは再び観客の前に姿を現した。
次こそは成功させたい。
これは本人のみならず、観客も、セコンドも、協会もそう思っただろう。
カツミはいつもと変わらずにスナッチを行う。
『シバタ選手、失敗です』
無情にも進行役の声が聞こえてくる。
三人の審判員すべてが「赤」判定。
先ほどと同じく、プレスアウトをしていた。
会場からは大きなため息の合唱が聞こえる。
「いよいよ三試技目が取れなかったら失格だな」
マサユキは冷静に言う。
重量挙げでは、スナッチとクリーン&ジャークという二種目の総重量で順位を争う。
どちらの種目も、成功判定で取れた重量がその種目の記録となる。
つまり、仮に三試技とも失敗した場合は記録なしとなり、順位が与えられるどころか失格扱いとなる。
さすがのカツミも、去り際に少しだけ首を傾げていた。
もちろん判定に不満がある訳ではない。
自分が何故肘を伸ばしきれずにいるのかが不思議なのだろう。
是非三試技目は取ってほしい、私のみならずすべての人がそう思っただろう。
その後、カツミのライバルとも言えるタクヤも、第二試技は失敗したようだ。
バーベルを受け止められずに落としてしまった。
ただ、今のところスナッチの順位はタクヤが一位である。
タクヤからしてみれば、一試技でも取れているという安心感はあるだろう。
私はつい力を入れて観戦していた。
そしてその次に、カツミの名前が呼ばれた。
カツミの第三試技である。
150㎏を失敗しているにも関わらず、この試技で行う重量はタクヤが成功した重量を上回る、そしてタクヤが失敗しそうな重量と読んだのであろう、154㎏だ。
「カツミ、後がないからな」
マサユキはそんなことをつぶやく。
「この試技はプレッシャーでしょうね」
私がそう言うと、マサユキは笑うだけであった。
そして始まるカツミの第三試技。
目の前に置かれた154㎏のバーベルをしっかり見た後、カツミは大きく深呼吸をする。
肩を何度も揺らし、言葉にならない大きな掛け声らしき息を勢いよく短く吐き、そしてバーベルを握る。
その様子を観客、セコンド、そして他の選手が固唾をのんで見守る。
『失敗です』
会場に無情な言葉が響いた。
カツミは三試技とも成功することができず、ついに失格となる。
誰もがそう思ったのだろう、会場は湧き上がらずに静かになる。
「まあ、誰がどう見てもあれはプレスアウトだからな」
マサユキがいつもと変わらない口調で言ったところで、スピーカーからハウリングの音が聞こえてきた。
会場は少しだけざわついた。
『えー、今のシバタ選手の第三試技ですが、ジュリーの判断により"成功"となります』
皆の耳に、信じられない声が聞こえてきた。
今までなりを潜めていた、審判員の上位判定員である"ジュリー"と呼ばれる人たちが、何の説明もなく判定をひっくり返した。
そのことを告げる内容だった。
全日本大会の審判を務めるほど熟練した三人が、そろって「赤」と判定した。
その判断が意味を失った瞬間でもあった。
その事実に会場内は大きくどよめいた。
私だけでなく、マサユキもその判断には驚きを隠せずにいた。
「あれが成功判定にひっくり返るのか……」
マサユキは苦笑いをしながらそう言う。
「タクヤは無念だろうな……」
そしてそう付け加えもした。
その後、タクヤはカツミが成功したと判定された重量を1㎏だけ上回る155㎏に挑戦したが、失敗に終わった。
今回、タクヤが引退を懸けていた試技が、このような形で決着した。
これが順当にカツミに試技で負けていたなら、まだ納得は行っただろう。
しかし、結果はそうではない。
誰がどう見ても反則で失敗なのに、それに負けた、ということになるのだ。
私は何も言えなかった。
そして、このことを記事にできないことに、少々の悔しさがにじんだ。
こんな衝撃的な展開を記事にできずに何が取材だ、とも思ったが、それをしないのも取材の礼儀だろう。
この階級のスナッチは、カツミの判定がひっくり返るという知らせで幕を閉じた。
◇
この後のクリーン&ジャークの試技は、大きなドラマもなくつつがなく終わった。
タクヤの粘りの大逆転、あるいはカツミがこちらでも失敗、なんて都合の良いことは起こらない。
それが現実というものだ。
カツミはこちらの種目の方が強いので、タクヤに確実な差をつけて総合優勝を果たした。
表彰式では一位の台にカツミが堂々と立っていた。
そして二位の台にはタクヤが立っていた。
カツミは申し訳なさそうな表情をすることなく、安堵の表情で優勝を喜んでいた。
それに対し、タクヤは納得のいかない、複雑な表情を見せていた。
観客はというと、一旦は選手たちの活躍を称える拍手を送っていた。
それは思ったよりも大きかった。
三位の者から賞状とトロフィーが贈られた。
選手がそれを受け取り、そして観客の方を向き大きなお辞儀をする。
観客は彼の活躍を称え、温かい拍手を送った。
二位となったタクヤにも、同じく賞状とトロフィーが贈られた。
タクヤはそれを受け取り、そしてそれらを渡した役員が彼と固く握手をする。
しかしタクヤの表情は硬く、役員の表情は気持ち悪いまでの笑顔だ。
その光景が観客にどう映ったのか、誰も解らない。
その後タクヤは観客の方を向き、深々とお辞儀をした。
それに対し、観客は盛大な拍手を送った。
三位の選手とは比べ物にならない、大きな拍手だった。
そして一位となったカツミの表彰式。
カツミも賞状とトロフィーを受け取り、そして役員と固く握手をする。
カツミはしっかりと役員の手を握り、そしてそこで少しだけ笑顔になる。
役員もその笑顔を見て、やはり気持ち悪い笑顔を向ける。
その後カツミは観客の方に向く。
拍手は確かにある。
しかし、タクヤのものに比べると、その勢いが小さいように思える。
それが何を意味するのか、おそらくその場にいる皆が分かっているだろう。
だが観客は拍手をしなければならないし、カツミも笑顔で居なければならないのだろう。
徐々に拍手の音は小さくなり、やがて収まる。
そこでこの階級の試技は終了するのであった。
◇
表彰式が終わるころには、マサユキはウォーミングアップ場にいた。
軽い重量からバーベルを動かし、体を温めていく。
「今日のコンディションはどうですか?」
私はマサユキに訊ねた。
「実は足の甲が少し痛い気がするけど、おおむね順調だよ」
彼は体を動かしながら、痛みを感じさせない態度で答えてくれた。
マサユキは一年ほど前、足の甲の疲労骨折で大会への出場が危ぶまれていた。
ただ、もともと強いのもあり、また世界大会に向けた選考大会にも出場しておかなければならないという理由で、骨折が治ってきたところで少しずつ練習を再開していた。
私の取材はそこから始まっていた。
今回、マサユキがどこまで復活できるのか、それを記事にするために、この大会まで密着取材をしていたという訳だ。
カツミの試技で衝撃的な出来事があったが、マサユキはそんなことは一切気にしていなかった。
それよりも、自身がこの大会で、きちんと世界大会への選考に向けての記録が取れるのかどうか、彼にとってはそれが一番大事なのであった。
「今回、スナッチは160㎏まで行きたい気もするけど、第一試技の状態しだいだな」
セコンドのユキオに「無理はするな」と言われてはいるが、マサユキ自身は挑戦してみたいようだ。
その辺りが、彼の強さなのかも知れない。
そこをうまく記事にまとめたい反面、骨折からの復活で無理はしてほしくないと思う私もどこかにはいるのだった。
「うん。足の調子も悪くないね」
「そうだな。160㎏が行けるかどうかは、こちらで判断するよ」
マサユキの言葉にユキオはそう答えていた。
おそらく、ユキオは160㎏は挑戦させないのだろうなと、なんとなく私は思った。
スナッチが終わった後にはクリーン&ジャークがあるのだ。
それを考えれば戦略的にはないだろうな、なんて思っていた。
◇
さすがの私も、バックヤードまでの同行はできなかった。
あそこは選手とセコンドだけが入ることが許される場所である。
私はやむなく、自分のカメラの場所まで移動した。
そして小さなモニターに映り込む選手たちを見ながらカメラの角度を微調整して、ここからマサユキの試技を見ることにした。
マサユキもカツミと同じように、彼の階級では一番最後の試技開始だった。
ほとんどの選手がスナッチの三試技を終えた後に
『次はユガワマサユキ選手、152㎏、第一試技です』
という進行役の声が入る。
そこで観客が今までにない歓声を上げた。
それはそうだ。
最後に名前を呼ばれるのは、最も重い重量から始める強者だけなのである。
誰もが一度は呼ばれてみたいものでもあろう。
歓声が沸き上がらないはずがない。
そう言う私も、自分が選手でもないのに、密かな高揚感を覚えるのであった。
マサユキのスナッチの第一試技は、大きな問題もなく成功を収めた。
肘もしっかり伸び、そしてしっかり立ち上がることもできた。
マサユキはいつも無表情で試技を行う。
それが面白くて、ユキオが時々それをからかうのだが、今回もマサユキの試技が終わると、バックヤードに戻った彼に
「相変わらず無表情だな」
と声を掛けているようだった。
マサユキは、試技では見せない苦笑いを浮かべるだけだったが、それを見て、マサユキの復活は順調なのだなと思う私だった。
そしてマサユキの後に試技を行う選手はいないので、このまま連続試技に入る。
連続試技の場合は、次の試技まで60秒ではなく120秒与えられる。
マサユキはこの間に呼吸をしっかり整え、自分のタイミングで次の試技を行う。
第二試技も問題なくこなしていた。
当たり前のように軽く上げ、無表情のままバックヤードに去っていく。
そしてまた120秒のインターバルに入る。
進行役が30秒ごとに「残り90秒」などと告げる声が会場に流れる。
『ユガワ選手、次の重量は160㎏です』
カウントの間にスピーカーから流れてきた声に、私は非常に驚いた。
それだけ調子がいいのか、無理はしないで欲しいけど、だが楽しみだ、なんて心の中で思いながら、プレートが付け替えられる場面をじっと見ていた。
そしてステージには160㎏にセットされたバーベルが鎮座している。
その光景に、誰もが期待に胸を躍らせた。
マサユキは特に格好つける訳でもなく、緊張する素振りを見せることなく、いつものようにバックヤードから出てきた。
そしていつものようにバーベルを握り、そしていつものようにバーベルを引き上げる。
しかし、バーベルはマサユキの頭上では止まらずに、彼の背後に落ちていった。
『第三試技、失敗です』
その言葉に会場からはため息が聞こえてくる。
しかしマサユキはというと、その時は無表情ではなく、軽く笑った表情を見せていた。
これは明らかに、チャレンジしに行った試技だったのだと、私からはそう見えた。
「遊び心があるのはいいことだけど、体を痛めてなければ良いな」
録画に入らないよう心の中でそうつぶやいた私は、そこでカメラをいったん止め、電池残量が不安だったので予備のものに取り換えるのであった。
◇
私はそのままカメラの傍で、クリーン&ジャークの試技を見ることにした。
この場所は、朝一番に私が確保した、しっかりと選手を撮影できる場所でもある。
私はカメラのことを理由に、そこに居座りながら、また写真も撮るんだという名目も作り、マサユキの階級の試技を最後まで見ていた。
クリーン&ジャークも、マサユキは最後の試技だった。
すべての選手が第三試技までクリーン&ジャークを終え、その後にマサユキの名前が呼ばれる。
第一試技は176㎏から始めるようだ。
マサユキは相変わらずの無表情で、いつものようにバックヤードから出てきて、いつものようにバーベルを握る。
クリーン&ジャークでは、バーベルを肩の高さまで上げるクリーンという動作のあと、一気に頭上へ差し上げるジャークという動作を行う。
一試技で二つの動作を行うのが、このクリーン&ジャークだ。
マサユキはこちらも強いことで有名である。
クリーンで安定した動きで肩まで持ち上げ、そして立ち上がる。
176㎏もあれば、バーベルがしなってしばらく揺れる。
それが止まるのを待ち、そこからジャークを行う。
バシン!
ステージの堅木を踏むマサユキの乾いたステップが、会場の中に響き渡る。
皆がマサユキのことを見ている。
マサユキはそんなことを気にすることもなく、前後に開いた足を落ち着いた動きで揃え、フィニッシュの立ちポーズを決めている。
判定は三名の審判員すべてが「白」、つまり成功。
会場からは大きな拍手が沸き起こった。
マサユキはバーベルを丁寧に床に下ろす。
肩まではバーベルをしっかり持ち、その後は手をそっと離す。
バーベルはその重さで大きな音を立てて落ちるが、その後バーベルが転がっていかないように、マサユキはそっとバーベルに手を添える。
その所作が美しく決まったところで、第一試技成功という結果を持ち、バックヤードに下がっていく。
「やっぱりマサユキのクリーン&ジャークはいいなぁ」
私は思わず声に出してつぶやく。
次の試技は何キロを持ち上げるのか楽しみだと思っていると、120秒後の重量である180㎏が告げられた。
会場のみなと共に、マサユキの登場を今か今かと待つ。
『30秒経過、残り90秒です』
さすがにまだ出てこないだろうと、カメラの微調整をして待つ。
『60秒経過、残り60秒です』
いつ出てきてもいいように、ステージを見ている。
『90秒経過、残り30秒です』
いよいよだろうが、結構ぎりぎりまで体力温存か、なんて思っていると
ブーーー!!
と、カウント終了のブザーがその存在感を示しながら鳴った。
『ユガワ選手、第二試技失敗です。なお、第三試技はパスにより、この階級の試技はすべて終了です』
進行役の声と共に、マサユキの階級の全試技はあっけなく終了を迎えたのであった。
「これも戦略なのか」
私はただただ心の中で感心をし、カメラの録画ボタンをオフにするのだった。
◇
「優勝おめでとうございます!!!」
バックヤードから選手控室に戻ってきたマサユキに、私は明るく声を掛けた。
「ありがとう、この記録なら、おそらく世界ランキングでもそこそこの順位を保てるし、良い形で終われたと思う」
マサユキは私にそう答えてくれた。
ユキオは彼の隣で穏やかな表情をしていた。
「最後は無理しなかったんですね」
私がそう言うと
「今回は優勝できて、且つ次の大会に向けた記録を残せればそれで良かったからね」
マサユキは言うが
「それでもスナッチの160㎏の挑戦はしてましたけどね」
と笑って言うと、マサユキも一緒になって笑っていた。
「あの挑戦をさせた分、クリーン&ジャークはあの形にしたんだけどね」
隣にいるユキオがそう答えてくれた。
「160㎏はまだまだハードルが高いとは思ったけどね。でもあれが取れないと世界とは戦えないから」
そんな風に言うマサユキの表情は清々しい。
それもそうだ。
ケガからの復活で、記録を残すために一位が必要な大会を無事に終えたのだ。
冷静に考えれば、普通に優勝するよりもすごいことなのだろうと、私は思う。
「ところで、僕の試技の動画はいつ見れるようになる?」
マサユキは今日の自分のパフォーマンスが非常に気になるようだ。
「取材記事として公開する前にお見せします。できるだけ急ぐので二、三日お待ちください」
「楽しみにしてるよ」
そして自分の試技が終わったマサユキは、自分の荷物をまとめている。
この後、友人である選手の試技を見てからすぐに帰る予定のようだ。
「そうだ、賞状とトロフィーをしまう前に写真を撮らせてください」
私はそう言い、すでに首に下げていた一眼レフのカメラを構える仕草をする。
「そうだな、取材だもんな。良い男に撮ってくれ」
「後で美肌加工しときます」
「頼んだ」
そしてマサユキは、今日の大会の結果でもある賞状とトロフィーをかっこよく抱えてポーズを取る。
「では行きますよ~。ハイ、チーズ」
それに合わせて表情を引き締めるマサユキ。
しかし所々に安心感からくる笑顔をこぼしている。
私はシャッターを押し続け、その様子を連写する。
「はいOK。すでに良い男に撮れましたよ」
「元が良いですからね」
マサユキがそう言うと、ユキオと私と三人で楽しく声をあげて笑いあった。
◇
その後、マサユキが友人の試技を見終えたのが16時過ぎ。
マサユキとユキオ、そして私は同じ新幹線で帰るため、大急ぎで駅に向かおうとする。
しかしバスはすでになく、やむなくタクシーを呼び、なんとかギリギリで新幹線に乗ることができた。
私は帰りの新幹線の中で、今日の大会の出来事を振り返っていた。
マサユキがケガから無事に復活できたのは何よりであった。それが第一である。
無事に取材が行えて、良い記事が書けそうなのも良かった。
ただ、重量挙げの大会の運営については、違う角度から記事をまとめたくなった。
あのようなめったに見られない出来事を、礼儀ということだけで自分の心にしまっておくのはもったいない気がした。
また、選手の活躍だけではない重量挙げの世界を知ってもらうことも、記者の役目なのではないかと思った。
誰も知らない裏側を、今日のような出来事を記事にする。
それを読み、誰がどう思うかはわからない。
ただ、あの現実は、記事にすべきことなのだろうと、新幹線の窓から何も見えない、真っ暗闇を見ながら、そう思うのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。
今回は、これまでとはまったく違うジャンルとして、重量挙げの大会を舞台に書いてみました。
オリンピックで目にすることはあっても、ルールや大会の雰囲気まではあまり知られていない競技だと思います。試技の順番、一分のカウントダウン、肘のわずかな曲がりで分かれる判定。そうした細かいところも含めて、会場の空気を感じていただけたらうれしいです。
華やかな勝ち負けの陰に、記事にならない出来事がある。そんな話を書きたいと思いました。
※本作はフィクションです。登場する人物・団体・大会は、実在のものとは関係ありません。
ほかにもファンタジーやSFなど、まったく違う味の作品を書いています。よろしければ作者ページからどうぞ。




