平凡が踏み出す最初の改革
異世界に来て一週間が過ぎた。
けれど“生活”という意味では、私たちはまだ最初の一歩を踏み出したばかりだった。
明日香さんの「風呂入りたいんじゃぁぁ!!」事件から一夜明けた朝。
拠点の空気はしんと静まり返っていて、全員が考えていることは同じだった。
昨夜の騒ぎは半分冗談、半分本気。
トイレは土を掘っただけの穴。
お風呂なんて影も形もない。
魔物は危険。
食糧は限られている。
水はあるけれど、飲むのも慎重にしなきゃいけない。
「清潔に暮らす」——そんな当たり前が、この世界では当たり前じゃない。
それをようやく全員が痛いほど理解しつつあった。
⸻
昨日、村人から“生活魔法”の話を聞いた。
光、火、水、風をほんの少し操る、いわば便利家電の代わり。
使えるかどうかは、適性と慣れ次第らしい。
「光よ……灯れっ!」
明日香さんが指を突き出す。
すると——ぱちっと、小さな白い光が弾けた。
「見た!?今の絶対見たやんな!?うち天才ちゃう!?」
「……一応、成功に入ると思うわ。」
白河さんはいつも通り淡々としている。
吉瀬さんは指先に火花を散らし、
篠宮さんは手のひらに小さな風を生み、
岩城さんの周囲の土は、ふわりと柔らかくなった。
(みんな……飲み込み早すぎん……?)
私はそっと息を吸い、手を重ねてみる。
「光……出て……?」
胸の奥が“ざわ”っと揺れ、空気がひと呼吸だけ震えた。
けれど——手のひらには何も起きない。
(……なんでやろ。いやなんで“やろ”って、私なんで関西弁出てるん……)
胸の奥の反応が、ただの失敗とは違う“何か”を告げている気がした。
⸻
午前の練習が終わると、吉瀬さんが木板をテーブルに置いた。
【公衆トイレ】
【共同浴場】
二つの文字が、どんと書かれている。
「今日から、村の生活を改善するための計画に入る。
まず優先すべきはこの二つだ。」
白河
「衛生環境が整えば、病気の発生率も下がる。薬学的にも重要ね。」
篠宮
「家畜にも関わりますし……村の人の安心にもつながります。」
岩城
「……風呂、作れる。」
明日香
「ウチが爆発する前にほんま頼むで!!」
珍しく——全員の意見が一致した。
(大きいことやけど……私でも、何か手伝えるんかな……)
胸の奥がきゅっと苦しくなる。
でも、引き返す気持ちはもうなかった。
⸻
長老レイナスの小屋は、木の香りが濃く、静けさの奥に重みがあった。
事情を説明すると、長老はすぐには答えず、指先で机を静かになぞった。
しばらくして、ゆっくりと口を開く。
「……昔、この村には“魔石”があった。」
空気がわずかに張り詰める。
「熱を宿す魔石は浴場を照らし、
光の魔石は夜を守り、
浄化の魔石は水路を清めていた。
だが……長い時の中でその多くは失われた。」
祈祷のために残されたわずかな魔石は石室に保管されており——
「村の命を繋ぐ石ゆえ、軽々しく扱えぬ。
異邦の者に貸し出すことは、今はできぬ。」
白河さんが深く頭を下げる。
「理解しました。
……もし、私たちが信頼に足る行動を積み重ねたら——
考えていただけますか。」
長老は目を細め、じっとこちらを見つめた。
「村を想う心が本物なら……いずれ、石室の扉も開こう。」
胸が大きく脈打った。
(……まだ信用されてない。でも、チャンスはある……)
それだけで、十分前へ進める気がした。
⸻
小屋を出た瞬間、明日香さんが大きく背伸びをする。
「……よっしゃ。やるしかあらへんわ。」
白河さんは空を見上げ、
篠宮さんはすでに作業手順を考え、
岩城さんは静かに拳を握り、
吉瀬さんはもう次の予定を決めていた。
そして私は——胸に手を当てる。
(村に受け入れてもらえるかどうかは……これからの行動次第なんや。)
風が吹き、世界樹のざわめきがかすかに揺れる。
まるで背中を押してくれるみたいだった。
⸻
拠点へ戻る途中、吉瀬さんが短く言った。
「明日から三班に分かれて調査に入る。
できることを一つずつ見つけていこう。」
誰も否定しなかった。
異世界に来て一週間。
初めて“自分たちの役割”が見えた気がした。
(私も……ちゃんと、できるようになりたい。)
「……頑張ろう。」
小さくつぶやくと、胸の奥のざわめきがふわりと動いた。
まるで世界樹が——私に応えたように。
25.12.10
まさかの本日3話目です!
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