平凡の中にある知識を
拠点の周囲は、朝から落ち着かない音に包まれていた。
木材が引きずられる音。
斧が入る乾いた響き。
束ねた竹を運ぶときの、軽い衝突音。
高床の柱はすでに数本立ち上がり、床を支える梁も形になりつつある。地面を深く掘らない構造だからこそ、作業は慎重だが、手順自体ははっきりしていた。
人が増えた。
それが、何より大きい。
「この梁は、もう少し内側に寄せた方がいいな」
「水路の溝は、そこから緩やかに下げよう」
「運ぶなら二人で持った方が早い」
村人たちは、誰かに命令されているわけでもなく、それぞれ判断しながら動いていた。
昨日のパンの一件以来、空気が変わったのを、結衣ははっきりと感じていた。
(……こんなに、違う)
ほんの数日前までは、遠巻きに見られているだけだった。
それが今は、同じ場所で汗をかいている。
「進み、早いですね」
結衣がぽつりと言うと、優奈が設計板から目を上げた。
「人手が増えたのと、目的が共有できているからね。作る理由が分かっている人は、動きが違う」
瞬は柱の間隔を測りながら、「精度も悪くない。即席にしては上出来だ」と短く評価した。
少し離れた場所では、グランが腕を組み、全体を睨むように眺めている。
「建物そのものは問題ねぇ」
低く言い切ってから、視線を横にずらした。
まだ何も置かれていない、仮設トイレ予定地。
床下の空間だけが、ぽっかりと空いている。
「だがな……」
その一言で、場の空気がわずかに引き締まった。
「問題は、後回しにしてる方だ」
結衣は、胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。
(……来た)
「廃棄、ですよね」
優奈が静かに応じる。
「流すところまでは、設計できる。水路、タンク、浮きの仕組みも技術的には可能。でも、その先。固体をどう扱うかは、決めきれていない」
瞬も頷いた。
「水と一緒に川へ流すのは、論外だ」
近くにいた村人たちも、自然と話に耳を傾けている。
「川は飲み水にも使う」
「後で問題になる」
「匂いが出るのも困る」
誰もが、感覚的に“まずい”ことは分かっている。
結衣は、無意識のうちに指先を握り込んでいた。
(……知ってる)
高校時代の実習。
畜産科で何度も向き合った、あの工程。
糞尿処理。
発酵。
熱。
嫌な記憶じゃない。
ただ、地味で、根気が要る作業。
「……あの」
結衣は、少しだけ呼吸を整えてから口を開いた。
「高校の実習で、動物の排せつ物を処理する設備を使ったことがあります。すぐに捨てるんじゃなくて、発酵させて、熱を出して、時間をかけて分解する方法です。匂いも、かなり抑えられていました」
言い切る勇気がなくて、少し慎重な言い方になった。
一瞬、静寂。
「……分解、か」
グランが低く呟く。
「つまり、途中をちゃんと管理するってことだな」
「そうですね」
優奈が理解を示す。
「完全に同じことはできなくても、考え方は応用できる」
そのとき、黒い外套の魔女が、輪の中に進み出た。
「若人、良いところに気づいたね」
柔らかな声で、場を見渡す。
「この世界でも理屈は同じだよ。腐るものは、やがて土に還る。嫌われるのは、途中の姿だ。匂い、見た目、触れたくなさ」
結衣の胸が、どくんと鳴る。
「なら、途中を隠し、制御すればいい」
魔女は続ける。
「容器で受け、空気の入りを調整し、熱を与える。浄化の魔石があれば、なお良い。最後に残るのは、土に近いものだ。それを森に還すか、作物の根元に戻す。信仰的にも、問題は起きにくい」
村人の一人が、小さく頷いた。
「……それなら、川は汚れないな」
「匂いも抑えられるなら、助かる」
グランが、口の端を上げる。
「面白ぇ。捨てるんじゃねぇ。使い切る、か」
その一言で、結衣の胸が少しだけ軽くなる。
(……届いた)
自分の中にあった知識が、この世界の言葉に置き換えられていく感覚。
「最初から完璧じゃなくていい」
魔女が、結衣を見て微笑む。
「小さく始めて、直しながら進めばいい。若人には、その時間がある」
世界樹のざわめきが、ふっと柔らかくなる。
急かさない。
でも、確かに背中を支えてくれる。
グランは一歩前に出た。
「よし。廃棄はこの方向でいく。容器、熱、浄化。この三つだ。作れるかどうかは、俺が見る」
建物の方から、また木材を運ぶ音が響く。
作業は止まらない。
問題も、まだ山積みだ。
それでも。
平凡だと思っていた自分の経験が、この場で意味を持ち始めている。
結衣は、立ち上がる柱を見上げながら、胸の奥で静かに思った。
(……私、ちゃんとここにいる)
平凡ではいられない壁は、もう目の前にあった。
25.12.23
後書き書くことない




