平凡に訪れた小さなざわめき
朝、目を開けた瞬間、まず感じたのは空気の“軽さ”だった。湿度も温度も日本と同じはずなのに、肺に入る質だけがまるで別物だった。昨日より少しだけ馴染んでいるのが不思議だ。
(……本当に異世界なんだ。)
静かに実感が落ちていく。
隣で明日香さんが、ごろんと寝返りを打ちながら言う。
「んぁ〜……なんか全然寝た気ぃせぇへんわ……」
朝から全力の関西弁に、むしろ安心する。
白河さんは髪をまとめながら、さりげなく私を見た。
「……体調、大丈夫?」
「はい。昨日ちょっと寝つけなかっただけで……今日は大丈夫です。」
「よかった。無理は禁物よ。」
その言い方は冷たくなく、淡々としていながらも優しさが滲んでいた。踏み込みすぎず、離れすぎず……ちょうどいい距離感がありがたい。
篠宮さんはすでに起きていて、器具を洗っている。
「朝の水は冷たいですね。でも、衛生面だけは気を付けないと。」
朝食は先行隊が残した乾燥パンと豆のスープ。質素だけど、温かいだけで安心する。
棚の中身を見れば、誰だってわかる。
「これ、一週間もたないな……」
吉瀬さんが真顔で言った。
「今日の行動方針を定めよう。
ひとつは村での情報収集。禁忌の範囲、生活環境、危険地帯、利用できる水源……必要な情報は多い。
そしてもうひとつは食料調達だ。先行隊の備蓄は限られているからな。」
淡々とした標準語なのに、自然と背筋が伸びる。
明日香さんが元気よく手を挙げた。
「じゃあ食料班、ウチ行きたい!動くほうが性に合っとるし!」
「動機はどうあれ助かるよ。」
吉瀬さんが微笑む。
結果、班はこう分けられた。
■情報収集班
吉瀬・白河・篠宮
■食料調達班
明日香・岩城・私
「岩城さん、木の実とか薬草の判別ってできますか?」
「……ある程度なら。」
相変わらず短い。それなのに圧倒的な信頼感があるのだから不思議だ。
⸻
森の縁まで来ると、空気がひんやりしている。湿度は低いのに、土の匂いの密度が濃い。
「ほら結衣ちゃん、あれ木の実ちゃう?青いけど食えそうな色やで!」
「色で判断するのは危険ですよ。」
篠宮さんの忠告が脳裏をよぎる。
私はそっと実を手に取った——その瞬間。
(……この土、乾いてる。でも、水の通り道がまだ生きてる……)
表面の固さ、湿度、空気の含み方。
それらが“言葉じゃなく感覚”として一気に流れ込んでくる。
(なんで……わかるの?)
手のひらがじんと熱を帯びる。
「どうかした?」
明日香さんが覗き込む。
「あ……いえ。ただ、土が……気になって……」
「この場所は……悪くない。」
岩城さんが突然しゃがみ、地面を掘った。
「水脈が近い。まだ……生きてる土だ。」
「生きてる……?」
言い方が胸にひっかかる。
「うまく扱えば、使える。」
結論だけを落とすような声。でも、その一言の重みは大きい。
(農耕が“完全に無理”ではない……?)
胸の奥が少し熱くなった。
⸻
夕方。拠点に戻ると、情報収集班が帰ってきていた。
吉瀬さんが大きな木板をテーブルに立てかける。
「では今日の情報を整理していこう。」
白河さんは淡々とノートを開く。
「村人との対話で、“禁忌”の具体的な範囲が少しわかったわ。
耕すこと、穴を掘ること、地面を大きく動かす行為……それらが強く恐れられている。」
篠宮さんも続ける。
「水場の位置や危険区域の話も聞けました。村には保存食文化がほとんどありません。」
そして岩城さん。
「……土が……眠ってる。」
「眠ってる?」
私は思わず顔を向ける。
「栄養が抜けてるのに……枯れた感じがしない。
本来の力が抑えられてるみたいだ。」
(抑えられてる……?)
言葉が胸に刺さる。
吉瀬さんが私に目を向けた。
「結衣、君はどうだった?」
「え、えっと……触った土の……状態が、少しだけわかるような……気がして……」
「“気がして”というのは?」
白河さんの視線が鋭い。
「……直感です。本当に。でも、乾いてはいるけど完全に死んだ土じゃない、というか……」
吉瀬さんは否定しない。
「直感も大事だよ。」
その言葉が胸にじんと染みた。
⸻
夜。外に出ると、冷たい風が吹いていた。遠くにそびえる世界樹は、昼よりも輪郭がはっきりしている。
(今日も……聞こえるのかな。)
見上げた瞬間、胸が軽く脈打つ。
(……ユイ……)
風に溶ける“声”。
耳ではなく、胸の奥に落ちてくる。
(なんで……私だけ……)
怖いのに、離れられない。
まるで——
眠っていた何かが、静かに目を覚ましていくようだった。
私はもう、“平凡の輪郭が揺らぎ始めた場所”に立ってしまっていた。
25.12.10
頑張って書いたけどだいぶ短い?




