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スターリンの娘に転生したけど、周りの男が消えていくのですが

作者: AYASHI
掲載日:2026/04/25

父がスターリンだった。


いや、正確に言うと、私がスターリンの娘だった。


目が覚めたら知らない天井。

知らない部屋。

知らない寝間着。

そして鏡の中には、知らない少女。


ここまでは、まあ転生ものとして理解できる。


問題は、その日の朝食だった。


長い食卓の向こうに、世界史の教科書で見た顔がいた。


太い眉。

口ひげ。

やたら圧のある目。


ヨシフ・スターリン。


私はスープを飲むふりをしながら、心の中で静かに叫んだ。


よりによってそこ?


異世界転生なら、王女とか公爵令嬢とか、もう少し選択肢があったはずだ。

なのに、なぜソビエト。

なぜクレムリン。

なぜ父親が粛清の代名詞なのか。


人生二周目にして、難易度設定がバグっている。


とはいえ、なってしまったものは仕方がない。


私はスヴェトラーナ・アリルーエワ。


スターリンの娘。


歴史の知識がある現代日本人としては、この立場が危険なことくらい分かっている。


分かっているので、私は慎重に生きることにした。


政治の話はしない。

父の機嫌を損ねない。

知らない将校には笑いかけない。

余計なことは言わない。


完璧な方針だった。


三週間で破綻した。


原因は、図書館だった。


モスクワの冬は、思っていたより白い。


空も、道も、建物も、歩く人の顔色まで、全部が雪に薄められているみたいだった。


家にいると息が詰まる。


部屋は広い。

家具は立派。

食事も温かい。


でも、廊下にはいつも誰かがいる。


護衛なのか、使用人なのか、監視なのか。

たぶん全部だ。


そんな家から少しだけ離れられる場所が、図書館だった。


本棚の間にいる時だけ、私はスターリンの娘ではなく、ただの一人の女の子でいられる気がした。


そこで、アレクセイに出会った。


最初は本当に、ただの偶然だった。


高い棚の本を取ろうとして、踏み台の上でぐらついた。


まずい。


これは落ちる。


そう思った瞬間、後ろから手が伸びてきた。


「危ない」


青年が本を支えてくれた。


ついでに、私の肘も支えてくれた。


「ありがとう」


「いえ。本が落ちそうだったので」


「私じゃなくて?」


「え?」


「本が?」


青年は真面目な顔で固まった。


それから、数秒遅れて言った。


「……あなたも、です」


私は笑ってしまった。


この人、ちょっと面白い。


ソ連にもこういう男子いるんだ。


いや、当たり前か。

世界史の教科書に載っていない人たちも、この世界では普通に生きている。


「あなた、学生?」


「はい。モスクワ高等技術学校で、機械工学を学んでいます」


「機械工学。すごい」


「そうでしょうか」


「うん。絶対モテない感じがする」


「え」


「あ、違う。褒めてる」


「今のは褒め言葉なのですか」


「現代日本では、たぶん半分くらいは」


「ゲンダイ……?」


「なんでもない」


危ない。


うっかり前世ワードを出すところだった。


青年は不思議そうに私を見ていたけれど、それ以上は聞かなかった。


いい人だ。


聞かない優しさがある。


この国では、それが優しさなのか、単なる生存戦略なのかは、まだよく分からないけれど。


「あなたの名前は?」


聞かれて、私は一瞬止まった。


スヴェトラーナ・アリルーエワです。

スターリンの娘です。


そんな自己紹介、絶対に空気が死ぬ。


というか、場合によっては相手の人生も死ぬ。


だから私は、とっさに言った。


「ラーナ」


「ラーナさん」


青年は、私の名前を丁寧に繰り返した。


少しだけ胸が温かくなった。


スヴェトラーナではない。

スターリンの娘でもない。

ただのラーナ。


それが、思っていたよりずっと嬉しかった。


「あなたは?」


「アレクセイ・ミハイロヴィチ・オルロフです」


「アレクセイ」


私が名前を呼ぶと、彼は少しだけ目を逸らした。


分かりやすい。


この時代の男子、反応が純朴すぎる。


それから、私たちは図書館で何度か会うようになった。


約束はしていない。


でも、私が午後に行くと、アレクセイはだいたい同じ机に座っていた。


彼は機械工学の本を広げている。


私は詩集や小説を読んでいる。


たまに、言葉を交わす。


そのくらいの関係だった。


たぶん。


少なくとも、私の中では。


「詩って、逃げ場だと思うんだよね」


ある日、私がそう言うと、アレクセイの表情が少しだけ固まった。


「逃げ場、ですか」


「うん。現実が面倒な時に、ちょっと別の場所に行ける感じ」


「ラーナさん」


「なに?」


「そういうことは、あまり大きな声で言わないほうがいい」


「え、詩の話だよ?」


「詩の話でもです」


「ソ連、詩にも厳しい」


「言い方を変えましょう。詩は偉大です」


「急に模範解答になった」


彼は咳払いした。


私は笑った。


その時の私は、本当に笑っていた。


彼が何を警戒しているのか、ちゃんとは分かっていなかった。


アレクセイは優しい。


でも、少し心配性だ。


そう思っていた。


ある日、彼のノートを覗き込むと、歯車や配管や、よく分からない数字がぎっしり書かれていた。


「これ、全部分かるの?」


「分からなければ困ります」


「すごいなあ。私、こういうのを見ると、どこか遠くまで行けそうな気がする」


「機械で、ですか?」


「うん。汽車とか、船とか、飛行機とか」


「飛行機はまだ危険です」


「夢がない」


「技術者なので」


「じゃあ、アレクセイとなら安全にどこへでも行けそう」


言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。


あれ。


今の、ちょっと告白っぽくなかった?


アレクセイは耳まで赤くなっていた。


分かりやすい。


とても分かりやすい。


私は慌てて本に視線を戻した。


文字は一つも頭に入ってこなかった。


その夜、自室の机に向かって、私は本を開いた。


けれど、文字は少しも頭に入ってこなかった。


思い出すのは、図書館の机。

歯車と配管の図面。

真面目すぎる横顔。

そして、私の言葉に耳まで赤くなったアレクセイの顔。


私は頬杖をついた。


まずい。


これは、まずいのではないか。


友達。

たぶん友達。

少なくとも、まだ友達。


そう自分に言い聞かせたけれど、胸の奥が妙に落ち着かなかった。


もし次に会ったら、どんな顔をすればいいのだろう。


「じゃあ、アレクセイとなら安全にどこへでも行けそう」


あの言葉を思い出して、私は机に額を押しつけた。


重い。


あれは重い。


現代日本でもまあまあ重い。


ましてや私はスターリンの娘である。


恋愛感情の政治的質量が重すぎる。


私はため息をつき、窓の外を見た。


モスクワの夜は白かった。


雪が降っている。


彼は今ごろ、どこで何をしているのだろう。


そんなことを考えている時点で、もうだいぶ危ない気がした。


それから数日、アレクセイは図書館に来なかった。


最初の日は、少し残念に思った。


二日目は、風邪でも引いたのかなと思った。


三日目は、もしかして避けられているのかもしれないと思った。


四日目には、私は本を読むふりをしながら、入口ばかり見ていた。


来ない。


アレクセイは来ない。


やっぱり、あの台詞がまずかったのだろうか。


アレクセイとなら、安全にどこへでも行けそう。


いや、何その信頼。


普通に重い。


機械工学の男子に背負わせる荷重ではない。


その日の夕食で、父が急に言った。


「スヴェータ」


「はい」


「友人は選びなさい」


私はスプーンを止めた。


来た。


父親の交友関係チェック。


ただし、うちの場合は言葉の重みが異常である。


普通の父親なら、

「あの男はやめておけ」

くらいで済む。


うちの父は、

「あの男は存在していたか?」

まで行きかねない。


いや、さすがにそれは考えすぎか。


考えすぎだよね?


「友人くらい、自分で選べます」


父は新聞から目を上げた。


「自分で選ぶからこそ、慎重に選ぶのだ」


「お父さん、心配しすぎです」


食卓の端に立っていた給仕の手が、少し震えた。


なぜ震える。


親子喧嘩くらい、どこの家庭にもあるでしょう。


たぶん。


この家庭を一般家庭に含めていいかは、やや議論が残るけれど。


父は淡々と言った。


「近づいてくる者のすべてが、善意とは限らない」


「でも、悪い人ばかりでもないです」


「それを見分けるのは難しい」


「じゃあ、私ずっと家にいろってこと?」


「それが最も安全ではある」


「最悪」


思わず口に出た。


給仕の皿が、かすかに鳴った。


父は少しだけ目を細めた。


私は慌ててスープを飲んだ。


まずい。


今のは前世の女子高生感覚が出た。


スターリンの娘としては、たぶん口が軽い。


でも父は怒らなかった。


ただ新聞を広げ直し、短く言った。


「安全を軽んじる者から、順に危険に近づく」


言い方がいちいち重い。


私は内心でため息をついた。


お父さん、過保護すぎ。


父は新聞を読んでいる。


私はスープを飲む。


部屋の外では、雪が降っていた。


どこか遠くで、車のエンジン音が聞こえた。


黒い車が一台、夜のモスクワを走っている。


その車がどこへ向かうのか、私は知らない。


誰を乗せているのかも知らない。


アレクセイが今どこにいるのかも、もちろん知らない。


ただ、少しだけ拗ねていた。


彼はどうして来ないのだろう。


私の言葉が重かったのだろうか。


それとも、本当に忙しいだけなのだろうか。


私はスープを口に運びながら、そんなことを考えていた。


父は新聞を読んでいる。


食卓は静かだった。


外では雪が降っている。


モスクワの夜は、白く、深く、そして穏やかだった。


少なくとも、私にはそう見えていた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「同志オルロフ」


その呼び方を聞いた瞬間、アレクセイは自分がもう助からないのだと理解した。


この国で、見知らぬ男から丁寧に"同志"と呼ばれる時。

それは、たいていの場合、仲間としてではない。


処理対象としてだ。


部屋は狭かった。


窓はない。

壁は灰色。

天井から吊るされた裸電球が、わずかに揺れている。


その光の下に、机が一つ。

椅子が二つ。

ストーブはあるが、火は入っていなかった。


寒い。


だが、寒さよりも耐えがたいものがあった。


隣の部屋から、ときおり低い声が聞こえる。


叫び声ではない。

叫び声なら、まだ人間らしかった。


聞こえてくるのは、声にならない息。

喉を潰された者が、それでも何かを否定しようとしている音だった。


そのたびに、尋問官はペンを止める。

耳を澄ませるでもなく、ただ待つ。


慣れているのだ。


この建物では、人が壊れる音も、時計の秒針と大して変わらない。


「名前」


尋問官が言った。


「アレクセイ・ミハイロヴィチ・オルロフ」


「所属」


「モスクワ高等技術学校、機械工学科」


「党歴」


「ありません」


尋問官は初めて顔を上げた。


「党歴なし」


隣に立つ記録係が、乾いた音でそれを書き留めた。


カリ、カリ、カリ。


その音がやけに大きく聞こえた。


「父親は?」


「ミハイル・オルロフ。鉄道工場勤務。内戦時、赤軍に――」


「こちらが聞いたことだけに答えなさい」


「……はい」


尋問官は、机の上の書類を一枚めくった。


紙の束。

誰が書いたのか分からない報告書。

誰かの署名。

誰かの密告。

誰かの保身。


アレクセイの人生は、すでに彼の知らないところで書き終えられているようだった。


「君は、自分がここにいる理由を理解しているか」


「いいえ」


「本当に?」


「本当に、分かりません」


尋問官は笑わなかった。


怒りもしなかった。


ただ、机の引き出しを開けた。


そこから一枚の便箋を取り出し、アレクセイの前に置いた。


安物の紙だった。


モスクワの雑貨店で買ったものだ。

彼の部屋の机に入れてあった。

誰にも渡していない。


その紙が、ここにある。


その事実だけで、アレクセイの胃が冷たく縮んだ。


「これは君が書いたものだね」


アレクセイは便箋を見た。


見覚えがある。

ありすぎるほどある。


昨夜、震えるような気持ちで書いた。

恥ずかしくなって、引き出しにしまった。

宛名も書けなかった。


ただの恋文。


届けることすらできなかった、若者の愚かな紙切れ。


尋問官は、その一文を指で叩いた。


君がそう言ってくれた時、僕は本当に、君とならどこへでも行ける気がした。


「これは何を意味する」


「……恋文です」


記録係のペンが止まった。


部屋の空気が、ほんの少し変わった。


尋問官はようやく、かすかに口元を動かした。


笑ったのではない。


何かを確認しただけだ。


「恋文」


「はい」


「誰への?」


アレクセイは答えなかった。


裸電球が揺れている。


遠くで扉が開く音がした。

誰かが廊下を引きずられていく音がした。


靴底ではない。

足が床を擦る音だった。


尋問官は静かに続けた。


「誰への手紙かと聞いている」


「……ラーナという女性です」


「姓は?」


「知りません」


「住所は?」


「知りません」


「所属は?」


「知りません」


尋問官はペンを置いた。


その音は、小さかった。

だがアレクセイには、拳銃の撃鉄が起きた音のように聞こえた。


「君は、姓も住所も所属も知らない女に、"どこへでも行ける"と書いたのか」


「そうです」


「なぜ」


「彼女を……好きになったからです」


沈黙。


今度の沈黙は長かった。


壁の向こうで、誰かが小さく咳き込んだ。

それから、咳は途中で止まった。


尋問官は、便箋を指で撫でた。


「彼女が、そう言ったのか」


アレクセイは唇を噛んだ。


答えてはいけない気がした。


だが、答えないこともまた、何かを隠している証拠にされる。


この部屋では、沈黙すら自分のものではなかった。


「……はい」


「彼女は、君とならどこへでも行ける、と言った」


「そういう意味ではありません」


「では、どういう意味だ」


アレクセイは言葉に詰まった。


あれは、図書館での会話だった。


機械の図面を見て、彼女が笑った。

汽車や船や飛行機の話をした。

技術者なら安全にどこへでも行けそうだと、冗談めかして言った。


ただそれだけだった。


ただそれだけの、少し恥ずかしくて、少し嬉しい会話だった。


けれど、この部屋に持ち込まれた瞬間、それはもう会話ではなくなっていた。


尋問官は便箋を持ち上げた。


「"どこへでも行ける"。これは国外逃亡の意思表示とも読める」


「違います」


「"君となら"。これは協力者の存在を示しているとも読める」


「違います」


「彼女自身がその言葉を口にした。つまり、君たちは逃亡について話し合っていたとも読める」


「違います!」


声が大きくなった。


その瞬間、記録係が顔を上げた。


尋問官は何も言わなかった。


ただ、アレクセイを見た。


その目を見て、アレクセイは理解した。


ここでは、否定も記録される。


沈黙も記録される。


震えも、汗も、息を呑む音も、すべて何かの証拠になる。


この部屋では、無実でいる方法がない。


尋問官は、便箋を机に置いた。


「君は、彼女をラーナと呼んでいたそうだな」


アレクセイは顔を上げた。


「……はい」


「可愛らしい呼び名だ」


尋問官は淡々と言った。


「だが、ここでは正確な名前を使う」


記録係のペン先が、紙の上で止まった。


尋問官は、アレクセイの目を見たまま言った。


「スヴェトラーナ・ヨシフォヴナ・スターリナ」


その名前が、部屋の空気を変えた。


いや、変わったのは空気ではなかった。


アレクセイの中にあった世界の形が、音もなく崩れた。


スヴェトラーナ。


スターリナ。


同志スターリンの娘。


ラーナ。


赤い手袋の少女。

図書館の踏み台でぐらついた少女。

詩を逃げ場だと言った少女。

機械の図面を覗き込んで、どこか遠くまで行けそうと笑った少女。


彼女が。


まさか。


尋問官は、アレクセイの表情を見ていた。


見逃さなかった。


「知らなかった、という顔だな」


アレクセイは震える声で言った。


「……本当に、知りませんでした」


「いつ知った」


「今、初めて……」


「嘘だ」


「本当です」


「嘘だ」


尋問官は同じ調子で繰り返した。


怒号ではない。


むしろ退屈そうだった。


この部屋では、真実など新鮮味のない素材にすぎない。

必要なら切り刻み、必要なら煮詰め、必要なら別の名前を貼る。


「君は同志スターリンの娘に接近した」


「違います」


「恋愛を装った」


「違います!」


「家族を通じ、党中枢への接触を試みた」


「違う!」


「反党分子との関係を隠している」


「違います!」


「トロツキー派の指示を受けていた」


「違うと言っている!」


アレクセイの叫びは、壁に吸い込まれた。


隣の部屋で、誰かが笑った。


いや、泣いたのかもしれない。


もう区別がつかなかった。


尋問官は便箋を丁寧に折り畳んだ。


まるで貴重な資料を扱うように。


「恋文だと言ったな」


「……はい」


「では聞こう」


尋問官は顔を近づけた。


「君は、同志スターリンの娘を愛しているのか」


その問いが、アレクセイの喉元に刃物のように当たった。


はい、と言えばどうなる。


国家指導者の娘を欲した男になる。


いいえ、と言えばどうなる。


彼女を弄んだ男になる。


沈黙すればどうなる。


何かを隠している男になる。


答えがない。


この問いには、正解がない。


正解のない問いを出されること。

それが、この国の尋問だった。


アレクセイは、唇を開いた。


何も言えなかった。


尋問官は満足したように、椅子に戻った。


「記録しろ」


記録係がペンを構えた。


「被疑者は質問に対し、黙秘」


「違う……」


アレクセイはかすれた声で言った。


「黙秘じゃない。答えられないだけです」


尋問官は首を傾げた。


「同じことだ」


記録係のペンが走る。


カリ、カリ、カリ。


アレクセイはその音を聞きながら、ようやく分かった。


人は銃で殺される前に、まず文章で殺される。


調書。

報告書。

密告。

供述。


そこに一度書かれてしまえば、現実のほうが後から追いついてくる。


尋問官は立ち上がり、部屋の扉へ向かった。


扉を開ける前に、振り返った。


「同志オルロフ」


アレクセイは顔を上げた。


「君が無実かどうかは、さほど重要ではない」


それは、これまで聞いたどんな脅しよりも恐ろしい言葉だった。


尋問官は続けた。


「重要なのは、君を無実にしておく理由があるかどうかだ」


扉が閉まった。


裸電球が揺れていた。


机の上には、彼の恋文が残されている。


もう恋文ではない。


反逆の証拠。

国外逃亡の計画。

トロツキー派との連絡文書。

同志スターリンの家族に対する不審接近。


何にでもなれる紙だった。


だからこそ、恐ろしかった。


アレクセイは椅子に縛られたまま、初めて彼女の本当の名を知った。


ラーナではない。


彼女は、スヴェトラーナ。


そして彼女の父は、この国で最も多くの沈黙を所有する男だった。


ヨシフ・スターリン。


その名を思い浮かべた瞬間、隣の部屋から乾いた音がした。


一発。


銃声だった。


記録係は顔も上げなかった。


アレクセイは、その時ようやく理解した。


自分は恋をしたのではない。


国家の心臓に、素手で触れてしまったのだ。

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