平凡という名の呪い
平凡。
その二文字は、私を縛りつけてきた“静かな呪い”だった。
――異世界で、その呪いが解け始めるまでは。
『結衣は平凡なんやから、あんまり変わった夢は持たんでええ。』
小さい頃、畑のあぜ道で土いじりをしていた私に、祖父がよくそう言っていた。
声は優しかった。
叱られてるわけでも、否定されてるわけでもない。
むしろ『無理せんでええ』と心配してくれていたのだと思う。
……でも、その言葉は、ずっと胸の奥に残っている。
平凡。
その二文字は、私にとって“悪口”じゃない。
ただの“事実”として、そこにある。
滋賀県の、とある田舎。
駅まで徒歩一時間と少し。
コンビニまで徒歩三十分。
夜になれば、街灯より星の数のほうが多いような場所。
家のまわりには田んぼと畑。
視界の端には、だいたいいつも山の稜線がある。
牛の鳴き声だって、外を歩けば普通に聞こえてきた。
そんな環境で育った私は、自然と動物や植物が大好きになった。
高校は、そのまま農業高校の畜産科に進んだ。
別に“夢は獣医さん!”なんて高尚なものじゃなくてただ、牛や鶏の世話が楽しかったから。
偏差値は……まあ、聞かないでほしい。
テストの点も、特別良くも悪くもない。
運動はそこそこ、歌もそこそこ、顔もそこそこ。
成績表も、先生のコメントも、『よく頑張っています』のテンプレ。
――私は、どう見ても“平凡な子”だった。
でも、動物や植物と向き合っているときだけは、なぜか胸の中が少しだけ誇らしかった。
餌を食べなくなった子牛の様子がおかしいことに、誰より先に気づけたときとか。
去年より土の手触りがパサパサしてるって気づいて、先生に『よう見てるな』と言われたときとか。
『農業って、もっとちゃんと知りたいな。』
そう思ったのは、高校二年の冬だった。
そこからだった。
“平凡な私”なりに、ちょっとだけあがいてみようと決めたのは。
放課後、残って勉強するようになった。
授業でよくわからなかったところを、先生に聞きにいくようになった。
進路指導で『東京の大学に行きたいです』って言ったとき、母には少しだけ驚かれた。
『……結衣、東京なんて大変やで?』
『うん、分かってる。でも、もっと勉強してみたい。』
母は少し黙って、
それから苦笑しながら頭を撫でてくれた。
『……あんたは平凡やけど、頑固やな。』
“平凡”と“頑固”を一緒に言われたのは初めてだった。
その冬から、私は本気で勉強した。
そして――
東京都立 東京生命科学大学。
通称、東生。
農学や獣医、薬学、工学、経済までそろった、
生命科学系では国内トップクラスの公立大学。
そこにある生命資源学部、いわゆる“農学系の学部”に、私は合格した。
教師にも家族にも驚かれた。
私自身も合格通知を見たときは、本当に足が震えた。
『ようやったわ、結衣。』
そう言ってくれた祖父の顔は、今でも覚えている。
それでも、どこかで私はこうも思っていた。
――私は、たまたま頑張れただけ。
根っから頭がいいわけじゃない。
私の中身は、ずっとあの“平凡なまま”なんだ。
東京に来て、最初に突きつけられたのは――
“私って、こんなにも平凡なんだ”という現実だった。
駅を降りた瞬間、目の前に広がる人の波。
エスカレーターを駆け上がる速さ。
すれ違う学生たちの会話には、私がまだ触れたことすらない専門用語が当たり前のように並ぶ。
「ゲノム編集の解析、来週までにやるらしいよ」
「薬学の方、英語論文の予習忘れないように」
――別の世界の言語みたいだった。
講義も想像以上で、高校で“難しい”と思っていた範囲が、ここでは“基礎”として扱われる。
周りは分厚い専門書を軽々と読み進める。
私は家に帰ってから、予習と復習でやっと追いつけるかどうか。
そのたびに胸の奥がズキッと痛んだ。
(やっぱり、私は“平凡”なんだ。)
誰に言われたわけでもなく、自分で自分に貼りつけたそのラベルが、東京に来てからはますます重くなった気がした。
“すごいのは大学であって、私はその端っこにしがみついてるだけ”――
いつのまにか、それが当たり前の考えになっていた。
_____
昼休みの少し前、教室のスピーカーが急に鳴った。
「本日より、生命資源学部・生命医科学部・薬学部・工学部・環境科学部・経済政策学部の共同特別実習の募集を開始します。詳細は学内ポータルをご確認ください。」
「……共同実習? また急やなあ。」
「東生って、こういうの唐突にぶっこんでくるよな。」
周りがざわざわし始める。
配られたプリントには、見慣れない単語がでかでかと書かれていた。
《異世界農業環境実習》
「……え、異世界って書いてる……?」
「おいおい、東生どうしたんや。」
「いや、東生ならワンチャンあるぞ? だってほら、去年も“他学部合同で未公開区域調査”とか言って、山奥でなんかやってた!」
「それ噂やろ? でも……なんか理解できてしまうのが怖いところよな」
「うちの大学、たまにガチで世界観バグらせてくるしなあ……」
「あーわかる。教授同士の喧嘩で学部のプロジェクト一つ潰れたとか、謎の共同研究に学生持ってかれたとか……」
笑い声が上がるけど、みんな“完全な冗談”として扱っていないのがわかる。
東生には、“何か妙なことを本気でやりかねない”空気が確かにあった。
私も半信半疑で、募集要項に目を落とす。
未開拓世界での農業・環境調査
言語同期補助および基礎魔力適応処置を実施
応募期間は三日後まで
「魔力……?」
思わず小さくつぶやくと、隣の席の子が肩をすくめた。
「やっぱ東生ってやばいわ。農業と魔力ってどう繋げる気なんやろ……」
「絶対ネタでしょ……いや、東生なら……いやいやいや……」
プリントを見たまま、私は小さく息を吸った。
(……ほんとに、異世界なんてあるわけ……)
でも、興味がないわけじゃなかった。
知らない世界に触れてみたい。
新しい環境で、自分がどこまでできるのか試してみたい。
そんな気持ちが、胸の奥で少しだけ動いた。
けれど――
(……無理や。私は平凡やし。)
応募するなんて考えもしない。
そう自分に言い聞かせた。
______
数日後の昼休み。
教室のスピーカーが鳴った。
「共同特別実習《異世界農業環境実習》の選抜結果を本日発表します。対象学生には、担当教員より個別に連絡します。」
教室がざわっと揺れた。
「誰が通ったんやろな」
「どうせ成績上位の人たちっしょ」
私は、机の上のノートをぼんやり見つめながら、胸の奥がじわりと痛むのを感じた。
――別に、落ち込む理由なんてないはず。
私は応募すらしていない。
あの募集プリントを見た時も、自分には無関係だと真っ先に切り捨てた。
でも、それが逆に、心の奥深くでずっとひっかかっていた。
(私だって……本当は、興味がないわけじゃなかったのに。)
怖かった。
“平凡な自分”が選ばれるはずもない場所に手を伸ばすのが。
応募しなかったのは、挑戦しないための言い訳を作るためだったのかもしれない。
そう思い始めた自分が、いちばん嫌だった。
⸻
その日の夕方。
研究棟の自習スペースは、いつもより静かで、窓から落ちる夕日だけが、机の端をじんわり照らしていた。
(……今日も、ちゃんと予習しなきゃ。ついていけなくなる。)
ページをめくる指が少し震えていたのは、選抜のアナウンスがまだ胸の奥に残っていたからだ。
その時だった。
「森田 結衣さん、いる?」
名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。
振り向くと、生命資源学部の風間先生が立っていた。
こんな時間に、先生が私を探すなんて、めずらしい。
「は、はい……?」
椅子から立ち上がると、先生は手元のプリントを一枚抜き出し、まっすぐ私に差し出した。
その表面に印字された文字を見た瞬間、
呼吸が止まった。
《異世界農業環境実習》
「……え?」
理解が追いつかない。
耳の奥がじん、と熱くなる。
先生は柔らかく微笑んだまま言った。
「君に、正式参加通知が出たよ。」
紙を受け取る手が、震えている。
生命資源学部2年 森田 結衣
(え……私?
私が……?)
胸がぎゅっと縮まった。
嬉しさなんて、一瞬も浮かばない。
代わりに押し寄せてきたのは、真っ黒な不安と信じられなさだった。
「せ、先生……これ、間違いじゃ、ないんですか……?
私、応募すらしてなくて……」
声が完全に上ずった。
情けないと思いながら、それしか言えなかった。
先生は、少しだけ眉を下げて笑った。
「間違いじゃないよ。応募していないのも知っている。
でも、君のレポートや実習の記録――全部見た上での選抜だ。」
『結衣は平凡なんやから、変わった夢は持たんでええ。』
祖父の声が、胸の奥に刺さるように響く。
(……私は平凡。
ずっとそう言われて育ってきた。)
平凡だから、選ばれるはずがない。
平凡だから、期待されたら潰れてしまう。
平凡だから、挑戦なんてしてはいけない。
その“呪い”が、また心の中でうずく。
「……でも私、そんな……特別じゃないです。
教科書も理解できるまで時間かかるし……
人より遅いし……
褒められるような才能なんて……」
言葉が途中で震えた。
先生は、夕日の色を映したような優しい目で、静かに言った。
「異世界で必要なのはね、派手に光る才能より、
小さな変化に気づける目と、黙々と続けられる根気なんだ。」
心臓が、どくん、と鳴った。
「君のレポートはいつも丁寧で抜けがない。
環境の変化にも、人の気持ちにも敏感だ。
それを“平凡”と言うなら……君ほど平凡な学生はそうはいないよ。」
胸の奥がじわっと熱くなった。
(平凡でいいと思おうとしてきたのに。
平凡だから仕方ないって、自分に言い聞かせてきたのに。)
“平凡だと言われるのはもう嫌だ”と、やっと、少しだけ自覚した。
先生は続けた。
「怖ければ無理にとは言わない。でも――」
夕日が窓枠に流れこんで、
先生の横顔が少し赤く染まる。
「“平凡だ”って言葉に、自分を閉じ込めたまま終わるのは、君らしくないと思うよ。」
喉が詰まった。
私は、本当は……
どこかで変わりたかったのかもしれない。
少しでも前に進めたら。
少しでも、自分のことを嫌いじゃなくなれたら。
「……少し、考えさせてください。」
精一杯の声だった。
先生はうなずき、選抜メンバーの一覧を見せる。
そこに――私の名前があった。
(……本当に、私は“選ばれた”んだ。)
信じられない。
怖い。
でも、ほんの少しだけ……胸の奥が熱い。
「……私で、いいんでしょうか。」
震える声で問うと、
先生は微笑んで言った。
「君じゃなきゃ、足りないんだよ。」
その瞬間、
胸の奥の“何か”が、静かに揺れた。
平凡という呪いの奥で、
ずっと眠っていたものが、
そっと芽吹こうとしているみたいに。
初投稿です!
ゆっくり更新していきますヽ(•̀ω•́ )ゝ
25.11.25
キャラ紹介
森田 結衣
生命資源学部2年。
自分を「平凡」だと思っているが、土や水、生き物の状態を直感的に捉える感覚を持つ。
本人はそれを能力だとは認識していない。
風間先生
異世界農業環境実習の責任者。
穏やかな口調だが、危険性や覚悟については一切ぼかさない現実主義者。
学生たちを“守る存在”でありつつ、“選ばせる立場”でもある。




