シャツガエルを巡る株主総会
1.
アニメ制作会社・東京フィルムの事務所に、一本の電話が入った。
電話の主は藤田テレビの制作担当者である。
用件は、現在「少年シャンプ」誌で連載中の人気漫画「シャツガエル」のアニメ化の依頼であった。
「シャツガエル」という作品は、少年・たけしのシャツに描かれたカエルが、ある日突然、魔女の魔法によって命を得てしまうという奇抜な設定である。
カエルは人間のように話し、食事を楽しみ、さらには恋もする。
豊かな感情を持っていても、シャツの布地から抜け出すことは決してできない。
そのユーモラスでありながらも、どこか哀愁を帯びた不思議な物語が少年少女たちの心をくすぐった。
2.
ある日の午後、東京フィルムの社屋に、出版社の担当者がやってきた。
すぐにプロデューサー・滝沢明のいる応接室に通された。
滝沢は目の前に差し出された単行本をぱらぱらと手際よくめくりながら、ふと顔を上げて担当者に質問した。
「魔法でシャツの中のカエルが動くのはいいとして、この恭子ちゃんという子は、途中から転校してくるんですね?」
「ええ。当社は有名漫画家を他社に取られた後発組でしてね。
新人を多く起用している分、打ち切りも早いんです。
『シャツガエル』も5回で終わらせるつもりでした。
恭子ちゃんを転校させたら人気が出まして。
その勢いで藤田テレビさんからアニメ化の話を頂いたんです」
「なるほど、ラブコメにしたんですね」
「そうです」
滝沢は単行本のあるページを指で押さえながら言った。
「第1話は使いたい。
カエルが女の子の弟を池で助け、それをたけしが助けたと勘違いする。
それがなければ、作品の魅力が成り立たない」
「私もそう思います」
「そのあと恭子ちゃんが転校してきて、たけしと仲良くなる。
恭子は優等生で、たけしは劣等生だ。
そのギャップもいい。
でも、その後で恭子ちゃんに弟が生まれる話があるんですよね」
「それが何か?」
出版社の社員は不審な顔をした。
「アニメでは、最初から恭子ちゃんを出したい。声優は今、人気絶頂の栗田よう子さんを考えています」
「栗田さんならぴったりです」
「問題は、第1話で弟がすでにいるのに、そのあとで弟が生まれる話をやると矛盾することです。視聴者は気づきますよ」
「では、最初から弟がいる設定にしては?」
「原作には出てこないし、たけしには三郎という弟分がいる。話が混乱します」
担当者は面倒くさくなった。
「もう、全部お任せしますよ。アニメのことは素人ですから」
滝沢は第1話から恭子を登場させ、人気声優・栗田よう子を配役に据えた。
物語は、カエルが恭子の弟を池で助け、たけしが助けたと勘違いして、たけしを抱きしめる展開である。
少年アニメでキスシーンはご法度だが、抱擁ならば許される。
そのささやかなハグが、少年たちの胸を熱くした。
「こんなガールフレンドをボクも欲しいな」と思ったのである。
アニメ「シャツガエル」は大ヒットし、視聴率は25%を記録し、一躍、藤田テレビの看板番組へと成長した。
物語の中で恭子の弟が再び登場することはなかった。
漫画の方でも、カエルは次第に居眠りをするようになった。
カエルの話など、そうたくさん描けるはずがない。
女教師と寿司屋の竹さん、北先生による三角関係のエピソードが中心になっていった。
アニメも脚本家の自由なアレンジが加わり、原作からどんどん逸脱していった。
恭子に弟が生まれる話を脚本家が書いてしまった。
滝沢もその設定矛盾をすっかり忘れていた。
放送後、ネット上では「恭子には最初から弟がいたはずだ」という指摘が一気に拡散し炎上した。
3.
その騒動の報せを聞いた総会屋・森田は、ベッドの上で若い女に呟いた。
女は湯上がりで、まだ濡れた髪をタオルでまとめている。
白い肌には湯上がりの熱がうっすらと残り、頬が紅潮していた。
「明日は藤田テレビの株主総会だ。ちょっと名を上げてやる」
「アニメの話で?」
「細工は流々さ。まあ見てな」
翌日、総会の壇上で森田は声を張り上げた。
「第1話で恭子の弟が出てくるのに、なぜ後で弟が生まれる話をやったのか?」
会場がざわめく中、藤田テレビの常務は落ち着いた口調で答えた。
「少年向けアニメでは、このようなことは珍しくありません」
「それはどういう意味だ?」
「そこまで細かく見る人は少ないという意味です」
「原作では他の女の子の弟を助ける話だろう。
それを恭子の弟に変えたのはいい。
だが、恭子に弟が生まれる話を使うのはおかしいじゃないか!」
常務は言葉に詰まり、代わって社長が立ち上がった。
「すべての責任は私にあります。後日、謝罪会見を行います」
「今、ここでやれ」
森田が怒鳴った。
「この番組は、東京フィルムへの委託なので、後日行います」
数日後の午後、都心のホテルの一室には記者たちのざわめきが充ちていた。
藤田テレビの社長は中央に座り、高級スーツに藤田テレビのバッジが煌めいている。
顔には深い疲労の色が浮かび、口元は固く結ばれていた。
その隣には、地味なグレーのスーツで身を整えた東京フィルムの滝沢が座っている。
会場にはシャッター音だけが、無数の問いかけのように響いた。
藤田テレビの社長が、謝罪会見を始めた。
「少年シャンプ様の原作では、女の子の溺れた弟をカエルが助けます。その後に恭子ちゃんが転校してきて、のちに弟が生まれる話が出てきます」
社長の額には汗が滲み出す。
「原作には何の矛盾はありませんが、アニメでは第1話から恭子ちゃんを出しました。恭子ちゃんは、重要なキャラクターで、第1話から出すのが、アニメでは常道であります」
カメラのフラッシュが社長が流す汗を照らし出す。
「そのあと、脚本家が恭子ちゃんの弟が生まれる話を書いてしまいました。混乱を招いたことをお詫びします」
社長と滝沢は立ち上がって、深々と頭を下げた。
「シャツガエル」の放送は、わずか1年でその幕を閉じた。
4.
この騒動を耳にした別の総会屋・浅沼が、今度は旭野テレビの株主総会で大声を張り上げた。
「『狂人の星』では、主人公の左手は神経が切れて動かなくなったはずだ。それなのに、『新・狂人の星』では、なぜバッティングができるのか!」
常務は淡々と、自信を持って答えた。
「この作品は『続・狂人の星』ではなく、『新・狂人の星』です。続ではなく、新であります。
的場浩司も元は先輩だったのに、ただの友人ということに変わっており、右門選手の妻も杵川組に追われる話が出てきません。
手のことだけを問題にするのは片落ちであります」
浅沼は反論できず、会場は静かに幕を閉じた。
夜が更け、重役たちは都心の古びた料亭に集った。
彼らは、無事に株主総会を終わったので祝杯を上げた。
「見事な答弁だったな、常務」
社長が声をかけた。
「恐縮です。原作の梶脇先生に教えてもらいました」
常務はその功績を認められ、専務に昇格した。
古池に蛙が飛び込む水の音がポシャリと響いた。




